ノート:日本における同性愛

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どうして同性愛について性行為の中心に描写するのでしょうか?[編集]

同性愛は性的指向です。 余計な圧力と偏見と無知、 先天的な自虐ゲイ、 女性行動をする少数のおかまに対する説明は 今の時代には無意味だと思います。 欧の人権運動をキリスト教の差別が強いためだと誇張することも問題があります。 差別主義者たちは世界的にほとんど似ています。 そして、日本は寛大だという文句とは違って、テキストの末尾部分にはむしろ日本の差別の状況を詳しく叙述しています。 これが寛大なのでしょうか。 矛盾です。 日本は寛大なのではなく、存在自体を無視していると思います。 議論さえしていないこと自体が無視です。--以上の署名のないコメントは、Здравствуйте7会話投稿記録)さんが 2015年2月25日 (水) 20:51 (UTC) に投稿したものです(Isamit会話)による付記)。[返信]

当該箇所を除去[編集]

当該箇所を除去した者です。Wikipedia:検証可能性Wikipedia:出典を明記するは読んでおられると思いますが、念のために一言だけ。日本における同性愛差分で「WEBの記事や何かで読んだ記憶がある」からといって{{要出典範囲}}を貼りながら加筆しておられますが、今後はウィキペディアではこういう編集をやめていただけますでしょうか。--123.224.163.132 2014年10月19日 (日) 09:21 (UTC)[返信]

西郷隆盛と月照[編集]

本文中に『1858年(安政五年)11月16日 - 西郷吉之助(西郷隆盛)と僧・月照が、日向国にむかう途中に錦江湾に入水し、同性心中を図る。西郷のみ一命を取り留める。』とありますが、西郷隆盛と月照が入水自殺を図ったのは島津斉彬死後の薩摩藩の政情に絶望したためであり、西郷隆盛と月照が同性愛や衆道の関係にあったわけではありません。

西郷と月照が男色関係にあったとする説を記した文献が示されていないのであれば、除去してしまうかコメントアウトしても問題はなかろうと思います。確かに西郷と月照の入水は政治的背景から説明されるのが一般的であろうと思いますし、男色があったとする根拠が不明です。--でここ会話2016年4月2日 (土) 12:22 (UTC)[返信]

外部リンク修正[編集]

編集者の皆さんこんにちは、

日本における同性愛」上の5個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。

ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2019年4月19日 (金) 16:36 (UTC)[返信]

「歴史」節について[編集]

現状の記述では、男性同性愛の説明が主になっていると考えます。本記事が日本における同性愛を解説するものである以上、女性同性愛やレズビアンに関する説明も必要ではないでしょうか。ただ、加筆を行う場合、男性同性愛史と女性同性愛史を別に分けて記述すべきかもしれません。--Dokuo350会話2023年3月14日 (火) 14:40 (UTC)[返信]