ノート:新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論

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事実に矛盾する記述[編集]

国策映画「南京」は東宝制作です。東映ではありません。あしからず。

「国策映画である東映作の南京広報映画をそのまま真実として描いている。」 東映のリンクを見てもらえばわかると思いますが、東映という会社ができたのは戦後です。戦後にできた会社がいつ国策映画を作ったのでしょうか?明らかに事実と矛盾しているので削除すべきです。--203.180.86.200 2006年9月27日 (水) 04:45 (UTC)[返信]

とりあえず、まずは編集を可能にするべきでは無いでしょうか。 この客観性を欠いた状態で固定するのは余りにも・・・ その都度、修正し続けるのがwikiのあるべき状態で、一部の人に取っての「私的に大事な物」程度を守るための「独裁」になってはいけないでしょう。そもそも、wikiはそんなに厳格に考えるべきではないはず。

--Dash 2006年10月13日 (金) 19:19 (UTC)

東宝の書き間違いでしょう。その節に関して編集合戦となったために保護されており、どのような編集にするか議論してから解除依頼が適当かと。節を作った者として修正に必要性は感じていますが、書いてあることに関して一応事実ですから全削除までは必要ないかと。--219市115丁223番151号 2006年10月14日 (土) 22:33 (UTC)[返信]

「わしズムVol 7」で、小林よしのりは、当初の「つくる会」は、「大東亜戦争肯定論」ではなく、藤岡信勝による「日露までは良かった、昭和の戦争は間違っていた」という司馬史観であり、戦争論のヒットの後、大東亜戦争肯定論に行ったと発言しています。100%事実かは別として、つくる会の意図に従って書いたという記述は再考の余地があるのでは。

それから、「中国人を征服王朝の血の混じった劣った民族と描いているが、それはつまりウイグル系、モンゴル系、女真系を劣った民族とする人種差別である。有色人種対白人と言う構図自体矛盾をきたしている。 」とありますが、戦争論3を見る限り、そのような記述は存在していません。 --Dash 2006年10月15日 (日) 14:14 (UTC)

意見の分かれるこのような項目が、批判的なスタンスで書かれたまま保護されている状況を見て非常にがっかりしました。 これはウィキペディアの中心人物が、現在の記述内容と同様の信条を持っているのではないかと邪推してしまいます。 そのフィルターがかかっているのかとおもうと、ウィキペディアに対する興味が薄れます。 もっと中立的な記述になるように編集を再開すべきだとおもいます。

そもそもウィキペディアなんてそんなもんですよ。文責が明らかでないものを安易に信用しないようにしましょう。--Michael Friedrich 2007年2月27日 (火) 14:40 (UTC)[返信]

明らかに半年以上の保護は異常でしょう。それに個人的に何度か著作権がどうのこうのと因縁をつけられ何度か削除されたことがあるんですがここにかいてある批判(それも一方的でそれらの反対意見とかもない)なんて明らかにどっかから引っ張り出してきたようなのばかりじゃないですか。220.144.140.57 2007年3月5日 (月) 18:57 (UTC)[返信]

