ノート:日清戦争

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「旅順口事件」[編集]

  1. 「旅順虐殺事件」というのは井上晴樹氏の著作で問題とされているものの、一般的に事実で有ると確認された事件ではないと考える為、修正を加えました。更に元への変更を希望される場合はコメントを残してください。
横から失礼します。本文で「なかった」、ノートで「一般的に事実で有ると確認された事件ではない」とされますが、歴史研究者の藤村道生氏は有ったと言われてますし、最近でた一般向けの菊池秀明氏の『中国の歴史ーラストエンペラーと近代中国』にも記載されています。また論文でも大谷正「旅順虐殺事件の一考察」(『近代日本の対外宣伝』(研文社、1994年)が有ります。英語版Wikipediaにも記載があり、なおかつ「the Port Arthur Massacre」という項目までたてられています。ですので井上晴樹氏の著作でのみ取り上げられているわけではありません。自由主義史観の立場をとる人も認めているようですし。以上から考えて無かったと記載するのは誤りであって、現在の歴史研究を反映させるべきではないでしょうか?--Dokuotou 2006年3月25日 (土) 04:50 (UTC)[返信]
加筆訂正編集方針説明・・・IP氏が訂正されないようなので、書き換えてみました。「なかった」/「あった」が論点となっていますが、勉強不足のためか「なかった」という学術研究を見いだせなかったので、「あった」の方向で書き直しました。アルべール・ダネタンの証言については磯見辰典他共著『日本・ベルギー関係史』(白水社、1989)しか言及しているものを見つけられませんでした。この本も証言を紹介するだけで、事件そのものの有無を論じている訳ではありません。この証言に基づき「なかった」とする研究が有ればご紹介願います。
一方藤村道生『日清戦争』(岩波新書、1979)や大江志乃夫『東アジア史としての日清戦争』(立風書房、1998)、『日清戦争と東アジア世界の変容』上下巻(ゆまに書房、1997)などどれも事件が「あった」という前提で書かれています。中国人研究者においても「なかった」というのは有りませんでした。いうまでもなく「あった」とする諸研究にも直接見聞した証言(日本人側・中国人側とも)が引用されています。事件そのものについては私見をまじえず、現在の歴史研究の成果にそって書いたつもりです。南京大虐殺との関連の箇所については、秦郁彦氏や笠原十九司氏の論文のように比較したものがあるのは知っていますが、編集合戦になりそうなので、一旦はずしました。編集に関する私見ですが、「あった」とする証言も500人~数千人と幅があるので記載しない方が無難かも知れません。犠牲者数など記載するので有れば、英語版Wikipediaのように別項目「旅順虐殺事件」で書いた方が適切かと思います。「なかった」という方向で訂正される場合、拠って立つ学術研究をご教授ください。こちらも読んでみますので。--Dokuotou 2006年3月26日 (日) 14:57 (UTC)[返信]

日本の外交文書や公式文書、歴史書では「旅順口事件」です。歴史に「虐殺」を使うのは偏ったイデオロギーに染まった異常な学者だけです。--202.147.213.226 2006年10月2日 (月) 10:34 (UTC)[返信]

時代が下ると外交文書や公式文書の呼称とは別の呼称を使用することがあります。今回はそのケースです。「異常な学者」といいますが、それ自体名誉毀損に当たる発言ですし、訂正のためには「異常」ではない歴史研究者の著作を提示してください。--獨頭 2006年10月2日 (月) 10:40 (UTC)[返信]

仮に私が「旅順口ポコチン事件」で著作すれば「旅順口ポコチン事件」に名称が変わる? 個人か何と呼ぼうと公式の「旅順口事件」で日本国内では統一すべきでしょう。--202.147.213.226 2006年10月2日 (月) 11:09 (UTC)[返信]

違います。あなたがなんと呼ぼうと変更されません。言うまでもなくわたしがどう呼んでも変わりません。本名でもって文責を担わず執筆するものにそんな権限はありません。あくまで近年の研究成果によって決定すべきだと述べているのです。変更したければ、202.147.213.226さんが、査読論文にてそう主張し、他の研究者を説得すればよろしい。しかしそれまでは現在支持されている名称を使用すべきです。それとこのノートは後々まで残るものなので下品な言い回しは止めてください。あなたの品性を下げるだけです。--獨頭 2006年10月2日 (月) 11:21 (UTC)[返信]

リンク[編集]

愛刀哀剣物語という創作ネタサイトにリンクされているので削除しました。 日清戦争と無関係だとおもうのですがこの項目に関係があるようでしたら教えてください。--221.188.55.143 2006年10月9日 (月) 12:43 (UTC)[返信]

前史[編集]

日清戦争の背景として日本、中国、朝鮮、琉球間の前史としての関係については記述が必要と考え、一部を脚注に移しつつ復活させました。 「戦争の経過」はTrudi3194 さんの編集で整理されていると思います。--利用者:fukupulio2009年4月19日(日)

「大日本帝国」の一律書き換えについて[編集]

