ノート:松井石根/過去ログ1

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田中正明氏のエピソードについて

まず、「事実」を書きましょう。

1.蒋介石は、1938年1月22日の日記に、「倭寇(日本軍)は南京であくなき惨殺と姦淫をくり広げている」と書いた。(蒋介石秘録)

2.何応欽は、自書に、「南京陥落後の大屠殺で、殺害された市民が十万人以上にも達した」と書いた。(中日関係と世界の前途)

3.何応欽軍事報告には、「南京大虐殺はなかった」などという記述は存在しない。(何応欽上将抗戦期間軍事報告(下))

4.蒋介石夫人、宋美齢は、1938年1月5日付の友人への手紙に、「南京において彼らは冷酷にも何千人も屠殺いたしました」と書いた。(南京事件資料集1)

5.国民党系新聞「大公報」は、当時、「南京大虐殺」の記事を、いやになるほど繰返し掲載していた。

こんな情況で、蒋介石が、何応欽もいる前で、「南京には大虐殺などありはしない。ここにいる何応欽将軍も軍事報告の中でちゃんとそのことを記録しているはずです。私も当時大虐殺などという報告を耳にしたことはない」などという発言をすることが果たしてありうるのかどうか。どう見ても、上の「事実群」と矛盾する発言です。


さて、こんな「エピソード」を体験したと主張する田中正明氏が、どのような人物であるかといえば・・・。さらに「事実」を追加します。

6.田中正明氏は、『松井日記』を自説に都合の良いように改竄して世間に発表する、というとんでもない行為を行ったことがある。(板倉正明「松井石根大将陣中日記改竄の怪」)

7.このエピソードは、田中氏によれば1960年の出来事とのことであるが、それから40年以上も経過した2002年に、「興亜観音を守る会会報15号」というほとんど世に出ることのないマイナーなメディアで突然発表された。不思議なことに、「南京大虐殺はなかった」という氏の主張の最有力根拠となるであろうこのエピソードは、氏の他の著作には一切登場しない。

以上、1から7までは、「客観的事実」です。「客観的事実」を並べた結果、常識的にはどのような「判断」が導き出されるか、もう言うまでもないでしょう。普通の方であれば、「田中氏のヨタ話である可能性が高い」という判断を下すものと思います。

さらに付け加えるならば、氏は、他人のインタビューをちょこちょこといじってあたかも自分がインタビューを行ったかのように発表したり(福田篤泰証言)、「ラーベは武器商人」なんて何の資料の裏付けもない中傷を行ったり、いやはや、やりたい放題の人物でした。


Soularさんは「編集者が真偽の判定を下すべきではありません」ことを「復活」の理由としていますが、Wikipediaが「百科事典」である以上は、どんな根拠のない「話」であっても無制限に掲載する、というわけにはいきません。少なくとも、「客観的に見てとても事実とは思われない」エピソードを、あたかも確定した事実であるかのように、無批判に掲載するべきではないでしょう。

もしあなたがこのエピソードをどうしても無批判に掲載したいのでしたら、上の1~7の事実群をくつがえすだけの、有力な「信じるに足る根拠」を提示する必要があると思います。できなければ、「削除」が妥当でしょう。

しかしどうして、「情報元」の田中正明氏の名前を出さなかったのでしょうか。私には、「うっかり名前を出すと信憑性がガクンと落ちる」という判断からである、としか思えないのですが・・・。

なお私は、あえて「コメントアウト」という穏やかな方法を選びました。これは、「合意が形成されればいつでも復活していいよ」というサインです。私は要約欄で、「疑問があれば説明しますよ」との趣旨のことをきちんと書いていますよね。それなのに、何の議論もなしにいきなりこれを復活してしまったあなたの編集姿勢は、「強引」との謗りを免れないものであると思います。せめて、私の説明を聞くまで待てなかったのでしょうか。ゆう(matunami) 2007年5月21日 (月) 21:52 (UTC)

編集者が真偽の判定を下すべきではありません

故田中正明氏は松井大将の秘書官で蒋総統とも対面している方であなたや拙者のように文書比較だけで嘘だ事実だなどとほざいている方ではありません。日本にはあなたのように氏の言説は嘘と決め付ける馬鹿も存在すれば、本多勝一こそ捏造三昧の大嘘つきと決め付ける馬鹿も存在します。あなたが偏った先入観に合致する例証だけを並べ立てて拙者と議論したところであなたが建前上理想とする中立的観点を満たす百科事典は生まれません。むしろ偏った例証だけでもって結論を得ようとした偏った百科事典が生まれるだけであることは自明です。

深田匠「日本人の知らない二つのアメリカの世界戦略」(P72)「昭和41年9月に岸元首相の名代として5名の日本人台湾視察団が訪台し、蒋介石と面談している。そして面談の際、その5名の中の一人である田中正明氏が松井大将の秘書であったことを思い出した蒋介石は、田中氏の手を硬く握り締めて涙を流しながら‘南京虐殺など無かった。松井閣下には誠に申し訳ないことをした’と告白している。この蒋介石の涙の謝罪は、日本人訪台団、通訳、蒋介石の側近らが全員耳にした歴然たる事実であり、南京大虐殺なるものは一切存在しなかったことを当事者が認めた貴重な証言である。」

あなたは偏った先入観に合致しないこうした著書を流し読みするのではなしに、偏った先入観に合致する著書と同等に精読することをお勧めします。ただ先入観なしにわけ隔てなく精査して得た結論であっても尚、それは個人的なものであることを忘れないようにしましょう。中立的観点とはそうした観点で自身の判断を省みることだと考えます。「田中正明氏による明らかな「ウソ」をコメントアウト。」としている時点であなたの言う「中立的な観点」が建前上の標語であると判断がつきました。細部で弁明はおありと察しますが、いずれにしても上述の説明から、周知として明らかになっていない事柄については「編集者が真偽の判定を下すべきではありません。」の意味をご理解していただけると思います。Soular 2007年5月22日 (火) 20:00 (UTC)

「深田」氏について検索してみたら、なあんだ、この方、「田中正明氏の門下生」なんだそうじゃありませんか。「弟子」が「師匠」の言葉を本当だと思ったからといって、このエピソードの「真実性」が担保されるとは、私にはとても思えないのですが。
深田氏は、上の「事実群」を承知していますか? 承知しているとしたら、なぜ無視するのでしょうか? また深田氏は、「五人」及び関係者にきちんと取材した上で上の文章を書いたのでしょうか? 「師匠」の言葉を真に受けただけではありませんか?
一応、この本を注文しました。深田氏が「南京事件」についてどの程度の知識をお持ちの方であるのか、またいい加減なことを裏付けもとらずに書くような方ではないのか、じっくりと拝見したいと思います。