どっかから引っ張り出してきたものなんてのは、当たり前のことです。それは情報ソースがあるということでむしろ奨励されるべきであり、批判理由にはなりえません。著作権が問題になるのは、引用元を明らかにせずに他者の書いた文章をそのまま用いた場合などであり、「どっかから引っ張り出してきた」=「著作権無視」ではありません。
「半年以上の保護は異常」といわれても、保護解除したらまた編集合戦が起こる可能性が非常に高いですよね。もしも「半年たったから大丈夫」と思われるのであればWikipedia:保護解除依頼に提出すればいいですし、そこで保護が解除の同意が得られなかった場合はノートで議論して合意を得るしかありません。恐らく現段階では保護解除依頼に出しても「ノートでの合意なし」と退けられてしまうと思います。
ノートで合意を得る方法は、まずは具体的な修正案を提示することです。現段階では、「ここがいけないから保護解除して直したい」「中立的でない」という意見しかなく、保護解除後の編集合戦を防ぐ手立てが考えられていません。どっちも合意できる修正案を提示しない限り、保護解除は難しいでしょう。「この記述はのこすがこの記述はこれこれこのような理由から削除すべき」「肯定派のこのような意見を記述し公平性を期すべし」などです。個別箇所の修正案だけではなく、合意を得るための全体を見渡すような、記述の「ルール」を設けるべきでしょう。最低でも、「歴史的な記述の問題点」を残すか否かというそもそもの問題を解決しなくてはなりません。最終的には投票になる可能性も高いですね。
合意を得るための案がなくはないのですが、私は現在の記述に否定的でないので、保護解除派の方からの案が出るまで私の案は保留します。--Michael Friedrich 2007年3月12日 (月) 06:14 (UTC)[返信]

編集合戦が起ったら起こったでまた保護するなり、すればいいと思います。2ヶ月ぐらいのスパンで。せめて半保護ぐらいならよいのでは。

私は前にある記事を出典を参考にし明記して書いたのですが左翼陣営に都合が悪い記事と判断されてかログごと削られた経験があります。著作権を都合によって悪用するダブスタと判断されても仕方ないと思いますが。また、ここでいっぺんにいいますが、相対化する記事が結果的に左翼陣営に都合が悪いと相対化した部分を削られることも気に入らないですね。60.236.12.113 2007年3月21日 (水) 15:09 (UTC)[返信]

具体的にどの記事にどんな内容を書いたのかわからないのでコメントできませんが、ログごと削られたのであれば、個人の判断ではなく削除依頼にて部分削除の同意が得られたのでしょうから、主張の問題ではなくウィキペディアのルールに反していたのでしょう。ただ単に「気に入らない」という話はノートに書くべき内容ではありません。保護解除を求めるのであれば、ここでウィキペディアのルールについて文句を言うのではなく保護解除依頼に出してください。あなたの主張が認められれば解除されます。あたかもウィキペディアが左翼陣営の陰謀によって動いているといわんばかりの態度はあんまり感心できませんね。--Michael Friedrich 2007年3月25日 (日) 09:52 (UTC)[返信]
>左翼陣営の陰謀
実際そうじゃないでしょうか?左翼的な行動に(意図せずして)批判的な記事の後には相対化する内容が素早くかかれますが、逆に関してはほっとかれるか、相対化しても何時の間にか消されてる気がするんですけどねえwそれに、合意を得られたといったって一部の人の合意で消すことが出来るんでしょう。60.236.12.113 2007年3月25日 (日) 16:24 (UTC)[返信]
貴方の発言が具体的に何を指しているのかわからないし、チャットする場所じゃないんであんまり深くは言いませんが、あくまで推測で申し上げますと、右翼的だろうが左翼的だろうが「評価」しようとする文章は消されることが多いです。「だれだれはこのような評価を下した」という文章なら別ですけどね。
ですからこの『戦争論』の記事でも「歴史的記述の問題点」は(一部異論があるようだが)歴史と照らし合わせた上での事実である評価ではない。それに対し書籍内容の「しかし、歴史記述の明らかな誤りや資料改竄、論理的におかしい記述などが見られ歴史的な予備知識が無いとかえって間違いを犯すこととなる。他の『ゴーマニズム宣言』と同じく、論理の緻密さより、絵の迫力にて、扇情的に訴えかけてくる。 」というのは消されても仕方が無い文章でしょうね。
一部の人の合意といいますが、それは貴方がルールを知らないだけです。合意形成のための議論への参加資格は誰にでもあります。削除依頼が出れば必ずこんな風に「削除依頼が出ている」として議論への参加が呼びかけられます。参加するかしないかは貴方の自由です。ですから貴方の「一部の人の合意で~」という主張は意味を成しません。「一部の人の合意で決まる」からと選挙に行かずに文句を言うようなものです。これはウィキペディアのルールです。そのルールに従えないのであれば、ルールを変えるよう提案するか、その場を離れるかのどちらかです。
また、そもそもウィキペディアはそんな大したものじゃありません。分析が明らかでないものは、アカデミズムの立場からすればどんなに正確だろうと論外です。調べ物の参考にはなるかもね、程度の認識でいるべきです。まあ、ウィキペディアを無批判に信用する輩が多いんで困るのは確かですけどね。
とにかく、左翼陣営の陰謀というような発言は問題発言となりかねませんし、文句をたれるだけの書き込みならばノートページにはするべきじゃないと思いますよ。--Michael Friedrich 2007年3月26日 (月) 02:42 (UTC)[返信]