百科事典の単なる使用例を出典と称して、文脈を無視した「大日本帝国」を「日本」への一律書き換えが行なわれていますが、なんとか社の百科事典は単なる使用例に過ぎず、「大日本帝国」の表記を排除する根拠にはなっていません。もし出典とするならば、「大日本帝国と言う表記は使ってはいけない」ということが理由と共に示された資料であり、いくら百科事典や学術書を並べ立てても「使用例がない」とする根拠にはなりません。的外れな出典です。この記事でOmaemona1982氏が書き換えたヶ所はいずれも「清国」に対する日本の国号であり、文脈を無視した言葉狩りでしかありません。--uaa 2009年10月2日 (金) 19:33 (UTC)[返信]

「大日本帝国」の語の使用が百科事典などに一般的ではないことの証明にはなっております。存在しないとまでは言わなくともマイナーな表記をあえて優先する理由はありません。--Omaemona1982 2009年10月3日 (土) 06:24 (UTC)[返信]

英国ロンドンタイムズが出典の場合[編集]

武猫さん。Times Onlineを検索して、元々の記事自体を、出典情報として記すことはできないてでしょうか。--rshiba 2009年10月8日 (木) 08:31 (UTC)[返信]

タイムズオンラインを、1894年6月~1895年5月の範囲で検索してみました。「Japan」(1942件)、「China」(3477件)、「Japan China」(1387件、うち日清戦争に関するもの12件)です。--rshiba 2009年10月14日 (水) 01:29 (UTC)[返信]

Youtubeリンク除去について[編集]

表題通りYoutubeは典拠になり得ません。Youtubeの中で資料に言及していても、同じです。研究者の資料批判が行われているわけではないからです。Wikipedia:井戸端/subj/YouTubeへの外部リンクWikipedia:井戸端/subj/Youtubeの動画は一次資料として有効かどうか?を参照してください。信頼できる情報源も重要です。

併せていうと、仮に『申報』などの一時資料をWikipedianが実際に図書館などでみて「・・・」と書いてあるというの見つけ、Wikipediaに書き込むこともできません。それは、「Wikipedia:独自研究は載せない」にあるように何ら権威のない人間の意見に過ぎないからです。簡単に言えば、『東方見聞録』に「黄金の国日本」と記載されているからといって、当時の日本家屋が金で作られていたと研究者が考えることはありえません。1つの資料はその資料的価値を研究者が推し量りつつ、他の資料との連関の中で歴史的事実を語らせるものです。その行為は、それなりの訓練が必要ですから、匿名のWikipedianの意見が入る余地はありません。資料を引用するのであれば、査読研究書などを書いているような研究者の著作から解釈ごと引用するべきと思います。--118.105.228.35 2009年10月13日 (火) 15:07 (UTC)[返信]

事実を記述することと、評価を加筆することは別のことです。"タイムズ紙1894年9月某日の社説「此処彼方某筋挙動」に、「あ~だ、ご~だ」と、〇〇の戦いについて記されている。"と引用文として書くことはできます。これはそういう記述があること自体を一つの事実として記述しているだけですから。しかし、タイムズの記述を地の文に落として、〇〇の戦いはあ~だ、こ~だ。と自分の評価として書いたならば、Wikipedia編集者としての評価ということになりますから、これについては、118.105.228.35さんの指摘の通りです。一つ前の項目で既に指摘したように、武猫さんは、オンラインでタイムズの該当する記事を探して、前者のスタイルで、こういう記事があるという事実の記述を行い、脚注を付けて情報源を明記すればよかったのです。--rshiba 2009年10月14日 (水) 00:51 (UTC)[返信]
こんにちは。私は別に批判もしてないし、変な思想を風潮しているわけでもありません。今は時間がありませんので後で出典を調べるつもりだっただけです。通常なら出典要などにしますが、合意もなくいきなり白紙化はひどいと感じました。あなたの信条なのでしょうが周りを気遣ってください。
その前にIPさんの発言を見て思ったのですが
>仮に『申報』などの一時資料をWikipediaが実際に図書館などでみて「・・・」と書いてあるというの見つけ、Wikipediaに書き込むこともできません。それは、「Wikipedia:独自研究は載せない」にあるように何ら権威のない人間の意見に過ぎないからです。
>>あなたの信条はわかりましたが、もう一度、Wikipediaは何であるかをお読みになられた方が良いと思います。もう一度、wikiルールについて調べてみてください。なお、戦争については以後注意してほしい(´・ω・`)みなさんわかったね(`・ω・´)
>簡単に言えば、『東方見聞録』に「黄金の国日本」と記載されているからといって、当時の日本家屋が金で作られていたと研究者が考えることはありえません。
>>たとえが悪いというか、話の次元が違うと思います。別に私は出典を使って自分の信条を訴えているわけありません。ただタイムズや申報に書いてあったことを書いているだけです。確かにその出典をどう使うか判断したのは私ですけど。それについての反論でしたら歓迎します。
ただ、Wikipediaで議論するならば、反対に当時の戦争に中華思想などのイデオロギーが含まれていないという証明をお願いします。そうしなければ多分議論は成立しないと思います。--武猫 2009年10月15日 (木) 03:19 (UTC)[返信]