さて、あなたの提示した論点は、以下の二つですね。
1.編集者は真偽の判定を下すべきではない。
2.このエピソードは、真実であろうと考えられる。(で、いいんですよね?)
順番に、検討していきましょう。
まず論点1。例えば、ある方が、名も知れぬマイナーな「会報」に、「私はプレアデスから来た宇宙人と会見した」という手記を発表したとします。この方実は、自分が入手した「古文書」について、そこに宇宙人のことが書いてあったかのように記述を捏造して発表した実績があります。またよく読むと、「宇宙人と会見した」というのは、40年も前のこと。この間この方は、「宇宙人」の存在を主張する数多くの著作をモノにしていますが、不思議なことに、それまでの著作にはこのエピソードは全く登場しません。
さてあなたは、こんな場合でも、「編集者は真偽の判定を下すべきではない」と考えて、このエピソードを百科事典の「宇宙人」の項に加えますか? まさか、そんなことはしませんよね。こんな怪しげなものを掲載したら、編集者の見識が疑われます。
というわけで、「編集者は真偽の判定を下すべきではない」という命題は、一般論として成立するものではありません。「明らかに疑わしい話」でしたら、きちんと「真偽の判定」(「真偽」を判定しないまでも、「疑わしい」という判定)を下して、記事から排除するのも編集者の務めです。そうしないと、「事実でない可能性が高いことをあたかも事実のように認識させる」という、読者に対する詐欺的行為を働いてしまうことになりかねません。


論点2。結局のところ、私が前回提示した「事実」の1から7までに対しては、何の反論もないわけですね。それに対する反論らしきものは、お弟子さんが田中氏の言うことを信じている、というだけの、何とも頼りないものでした。
大体、常識で考えてみてください。「当時の中国側の指導者、蒋介石が「南京大虐殺はなかった」と断言した」というのは、普通に考えればものすごいビッグニュースです。そんなビッグニュースを、不思議なことに田中氏は、こんなほとんど誰の目にも触れないメディアにしか発表しませんでした。そしてその後も、この「ビッグニュース」を取り上げた、まともなメディアはありません。
そもそも、40年以上も(深田氏は「1971年」と言っていますが、田中氏の講演録では「1960年」みたいです。こんな食い違いがある時点で、もう怪しい)、なぜ田中氏はこんな重大なエピソードを発表しなかったのか。その間、氏は、「南京事件の虚構」「南京事件の総括」といった南京虐殺否定本、また、関連した多数の論稿を発表しています。「何応欽軍事報告」やら「国連報告」なんて小ネタを並べるよりも、このエピソードの方がはるかに「衝撃力」が大きいはずなのですが。40年後に突然記憶がよみがえった、とでも言いたいのでしょうか。
うがった見方をすれば、田中氏は、こんなローカル会報だったら誰も見ることはあるまい、この際松井大将を支持する関係者たちにリップサービスしてやろう、と考えたのかもしれません。過去の田中氏の「改竄」実績から考えても、そう解釈する方が、「蒋介石がこんなびっくり発言をした」と考えるよりよっぽど自然です。あるいは、関係者が誰も反対証言をできなくなった時期を狙った(その「五人」の名は、どこにも登場しませんが)、と見ることも可能でしょう。しかしこの「五人」の方、どうして誰も、こんな「世紀の大スクープ」を発表しようと思わなかったのでしょうね。
「何応欽軍事報告」がここに出てくるのもおかしい。この報告は、文字通り「軍事報告」で、A師団がどこでどうした、B市がいついつ陥落した、C部隊がどうだった、という純粋な軍事情報についての記述を淡々と連ねただけものです。蒋介石が本当にこの「報告」を覚えていたのでしたら、ここに「南京大虐殺」云々の記述など出てくるはずもないことはわかっているはずです。
で、田中氏は、こんな貴重な情報を蒋介石から聞いたまま、なぜか20年以上もそのままにしていました。実際にこの資料を見たのは、高木桂蔵という方に教えてもらってのことだそうです。(1984年、「月曜評論」に発表されました) 本当に「軍事報告に南京大虐殺はなかったと書いてあるらしい」という情報を得たのでしたら、なぜすぐに捜さなかったのでしょうね。そんなに確認が困難なものではありませんし、おそらく当時でも国会図書館に行けばすぐに見ることができたでしょう。ま、このあたりの記述は、「何応欽」からの連想で、ついつい筆が滑ってしまった、と解釈するのが一番自然だと思います。
さらに、「私も当時、大虐殺などという報告を耳にしたことはない」なんてことは、はっきりとウソ。なぜ蒋介石は、こんなウソをつく必要があったのでしょうか。


さて、以上の事実を並べれば、普通の人であれば「偽」の疑いが極めて強い、という判定を下すものであると思います。それでも「真」であると主張するのであれば、その根拠をどうぞ。「お弟子さんが信じている」だけでは、到底、以上の事実群をくつがえすことはできそうにありません。
ゆう(matunami) 2007年5月23日 (水) 21:26 (UTC)


「日本人が知らない「二つのアメリカ」の世界戦略」、入手しました。
何とまあ、Soularさんの引用文に続いて、こんなカッコ書きがあるのですね。「南京大虐殺の捏造について興味のある方は、田中正明氏著による『南京事件の総括』展転社刊並びに『朝日が明かす中国の嘘』高木書房刊の二冊を参照されたい」。あの田中氏をここまで持ち上げているばかりか、その前にも、「南京占領後に殺された民間中国人は最大でも四十九人」「虐殺など一切存在していない」など、まるで2ちゃんねるレベルのびっくり発言が続きます。やっぱりこういう方でしたか。
ついでですが、田中氏が世に問うた著作「朝日が明かす中国の嘘」にも、このエピソードは一応登場します。しかしなぜか、蒋介石の発言は、「松井閣下にはまことに申し訳ないことを致しました」で終わっています。世紀の大スクープ、「蒋介石は南京大虐殺を否定した」は、どこにいってしまったのでしょうね。本当だったら、こちらに書かないはずがない、と思うのですが。
なお、「訪問日」については訂正します。こちらでははっきりと「昭和四十一年九月」と書かれていました。いずれにしても、「40年以上前」には変わりありませんが。
ゆう(matunami) 2007年5月24日 (木) 11:26 (UTC)

拙者が提示した論点は「編集者は真偽の判定を下すべきではない。」ですから「このエピソードは、真実であろうと考えられる。」といった論点の捏造はお控えください。あなたが「ウソ」と決め付けるために挙げた事例ひとつひとつについても同じように検証する必要が生じてくるのです。また正反対の事例があるからといって「ウソ」と決め付けることもできません。政治家が矛盾した言動をすることはしばしばあることからもお解かりいただけるでしょう。要するにキリがないということです。そのためにウィキペディアでは「独自の研究」の発表を編集しない方針となっているのです。新聞や著作などよって公に報道、発表があった事例についてその事実を編集することは許されています。あなたが論点2で「田中正明氏による明らかな「ウソ」をコメントアウト。」の理由として発表した「独自の研究」はウィキペディアの方針に反していますので受け入れられませんし、「ウソ」と決め付けてのコメントアウトも適切ではなかったと認めていただけるでしょう。Soular 2007年5月24日 (木) 14:23 (UTC)