>ある記事を出典を参考にし明記して書いたのですが左翼陣営に都合が悪い記事と判断されてかログごと削られた

削除時の議論を提示してください。 wikipediaでは記事がログごと削除されても、削除時の議論のログは残るので。 60.236.12.113さんのおっしゃる事が本当なら大問題ですし。

219.35.139.100 2007年4月2日 (月) 17:49 (UTC)[返信]

戦争論1の説明の、

  • 「しかし、誤った歴史記述等もあり、歴史的な予備知識が無いと間違いを犯すこともあり得る。」

の論理性に疑問です。これでは「戦争論1」のみ特別おかしく、「戦争論2、3」は100%正しい、と解釈可能ですが、そもそも戦争論の特徴は、史料に基づいても解釈が分かれる歴史という物を、(史料に基づいてはいるが)主観的に解釈した部分にあるので、ここで論理が成り立つとすれば「解釈以前に、戦争論1のみ史料解釈が間違っていた」以外には存在しないはずです。

しかし実際、戦争論シリーズに、そこまで史料検証能力の差はない(戦争論1が格別酷いとは言えない)のでこれも成り立たない。戦争論1の該当箇所は削除して、批判のコーナーに、言われるような「戦争論」の可謬性を考慮し

  • 「本書の内容や記載法に対しては、以下のような批判がある。そもそも戦争論は、「歴史に小林よしのりの主観を投じる」という点が特徴であるが、歴史は同じ史実ですら解釈の違いが生じるものであり、批判が多くなるのも当然の帰結とは言える。その批判にも、様々なレベルの物が存在するが、ひとまず多く寄せられる物を掲載しているので、判断は各自で行っていただきたい。なお、南京大虐殺に関するものは、南京大虐殺論争での議論と重複するためそちらを参照されたい。」

と書きたいと思います。 --219.187.69.93 2007年12月10日 (月) 03:58 (UTC)[返信]

219.187.69.93さんの断り書きの意図がよくわかりません。少なくともウィキペディアではこうした書き方は歓迎されません。Wikipedia:出典を明記するWikipedia:検証可能性をご覧ください。
>そもそも戦争論は、「歴史に小林よしのりの主観を投じる」という点が特徴である
誰がどの本の中でそのように言っているのですか?私には初耳です。Wikipedia:独自研究は載せないをご覧ください。
>ひとまず多く寄せられる物を掲載しているので
「多く寄せられる」とはどのような基準で判断したのですか?そもそも誰がどこで言った批判なのですか?ほとんど出典が明記されていないのですが。Wikipedia:言葉を濁さないをご覧ください。
以上の点を改善するべきだと思います。--220.100.69.170 2008年3月18日 (火) 14:18 (UTC)[返信]
出典が出されないので削除しました。--220.100.55.57 2008年6月20日 (金) 11:49 (UTC)[返信]
「批判」の項目がほとんど削除されていましたが、復活しました。上の議論をみればわかるように、議論されたのは19.187.69.93氏の追記に関する是非のみです。ですので、削るなら19.187.69.93氏の追記部分のみにしてください。

