ノート:松平氏

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松平宗家の断絶について[編集]

信康の死で松平宗家は断絶したとありますが、徳川宗家は松平宗家の祭祀も行っており、歴代将軍は大樹寺にも位牌をおいています。さらにその後は諸松平家の再興を行うなど、宗家の役割も果たしています。信康が松平宗家を継いでいたと言うことと、松平宗家が断絶したというのはどちらが出典でしょうか。--222.150.199.132 2008年9月28日 (日) 11:58 (UTC)[返信]

私も信康の死で松平宗家断絶とはここで初めて目にしました。1566年に松平宗家当主の家康が松平姓から徳川改姓の勅許を得て改姓したのだから、1579年の信康死去の際には松平宗家は徳川宗家を意味していたとみるのが自然と思われます。
仮にそれ以前に信康が岡崎松平家当主を称していたとされても、家康が後継を決定してないならそれは宗家とは呼べないのでしょう。強いていえば親藩大名のようなもの。また、逆に家康が宗家家督を既に信康に譲っていれば徳川信康ときっと称したはずですから、信康死去は徳川氏継嗣の早世であって松平宗家の断絶とはいえず矛盾します。横からすみません、気になったので一言書きました。--故城一片之月 2008年9月28日 (日) 15:26 (UTC)[返信]

一週間以上経ちましたが回答が得られませんので、関連の記述をコメントアウトさせていただきます。私個人の意見としては故城一片之月さんと同意見なのですが、きっちりとした出典が無い現在ではそこまでつっこめませんので、信康関連をコメントアウトするに留めます。--222.150.199.132 2008年10月6日 (月) 11:15 (UTC)[返信]