改訂提案

というわけで、提案。
現在の文、「松井の死刑確定の一報が報じられたとき、松井を「日本における父」と慕っていた台湾の蒋介石総統は「南京には大虐殺などありはしない。何応欽将軍も軍事報告の中で、ちゃんとそのことを記録している筈です。私も当時、大虐殺などという報告を耳にしたことはない。松井閣下は冤罪で処刑されたのです」と涙ながらに語ったといわれる。」は、どう見ても怪しげです。だいたい、「死刑確定の一報が報じられたとき」ではありませんよね。
どうでしょう、こんな文章にしておきませんか?
「松井の元秘書、田中正明氏によれば、1966年9月、氏らが台湾を訪問した際、蒋介石は「松井閣下にはまことに申訳ないことを致しました」と涙ぐんだという。」
あの田中氏の言ですので本当かどうかわかりませんが、まあここまででしたら、「ありうる話」かもしれません。
ゆう(matunami) 2007年5月24日 (木) 11:47 (UTC)

まずはご提案ありがとうございます。ただ既にウィキペディアの方針として示されているように「ここまででしたらありうる話かもしれません。」として深田氏の著作に示されている田中正明氏の証言を改変することには賛成できません。あなたの「独自の研究」の尺度で公に著作としても示されている「証言」を改変することは「改竄」の提案に他なりません。以下のとおり客観的に著作を引用する形で典拠を示し説明を加えるように提案します。

松井の死刑について、「昭和41年9月に岸元首相の名代として5名の日本人台湾視察団が訪台し、蒋介石総統と面談している。そして面談の際、その5名の中の一人である田中正明氏が松井大将の秘書であったことを思い出した蒋介石は、田中氏の手を硬く握り締めて涙を流しながら‘南京虐殺など無かった。松井閣下には誠に申し訳ないことをした’と告白している。この蒋介石の涙の謝罪は、日本人訪台団、通訳、蒋介石の側近らが全員耳にした歴然たる事実であり、南京大虐殺なるものは一切存在しなかったことを当事者が認めた貴重な証言である。」(深田匠「日本人の知らない二つのアメリカの世界戦略」P72)とあり、また総統は松井を「日本における父」と慕っていたと言われている。 Soular 2007年5月24日 (木) 14:58 (UTC)


しかし、困ったものです。
私は、思い切りお譲りして、妥協案を提示しました。そのお返しが、私が絶対に承服しないであろう、現在の記述よりもさらに極端な、問題だらけの対案とは。ほとんどケンカを売られているとしか思えません。ライタイハンでの、過去の合意を無視しての強引な差戻しもそうでしたが、soularさんは、「協調性」というレベルで少し問題があるのでは、と感じます。
ゆう(matunami) 2007年5月25日 (金) 21:04 (UTC)
さて、今の論点は、ふたつです。
1.編集者は、話の信憑性を常識で判断して、フィルタをかけてはならないのか。
私は、「私はプレアデス星から来た宇宙人と会見した」というヨタでも、何の「判断」もなしにそのまま掲載するのか、と問いかけました。これに対するコメントはありませんでした。よって「論点1」は、「編集者は真偽判定を行うべきではない」という命題は一般的に成立するものではない、ということで了解が成立したものと思います。
2.この田中氏のエピソードに、どれだけの信憑性があるのか。
私は具体的に、「常識的に信じられない根拠」を挙げました。これに対しても、反論はありませんでした。
以上について何も反論しないままに、田中氏の弟子である深田氏の怪しげな言をそのまま引用しろ、と言われても困るのですが。大体これはもう、「百科事典としての引用」の枠を超えていると思いますし、「GFDL違反」の疑いもあります。
1、2に何の反論もないのでしたら、「深田氏の言をそのまま紹介する」という結論に至ることはできません。読者に「蒋介石は「南京大虐殺などない」と言った」、という明らかに常識では考えられないことを、あたかも事実のように印象づける、という詐欺的な結果になってしまいかねません。以上、提案に対しては、「問題外」と回答したいと思います。
ゆう(matunami) 2007年5月25日 (金) 21:04 (UTC)
このエピソードには、二つのバージョンがあります。(自分独自の取材は何も行わないままに二つのバージョンを適当につなぎ合わせた、深田氏のバージョンは、いわば「二次情報」であり、「問題外」です)
その1。「朝日中国の嘘」バージョン。ここには、「蒋介石は南京大虐殺はないと言った」云々の話は登場しません。蒋介石が涙ぐんだ、で終わっています。あの田中氏が書くエピソードですので、本当かどうかわかりませんが、少なくとも「嘘とまでは断定できない」ということは言えるかもしれません。
その2.「興亜観音を守る会会報第15号」バージョン。「蒋介石は南京大虐殺などないと言った」「何応欽軍事報告にもそのことが書いてあると言った」「蒋介石は自分は南京大虐殺の報告など受けていないと言った」。これまでさんざん述べてきたとおり、これはもう「私はプレアデスから来た宇宙人と会見した」レベルにあります。
あえて掲載するのであれば、1でしょう。私はわざわざ百科事典に書くほどのエピソードであるとは思えないのですが、ここまではお譲りします。しかし2のような「明らかにおかしな話」を掲載して読者を欺くことには、反対します。
ゆう(matunami) 2007年5月25日 (金) 21:04 (UTC)
なお、本件を材料に、私のサイトに独立のコンテンツをアップしました。今後の議論の参考となれば幸いです。
[1]
ゆう(matunami) 2007年5月26日 (土) 02:47 (UTC)

既に「編集者が真偽の判定を下すべきではありません」の節で結論がでているものを蒸し返さないようにお願いします。もし有効な反論がありましたら該当箇所でお受けします。あなたが「田中正明氏による明らかな「ウソ」をコメントアウト。」の理由として発表した「独自の研究」はウィキペディアの方針に反していますので受け入れられませんし、「ウソ」と決め付けてのコメントアウトも適切ではなかったことについての反論もせずに「独自の研究」の発表を繰り返しているのみで進展がありません。またあなたの「独自の研究」の尺度で公に著作としても示されている「証言」を改変することは「改竄の提案」に他なりません。拙者の提案文は公に著作として出されているものを紹介し、客観的にそのままその著作を「敗戦と東京裁判」の節で引用する形で典拠を示し説明を加えることに問題はありません。

結論として、Matunami氏は「独自の研究」をウィキペディアで強引に反映しないようにしてください。方針で示されているいるように新聞、著作等で公に報道、発表されているのもは記述は許されています。あなたのHPで思う存分発表してください。またあなたの「改竄の提案」も受け入れられません。くれぐれも削除などで編集合戦を引き起こさないようにお願いします。有効な反論がおありでしたら受け付けております。Soular 2007年5月26日 (土) 14:59 (UTC)

合意に基づかない編集強行に抗議します

私は、この編集提案に対して、明確に「反対」を表明していました。にもかかわらずSoularさんは、合意がない状況で編集を強行しました。ここに合意に基づかない編集強行が行われたことを確認し、抗議します。ゆう(matunami) 2007年5月26日 (土) 22:23 (UTC)

話をわかりやすくするために、例えば、このようなケースを想定してください。

ある名もない「会報」に、「私はプレアデス星人と会見した」という記事が掲載されました。名もない会報ですので、これをまともに相手して、わざわざ「この会見記は嘘だ」と発表する方はいません。ただ「宇宙人と交流する会」のお弟子さんが、自書の中で、この会見は真実だ、と言っているに過ぎません。

改めて問います。この状況で、あなたは、このヨタ話を、そのまま百科事典に掲載しますか? 「プレアデスは若い星で、そもそも生命は存在しえない」「宇宙人が地球に来たという事実は確認されていない」「このライターは、過去に改竄事件を起こした実績がある」という「客観的事実」を並べて、「こんな話はありえない。従って掲載を見合わせるべきだ」と主張することは、「独自の研究」なのでしょうか?

もちろん、そんなことはありませんよね。「引用」であるとはいえ(Wikipediaの引用の要件である、「その著作物を引用しないで記事を書いたときに記事の意味が通らなくなる場合」「必要かつ最低限」を満たすかどうか、微妙ではありますが[2])、こんなものを無批判に掲載することは、編集者の見識が問われる行為であると思います。

なお、「独自の研究の禁止」は記事空間にのみ適用されます。そして私は、「記事空間」に「田中氏のエピソードは信頼性の薄いものであるという記述を行え」と要求しているわけではありません。ただ、「掲載見合わせ」を主張しているだけです。また、「ノートにおいて客観的事実を並べてエピソードの真実性に疑問を呈する」ことは、Wikipediaの想定する「独自の研究」には該当しません。従って、ここに「独自の研究」云々を持ってくることは、的外れであると思います。

さらに言えば、私の提案文のうち「松井閣下にはまことに申訳ないことを致しました」は、田中氏の「朝日が明かす中国の嘘」そのままです。私に対して、「改竄」などという中傷を行ったことに対しても、合わせて抗議します。 ゆう(matunami) 2007年5月26日 (土) 22:23 (UTC)


もしどうしてもこのエピソードを掲載したいのでしたら、読者を欺かないために、引用文のあと、あるいは注記で、次のような文言を追加しなければなりません。以下はすべて、「客観的事実」です。

ただし実際には、蒋介石は「南京虐殺」の存在を認識している(蒋介石秘録)。また、このエピソードのうち「蒋介石が南京虐殺はなかったと言った」という部分は、その35年後に田中氏が「興亜観音を守る会」における講演にて述べたものであるが、この部分は、氏の他の著作には一切登場しない。なお田中氏は、「松井日記」を発表する際に記述を自説に都合のよいように改竄を行い、非難を受けたことがある(板倉由明氏「松井石根大将陣中日記改竄の怪」)。

・・・そもそも、こんな「解説」を付さなければならないようなエピソードを、なぜここまで無理して掲載しなければならないのか、疑問ではありますが。 ゆう(matunami) 2007年5月26日 (土) 22:23 (UTC)


Matunami氏にWikipedia:独自研究は載せないをご理解いただくために

拙者の提案についてあなたの合意を得るには

1、拙者が提示した論点について「このエピソードは、真実であろうと考えられる。」といった論点の捏造を認めることになってしまいます。

2、あなたが「ウソ」と決め付けるために挙げた「独自の研究」に帰依して「編集者が出典の真偽の判定を下す」ことになってしまいます。ウィキペディアでは「独自の研究」を記事に反映しない方針になっています。

3、あなたの「独自の研究」の尺度で公に著作としても示されている「証言」を改変し、あなたの「改竄の提案」に従うことになってしまいます。拙者が「敗戦と東京裁判」の節で客観的に引用した出典は深田匠著「日本人の知らない二つのアメリカの世界戦略」(P72)です。あなたは‘南京虐殺など無かった。’の部分を故意に削除する提案を行いました。そうした削除編集をあなたは「改竄」行為として痛烈に批評してきました。

要するにあなたのHPにある「独自の研究の発表」をウィキペディアの記事に強引に反映させようとするMatunami氏とキリのない(ウィキペディアの方針からは)無効な議論にお付き合いしなければならない義務はないのです。また方針で掲載が許されている新聞、著作等で発表済の情報の「掲載見合わせを主張する」としておかしな抗議をしている時点であなたの「独自の研究」の尺度が働いてしまっているわけで「独自の研究の発表」に他なりません。あなたは「ウィキペディアの方針」に抗議しているも同然なのです。

Matunami氏はWikipedia:独自研究は載せないをよく読んで、なぜあなたの「解説」の記述がウィキペディアで許されていないのかを読解してください。あなたの「独自の研究」がウィキペディアの方針に反していることが理解できるまでお待ちたいと思います。Soular 2007年5月28日 (月) 14:45 (UTC)


あのお、私はあなたの「編集強行」に抗議しているわけですが。「Matunami氏とキリのない(ウィキペディアの方針からは)無効な議論にお付き合いしなければならない義務はないのです」とは、あまりに一方的な開き直りです。「あなたは、私の反対意見を無視して合意のない編集を強行したことを認めて開き直った」ということで、もうよろしいですね。
念のため。別に規程があるわけではありませんが、議論の最中に編集を行うのであれば、「編集合戦」回避の視点からは、常識的に考えて以下のいずれかの状況が必要であると考えられます。
1.議論の相手が、その部分の編集に合意していること。少なくとも、反対しそうにないこと。
2.議論の相手が明らかに無茶な言張りを行っているなどで、客観的に誰が見てもその編集が正当なものであること。
さて、本件が2のケースであることを主張するのであれば、最低限、「相手が提示する論点をすべてシャットアウトしており、相手も言い返せないこと」は必要でしょう。さもなければ、コミュニティは、「議論は継続中であり決着は着いていない」と判断すると思います。
そして本件は、言うまでもなく2のケースには該当しません。第一の論点、「編集者は、話の信憑性を常識で判断して、フィルタをかけてはならないのか」については、私は繰り返し「「私はプレアデス星から来た宇宙人と会見した」というヨタでも、何の「判断」もなしにそのまま掲載するのか」と問いかけていますが、今もって回答はありません。また、第二の論点、「この田中氏のエピソードに、どれだけの信憑性があるのか」についても、あなたは回答を回避しています。とても、「相手の言い分をすべてシャットアウトしている」状況にはありません。
以上2点については、あなたは既に「回答不能」に陥っているものと判断されます。そして、「編集者が掲載可否を判断しなければならない場面もありうる」「このエピソードは明らかに真実であるとは思えない」という2点が認められるのであれば、論理必然的に、「読者の誤解を避けるために、このエピソードは何の留保もなしに掲載するべきではない」ということになります。
ゆう(matunami) 2007年5月29日 (火) 11:44 (UTC)


さて、あなたの「独自の研究」云々については、前レスですべて説明済みなのですが。以下は、「繰返し」になります。
1.「独自の研究の禁止」は記事空間にのみ適用されます。そして私は別に、「記事空間」に「独自研究(なるもの)を載せろ」と言っているわけではありません。
2.ノート議論において、客観的事実を並べ、記述の信頼性を検証することは、「独自の研究」とは言いません。ここまで「独自の研究」と称したら、そもそも「ノート」での議論などできなくなります。私は前レスでこう問いかけましたが、回答はありませんでした。
「あなたは、(プレアデス星人との会見記という)このヨタ話を、そのまま百科事典に掲載しますか? 「プレアデスは若い星で、そもそも生命は存在しえない」「宇宙人が地球に来たという事実は確認されていない」「このライターは、過去に改竄事件を起こした実績がある」という「客観的事実」を並べて、「こんな話はありえない。従って掲載を見合わせるべきだ」と主張することは、「独自の研究」なのでしょうか?
3.なお私は、「深田氏の記述の改竄」なるものを要求しているわけではありません。深田氏の「二次情報」ではなく、本人が自分で書いたものをそのまま掲載しよう、と言っているだけなのですが、これがなぜ「改竄」ということになるのでしょうか? さっぱり理解できません。


さらに言えば、ご呈示の「独自研究を載せない」には、このような記述がありますね。
「信頼でき、かつ評判のいい情報を閲覧者に提供することは、ウィキペディアの義務です。ウィキペディアの編集者は、信頼できるか、または評判のいい情報源のみに依拠することで、この義務を果たすことができます。」
私は、この深田氏の記述は、「信頼でき、かつ評判のいい情報」ではない、と主張しています。かつ「蒋介石は南京大虐殺を否定した」などという、まずありえない話を何の留保もなしに紹介することは、読者を欺く行為である、と述べています。この点については、何の反論もないのでしょうか?
ゆう(matunami) 2007年5月29日 (火) 11:44 (UTC)

ゆう氏の言動を順に挙げて見ますと。

「田中正明氏による明らかな「ウソ」をコメントアウト」 「中立的な観点」 「田中氏のヨタ話である可能性が高い」 「松井大将を支持する関係者たちにリップサービスしてやろう、と考えたのかもしれません。」 「普通の人であれば「偽」の疑いが極めて強い 」 「 あの田中氏の言ですので本当かどうかわかりませんが、まあここまででしたら、「ありうる話」かもしれません。」 「ほとんどケンカを売られているとしか思えません 」

拙者にはゆう氏が松井大将の秘書官であり、実際に蒋介石と会見された田中正明氏とその様子を著書にして公に著された深田匠氏に対してケンカを売られているとしか思えません。ゆう氏が両氏を信じない自由はありますが、他の編集者にそれを押し付けることはウィキペディアでは認められていません。「中立的な観点」の方針をお守りください。


また「「私はプレアデス星から来た宇宙人と会見した」というヨタでも、何の「判断」もなしにそのまま掲載するのか」と同じことを三度も四度も引き合いに出されますが、あなたも疑わないように田中氏は実際に蒋介石と会見されていますし、深田匠氏は著書に「・・~蒋介石の涙の謝罪は、日本人訪台団、通訳、蒋介石の側近らが全員耳にした歴然たる事実~・・」として公にはっきりと記されています。どうしてもゆう氏が「嘘だ」との主張を自分のHPだけでは飽き足らず、ウィキペディアに反映させたいなら著書なりの何らかの形で公に発表していただければもはやそれは「独自の研究」ではなくなります。それでも尚、ウィキペディアでは「中立的な観点」で客観的な両論記述しか認められていないのです。よろしく「方針」をご理解ください。Soular 2007年6月1日 (金) 00:31 (UTC)

ここまでくると、自分の主張の無理を承知の上で、あえて無理を通そうと頑張っているとしか思えないのですが・・・。
面倒なので、一言だけ。あなたの理屈をそのまま通すと、誰かが名も知られていない「会報」で「私はプレアデス星人と会見した」と発表した、という「客観的事実」があったら、Wikipediaにそのまま無批判に転載していい、ということになりますよね。それで本当にいいんですか?
そしてこの掲載に対して「疑わしい理由」を挙げて反対することは、「あなたがこの証言を信じない自由はありますが、他の編集者にそれを押し付けることはウィキペディアでは認められていません」ということになります。本当にそれでいいんですね?
なお私は、あなたはpeace系ソックパペットではないかと疑っています。詳しくは、あなたのノートに書きました。ゆう(matunami) 2007年6月1日 (金) 21:16 (UTC)

また「プレアデス星人との会見」ですか?無意味な反復は疲れるだけです。意味不明なソックパペット動議もあなたの最後っ屁としては真剣にWikipedia:中立的な観点Wikipedia:独自研究は載せないを理解しようとされているようには思えません。前に一度言いましたよね、

あなたが「ウソ」と決め付けるために挙げた事例ひとつひとつについても同じように検証する必要が生じてくるのです。また正反対の事例があるからといって「ウソ」と決め付けることもできません。政治家が矛盾した言動をすることはしばしばあることからもお解かりいただけるでしょう。要するにキリがないということです。そのためにウィキペディアでは「独自の研究」の発表を編集しない方針となっているのです。新聞や著作などよって公に報道、発表があった事例についてその事実を編集することは許されています。

これはたとえば、あなたが「ウソ」と決め付けるために挙げた

「1.蒋介石は、1938年1月22日の日記に、「倭寇(日本軍)は南京であくなき惨殺と姦淫をくり広げている」と書いた。(蒋介石秘録)」

と同じ蒋介石秘録にこうした事例も書いてあります。

日本軍による南京攻略戦が終了したあと、中国国民党軍の最高指揮官だった蒋介石は「南京における我が軍の損害6千」と発表しました(『蒋介石秘録第12巻』)

ゆう氏がこれまで展開してきた「独自の研究」と同じレベルで考えた場合、あなたが「南京大虐殺」を認識していたという蒋介石の認識していた自軍の南京における損害がたったの「6千」としているのはおかしいですね。とも言えてしまうわけです。だから「独自の研究」を戦わせても「要するにキリがない」と最初に示唆しておいたのです。

また、ゆう氏が提案した「解説」文がなぜ不適切であるかは「Wikipedia:独自研究は載せない#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成」をお読みください。

最後に同じくWikipedia:独自研究は載せないからゆう氏のために引用します。

願望や妄想を書く場ではありません。あなたの理想やあなたにしか見えない世界は心の中にしまっておくか、個人のウェブサイトで行ってください。オウム真理教のように、ある個人や団体の願望・妄想が社会的影響を与えた場合は文章にする価値はあるでしょう。ですが、それは願望や妄想を持っていたという事実として記述するべきです。そのときには、事実であることを証明するために情報源を明記すべきかもしれません」よろしく「方針」をご理解くださいSoular 2007年6月2日 (土) 17:35 (UTC)


ノート:ライタイハンでもそうなのですが、ここまでくると、議論の引き伸ばしだけを目的とした「無意味な言張り」をしているとしか思えません。
大体今問題になっているのは、「蒋介石はどのような認識を持っていたか」であり、「蒋介石の認識は正しかったか」ではありませんよね。「蒋介石の南京戦中国軍犠牲者数の認識」の話をここにもってくるのが見当違いであることぐらい、あなたにもわかっているはず。Peace系との議論、このあたりで消耗させられるんですよね。


ちょっと、議論を振り返りましょう。私は、「田中正明氏の話が信じられない根拠」を、具体的に列挙しました。それに対してあなたは、「田中正明氏と深田匠氏の言うことが信じられないのか」というだけの、ほとんど「信仰の強制」としか思えないことし書けませんでしたよね。
そして私は、こんな疑わしい話でも、何の留保もなしに掲載するのか、と問いかけました。その例えとして、「私はプレアデス星人と会見した」なんて話でも、「そのように書いている人がいる」という「客観的事実」があれば、何の留保もなくそのまま掲載するのか、と問いかけました。「イエス、ノー」ですむ単純な質問なのですが、今に至るまで、何の回答もありません。

 

さらに私は、「独自研究は載せない」という標題の通り、「独自研究」が対象としているのは記事空間であることを指摘しました。そしてさらに、私は「ノート議論において、客観的事実を並べ、記述の信頼性を検証することは、「独自の研究」とは言いません」と述べ、その例示として、
「「プレアデスは若い星で、そもそも生命は存在しえない」「宇宙人が地球に来たという事実は確認されていない」「このライターは、過去に改竄事件を起こした実績がある」という「客観的事実」を並べて、「こんな話はありえない。従って掲載を見合わせるべきだ」と主張することは、「独自の研究」なのでしょうか?」
と問いかけました。こちらも「イエス、ノー」で済むはずなのですが、同じく回答はありません。
ついでながら、「信頼でき、かつ評判のいい情報を閲覧者に提供することは、ウィキペディアの義務です。ウィキペディアの編集者は、信頼できるか、または評判のいい情報源のみに依拠することで、この義務を果たすことができます」という一文についても、これまで何のコメントもありませんね。


以上、肝心な点については、あなたは完全に回答不能に陥っています。逆に、もし私がコメントを漏らしている事項がありましたら、どうぞ、具体的にご指摘ください。次回レスで回答しますので。
さて、あなたのノートページでまともな回答をいただけませんでしたので、あなたに対するブロック依頼を提出しました。あなたは、こんなところでのんびりと雑談をしている場合ではないと思うのですが。まああなたにとっては、使い捨てアカウントをいくらブロックされても、痛くも痒くもないのかもしれません。ゆう(matunami) 2007年6月2日 (土) 23:58 (UTC)

Wikipedia:独自研究は載せない(特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成)やWikipedia:中立的な観点などの「ウィキペディアの方針」をゆう氏が理解できずに同じ空論を繰り返しているだけで進展が見られていないことはこれまでの議論からあきらかです。真面目に「ウィキペディアの方針」を理解していただくために粘り強く対話をしてきた拙者を意味不明な難癖をつけて投稿ブロックしようとしていることからも自論完全に行き詰まってしまった証左でしょう。ゆう氏は「独自の研究」振り回すことによって深田匠の著書「日本人の知らない二つのアメリカの世界戦略」(P72)を「無名の会報で発表された「プレアデス星人との会見」」と同等の「信頼できないヨタ話」と決め付けようといくら食い下がっても「独自の研究」の域を脱しえません。深田匠の著書「日本人の知らない二つのアメリカの世界戦略」(P72)を「信頼できないヨタ話」として発表している信頼できる著作なり報道があるのでしたら提出してください。その場合は議論に進展が見られるものと思います。ゆう氏の「独自の研究」は「発表された信頼できる著作なり報道」ではなく話しになりません。「願望や妄想を書く場ではありません。あなたの理想やあなたにしか見えない世界は心の中にしまっておくか、個人のウェブサイトで行ってください。」(ウィキペディアの方針)をよろしくご理解ください。Soular 2007年6月3日 (日) 08:25 (UTC)

さて、「ここまで」ですね。
まず、「事実」を書きます。
1.私は、「あなたが答えていない論点」を具体的に列挙しました。今回も、あなたからの具体的な回答はありませんでした。
2.私は、「逆に、もし私がコメントを漏らしている事項がありましたら、どうぞ、具体的にご指摘ください」と書きました。しかし、あなたからは、何の指摘もありませんでした。
普通の感覚では、誰の目にも、「議論は終わっている」状態であると思います。


しかし、今さら何を言い出すかと思ったら。「「信頼できないヨタ話」として発表している信頼できる著作なり報道があるのでしたら提出してください」って、「こんなマイナーな「会報」に載った、いかにも怪しげな話など(田中氏のお弟子さんを除けば)誰も相手にしていない」ということは、最初から我々の話の所与の「前提」だったと思うのですが。今さら議論を振り出しに戻してどうするんですか。
私の最初の方のレス、再掲しておきますね。あなたが、いつまでたっても答えられない質問です。
>例えば、ある方が、<名も知れぬマイナーな「会報」>に、「私はプレアデスから来た宇宙人と会見した」という手記を発表したとします。この方実は、自分が入手した「古文書」について、そこに宇宙人のことが書いてあったかのように記述を捏造して発表した実績があります。またよく読むと、「宇宙人と会見した」というのは、40年も前のこと。この間この方は、「宇宙人」の存在を主張する数多くの著作をモノにしていますが、不思議なことに、それまでの著作にはこのエピソードは全く登場しません。
>さてあなたは、こんな場合でも、「編集者は真偽の判定を下すべきではない」と考えて、このエピソードを百科事典の「宇宙人」の項に加えますか?
・・・と書いている間に、あなたはもう投稿ブロックになっていました。「投稿ブロックの方針3.3.5」に基づき、あなたが行った編集は差し戻しておきます。新参アカウントや休眠アカウントがあなたの編集に沿った編集を行ったら、すぐに「ソックパペット」とわかります。「Wikipediaの方針」をタテにとるあなたが、そんなとんでもない「方針違反」をすることはないであろう、と信じます。ゆう(matunami) 2007年6月4日 (月) 20:37 (UTC)
理にかなっていないので一応差し戻しました。議論内容はSoularさんに分がありますね。必要とあれば議論を引き継ぎます。Yagen 2007年6月5日 (火) 13:21 (UTC)

「議論を引き継ぐ」前にいきなりリバートをしないでください。しかし、ここまで露骨にソックパペットで出てくるとは思いませんでした。ゆう(matunami) 2007年6月5日 (火) 21:21 (UTC)

peace系の編集を差し戻しました

投稿ブロックの方針3.3.5(下記)に基づく差戻しです。方針に基づき、以降は、ノートのコメントも黙って削除することにしたいと思います。

「このため、投稿行動などから同一ユーザーであると一定以上の蓋然性をもって推測可能な場合は、新たなIPアドレスやIDに対して、前回の投稿ブロックと同一理由を持って投稿ブロックを実施しても良いこととします。この場合、緊急性があれば即時投稿ブロックができますが、ユーザーの同一性を他の複数ユーザーの目で判断するために通常の手続きによることを推奨します。この利用者による投稿は同一ユーザーであるという蓋然性を理由に差し戻すか、あるいは除去することができます。また編集合戦や編集合戦が予想されるために記事を保護する場合、この利用者による投稿は差し戻された状態で保護することになります。ゆう(matunami) 2007年6月5日 (火) 21:21 (UTC)


さて、その後peace系は、オープンプロキシやら海外串やらを駆使して、ひたすらブラインドリバートを繰り返しているようです。本記事の履歴より。

・2007年6月7日 (木) 16:09 62.150.76.251 (会話) (6,802 バイト) (ん~ん、ウィキペディアの目的から裁定すると「独自の研究」で出典つき編集を抹殺してしまうのはもっと方針外の害になっているとしか思えないだなぁ:)

・2007年6月8日 (金) 08:41 62.150.76.249 (会話) (6,816 バイト) (「独自研究」による「出典」付き編集の削除はお止めください。「Matunami氏にWikipedia:独自研究は載せないをご理解いただくために」)

・2007年6月9日 (土) 02:11 66.110.220.207 (会話) (6,816 バイト) (「出典」の内容を嘘と決め付けた削除は「中立的観点」にも反しています。コメント依頼で広く意見を募り合意を得るべき。)

いずれも上の方で私が説明し、peace系が全く答えられなかった論点だったのですが。知らんふりをして機械的に同じ主張を繰り返してどうしようというのでしょうか。なお、いずれのアドレスも、「オープンプロキシ」「海外串」の理由でブロック済みです。

一応「半保護」の依頼は出しましたが、おそらく今ごろ、半保護逃れのためのアカウントをせっせと量産しているものと思われます。こちら、しばらくは、「peace系を見分けるリトマス試験紙」になりそうです。

なお、このようなブラインドリバートに対する差戻しは、「アラシへの対処」として3rrの例外であることを、確認しておきます。ゆう(matunami) 2007年6月9日 (土) 00:52 (UTC)

「三大方針」について

*アカウントCrazypoint はpeace系ソックパペットとして無期限ブロックを受けました。投稿ブロックの方針3.3.5に基づき、同アカウントの2007年12月26日 (水) 04:16 (UTC)の編集を削除します。ゆう(matunami) 2007年12月26日 (水) 11:45 (UTC)

投稿ブロックの方針その改訂版は基本的に全ての手の利用者が従うべきウィキペディア日本語版の公式な方針、あるいはそれに準ずるものです。その方針に従った編集に意義があるのであれば、まずは方針自体を改定してください。--Checkthere 2007年12月26日 (水) 05:06 (UTC)

*アカウントXyliはpeace系ソックパペットとして無期限ブロックを受けました。投稿ブロックの方針3.3.5に基づき、同アカウントの2007年12月26日 (水) 09:49 (UTC)の編集を削除します。ゆう(matunami) 2007年12月26日 (水) 11:45 (UTC)

アカウントYou canはpeace系ソックパペットとして無期限ブロックを受けました。投稿ブロックの方針3.3.5に基づき、同アカウントの2007年12月31日 (月) 03:36 (UTC)の編集を削除しました。ゆう(matunami) 2008年1月11日 (金) 21:58 (UTC)

虚偽記載について

三大方針以前に蒋介石の自著日記という一次資料に『倭寇は南京であくなき惨殺と姦淫をくり広げている。野獣にも似たこの暴行は、もとより彼ら自身の滅亡を早めるものである。それにしても同胞の痛苦はその極に達しているのだ』(1938年1月22日、日本では産経新聞が1975年に蒋介石秘録に収録して出版)と記しているのであるから一次資料に準拠して削除が妥当。--Miwa.SS 2007年12月31日 (月) 02:44 (UTC) さらに言っておけば「日本人の知らない二つのアメリカの世界戦略」には昭和41年に台湾訪問団の一員だった田中正明が蒋介石から聞いた話として記したもので、伝聞にすぎません。田中正明が南京の件で資料改竄を行ったことは広く事実として知られています。そのうえこの記述は蒋介石発言を伝聞から当時直接であるように書き換え、その発言も松井処刑直後であるように改竄されて書かれています。出典が疑わしくさらに本文において改竄しているようなものは削除が妥当です。--Miwa.SS 2007年12月31日 (月) 03:02 (UTC)

アカウントYou canはpeace系ソックパペットとして無期限ブロックを受けました。投稿ブロックの方針3.3.5に基づき、同アカウントの2007年12月31日 (月) 03:18及び03:40 (UTC)の編集を削除しました。ゆう(matunami) 2008年1月11日 (金) 21:58 (UTC)
その出典とされているものに、そのような記述は無いので完全に加筆者の虚偽記載です。出典元「日本人の知らない二つのアメリカの世界戦略」の何処に「また、松井の死刑確定の一報が報じられたとき」などと書かれています?そのようなことは書かれていません。すなわちこの記述の加筆者は独自研究どころか出典を改竄したうえに虚偽を書き加えているのです。そのような記載は全く不要です。捏造された出典をもとに他を独自研究批判とは滑稽のきわみですね。出典を捏造したものを削除するのは当然と思いますがいかがですか?違うと主張されるのであればその証明をお願いします。--Miwa.SS 2007年12月31日 (月) 04:45 (UTC)
アカウントYou canはpeace系ソックパペットとして無期限ブロックを受けました。投稿ブロックの方針3.3.5に基づき、同アカウントの2007年12月31日 (月) 05:30(UTC)の編集を削除しました。ゆう(matunami) 2008年1月11日 (金) 21:58 (UTC)
虚偽を虚偽と指摘して何がおかしいのでしょうかね。時期が違うこと、蒋介石が述べて公式に記録されているわけでもなく田中正明に対して述べたたという伝聞に過ぎないこと。田中正明には松井の陣中日記改竄という致命傷があることを考えれば削除が適当でしょうね。さらにいえばそういった田中個人の意見のさらに孫引きでしかない深田のそれよりも、中華民国政府の資料や蒋介石の日記をもとにしている産経新聞社の蒋介石秘録のほうがよほど信用に足る資料です。ましてそのパル判事部分に至っては出典すら提示されていない。虚偽の出典を使っている段階で削除です。虚偽でないことを証明せずに差し戻していた貴方こそが荒しです。--Miwa.SS 2007年12月31日 (月) 06:54 (UTC)
アカウントYou canはpeace系ソックパペットとして無期限ブロックを受けました。投稿ブロックの方針3.3.5に基づき、同アカウントの2007年12月31日 (月) 07:07(UTC)の編集を削除しました。ゆう(matunami) 2008年1月11日 (金) 21:58 (UTC)

保護いたしました。

1週間の保護としました。年末年始となりますが編集合戦を繰り返さないように合意をお願いいたします。--海獺 2007年12月31日 (月) 04:53 (UTC)

田中正明の関連証言の復活についての提案

上記ノートを熟読させていただきました。論議の結果、PEACE系ということで削除となったのはわかりましたが、田中正明関連を松井石根にほとんど記載しないのも田中の経歴からして不自然だと思います。注意しながらその証言についても書いていくべきではないでしょうか?--Miwa.SS 2008年1月10日 (木) 00:26 (UTC)

ややこしくなりましたので一旦削除しました。「松井石根」を扱う記事としては、この部分をここまで長大にすることはかえってバランスを欠くのではないか、と思いますが・・・。MiwaSSさんがどうしても記述すべきとのご意見でしたら、(できればpeace系アラシが収まった後に)改めてお話合いをしたいと思います。ゆう(matunami) 2008年1月11日 (金) 21:46 (UTC)

テンプレートリダイレクトの修正

WP:PPol#単純な修正として、リダイレクトで呼び出されているテンプレートの差替えを提案します。不要になったリダイレクトは削除を依頼する予定です。

  • {{Infobox Military Person}} -> {{Infobox 軍人}}

3日ほど待って反対意見が付かなければ、WP:ANに依頼します。--Tatsujin28 2008年3月8日 (土) 18:28 (UTC)

依頼しました。[3] --Tatsujin28 2008年3月16日 (日) 13:56 (UTC)
対処していただきました[4]。--Tatsujin28 2008年3月19日 (水) 16:28 (UTC)

保護中の編集依頼について

[[fi:Iwane Matsui]] [[ko:마쓰이 이와네]] [[pl:Iwane Matsui]]

が追加されました。反対がなければ管理者伝言板に依頼します。日本語版と同じ順番のドイツ語版を参考にしました。--Tiyoringo 2008年12月7日 (日) 06:30 (UTC)

IP氏の加筆

おそらく深田氏著作に基づく加筆と思われますので補足しましたが、深田氏をソースとすること自体が問題なのでしたら、ご対処をお願いします。とりいそぎ報告まで。--ポコポコ 2009年5月15日 (金) 12:13 (UTC)

元々そのさらに出典たる興亜観音に照らし合わせてもこの記述は明らかに事実に反するので削除します。--Miwa.SS 2009年5月16日 (土) 08:36 (UTC)
IPユーザーによってまた加筆がなされたようです。過去の事情はあまりよく分からないのですが、どうしたものでしょうか。--ポコポコ 2009年5月16日 (土) 18:04 (UTC)
どうやらLTA:PEACEとして当該IPとアカウントがブロックされたようです。--ポコポコ 2009年5月22日 (金) 05:35 (UTC)

失礼します。素朴な疑問なんですが、これを[5]除去した理由はなんなのでしょう?記述したのはピースでもなさそうですし。「事実」かどうかをMiwa.SS氏が判断しないでいただけますでしょうか。事実かどうかではなく検証可能かどうかが重要なのは基本でしょう。反証があるならば、それも記載すれば良いだけのことです。何ら除去理由にはなっておりませんよ。早急に記載を戻すことを要請いたします。--PSIA 2009年5月30日 (土) 07:10 (UTC)

あまりこちらには関われないのですが、ご提案が出ていますので少し意見します。
このノートでの「田中正明氏のエピソードについて」節における、ゆう氏の最初の発言には留意するべきかと。例え田中氏の記述を載せるにせよ、田中氏と蒋介石、何応欽の間の矛盾は強調すべきです。問題の書き込みは、あたかも田中氏の方が正しいという印象を与えるものかと思います。この書き込みをそのまま復活させるのは問題があるかと思います。あと、この書き込みをしたIPは既にピース系としてブロックされています。--ポコポコ 2009年6月3日 (水) 10:13 (UTC)
正確に言えば「ピース系としてブロックされた」ですよね。ブロックも無期限ではないようですし。「事実に反する」などと編集者が事実かどうかを判断してこれら出典ある記述を除去することは[6][7]、除去理由にもなっておらず、荒れる原因にもなります(ピースだからという理由ならまだ理解はできるのですけどね)。蒋介石の回顧録で別のことを言っている等の反証もあるならば、それも単に記載しとけば良いだけのことではないでしょうか。その際に、ポコポコ氏も仰っているようにどちらが正しいと私たちが「印象を与える」書き方は問題であることは同意します。単に両方を書けばよいだけですから。「事実に反する」などと編集者が「事実」を判断して除去していたものですから、意見を言わせていただきました。もう一方の論を加筆すれば良いだけでしょう。--PSIA 2009年6月4日 (木) 10:59 (UTC)--PSIA 2009年6月4日 (木) 11:05 (UTC)

早坂隆のテキスト

早坂の記述をいれることには反対ではないですが、「日本の評価」を代表する位置に置くことは反対です。--京都市西京区会話2013年11月21日 (木) 14:27 (UTC)

位置的に問題ないと思います。そもそも、代表だなんて書いてないでしょう。他の意見が記載されてないだけ。逆に、日本の書籍で「非道な人物」のような記述は見たことありませんがね。--uaa会話2013年11月21日 (木) 14:32 (UTC)

花鳥風月さんの修正でいいですね。--京都市西京区会話2013年11月21日 (木) 14:55 (UTC)

欧米人の目に止まった松井大将

松井はなぜ絞首刑となったのか?その理由の一つに下記の事実(大アジア主義者=反欧米主義者)があるのではないか。このために「南京事件」の責任を取らされて(汚名を着せられて)処刑されたのではないか。Iwane 2014年2月17日 (月) 11:54 (UTC)

松井が受けた一つのインタビュー記事が、国際的な波紋を投じることとなった。

 それは一月三十一日付『ロンドン・タイムズ』に掲載された記事で、題名は「イギリスへの警告」と冠されていた。松井は『オリェンタル・アフェアーズ』誌の編集者であるM・ウッドへッドからのインタビューに答える形で、中国に関する自説を唱えた。その中で松井は、蒋介石政権への支援を続けるイギリスに対し、強い警鐘を鳴らしたのである。松井は、「イギリスが中国に有する権益を維持しようとし続けるのなら、日英関係は極めて深刻な事態になる」という自論を展開した。

 松井は、日中戦争の本質が実は「日英戦争」であることを見抜いている。中国を長年にわたって植民地としてきたイギリスについて、松井は元来、厳しい見方を下していた。この松井の発言はイギリスで問題視され、日英関係に齟齬を生む契機となった。日本における反英運動は年々、高まりを見せつつあったが、松井は反英派の代表的人物として喧伝され、その結果、日本国内の親英派からも眉をひそめられることとなった。外務大臣である広田弘毅は、対英関係の修復に追われた。

 「日中親善論者」の松井が、「対外強硬論者」として、国際的な批判の矢面へと晒された。松井の「大亜細亜主義」は、イギリスをはじめとする欧米列強の眼には、自らの国益を脅かす好戦的な危険思想と映ったのである。

早坂隆「松井石根と南京事件の真実」文春新書,2011年.210-211page

出典の選択について

Wikipediaは非常に偏った内容かと。 出典自体に取捨選択、偏りが見られ、いわゆる一般書、特に保守系の一般書ばかりを、”都合よく”引用している。

 学術書や近現代史の学会などの専門誌などの引用がほとんどないのは、どういうことか? 素人が書き、誰も検証をしないからこういうことになる。