60.39.233.45 2008年7月2日 (水) 16:42 (UTC)[返信]

客観性を欠く記事[編集]

「歴史的な記述の問題点」の第1巻に関する項目に「中国人・朝鮮人や交戦国の人物を醜く描く一方、日本の味方や友好的な人物は普通の顔として描かれており、平等性にかける。」という記事がありますが、人物を醜く描いているかどうかは読者の主観でしか判断できません(小林氏本人が「わざと醜く描いている」と発言していれば話は別ですが)。また、人物の描き方についても「歴史的な記述」にはあたらず記事には不適当です。明らかに客観性に欠ける記事ですので削除するべきです。--210.159.240.181 2007年2月9日 (金) 05:26 (UTC)[返信]

そのような批判が『戦争論』の批判本でなされている事実があり、また醜く描かれているかどうかは絵を見れば一目瞭然で、モナリザが笑っているか泣いているかという判断ぐらい明らかなことで、「主観」とはいえないと思います。「歴史的な」記述の問題点でないから削除というのであれば、項目名を「歴史的な記述の問題点」ではなく「問題点」とすればいいので、削除理由にはなりません。--Michael Friedrich 2007年2月27日 (火) 14:36 (UTC)[返信]
「そのような批判が『戦争論』の批判本でなされている事実があり」ならば、出典を明記すべきでしょう。「一目瞭然」であろうがなかろうが、それが投稿者の個人的な意見でしかなければ、削除は免れません。
その上で、「醜く描かれている」に異論があるということなら、誰が「醜く描かれている」と言っているのかを文中に明示する(「○○は醜くかかれていると言っている」のように記述する)とともに、反対意見の記述も許すということになるのではないでしょうか(「△△は別に醜くないと言っている」のような記述も(信頼に足るソースの情報であれば)容認する)。--Dwy 2007年3月12日 (月) 07:22 (UTC)[返信]

出典を発見しました。 「と学会」の『トンデモ本の世界R』のp14~15です。以下引用:

このマンガの中では、日本人や日本に行為的な人物はおおむね端正な顔で描かれているのに対し、
欧米人や中国人は悪魔のような顔で書かれている。
その他の東南アジア人にいたっては、まともに顔さえ描かれていない。

219.35.139.100 2007年4月2日 (月) 17:36 (UTC)[返信]

しかし、「一目瞭然」とはいえ最終的な判断は結局読者の主観に委ねられることになるはずです。また作者本人が「醜く描いている」と発言していない以上批判本にある批判は憶測の域を出ないのではないでしょうか。なぜなら人物の描き方について本当に「意図的に描いたのか」それとも「描いたらそうなったのか」は描いた本人にしかわかりません。それとも問題の記事を書いている人は小林氏の考えている事がわかるというのですかね?
また、人物のあの書き方は小林氏の作風ではないでしょうか。作風というのは人によって異なる個性のはずです。ウィキペディアはいつから人の個性を批判して良い事になったのですか?

--211.13.11.42 2007年4月19日 (木) 11:47 (UTC)[返信]

「主観を載せない」とするなら、そもそも「戦争論」の記事に小林氏の主観を載せる事ができなくなってしまいますが…。
出典が明らかになったのですから、載せるべきでは?--219.35.139.100 2007年4月19日 (木) 15:15 (UTC)[返信]
批判がある場合、書いてはいけないのは「自分の意見」であり、「このような批判意見がある」ということは書いていいことになっています。ですので「ウィキペディアはいつから人の個性を批判して良い事になったのですか?」という批判は的外れです。--Michael Friedrich 2007年4月23日 (月) 13:42 (UTC)[返信]

すでに2週間以上再反論が出ていません。「出典を明記した上で、載せる」という結論でよいでしょうか。219.35.139.100 2007年5月9日 (水) 16:17 (UTC)[返信]

出典がある以上(出典の信頼性に異議が出ない限り)、当該情報を記述できない理由はないと思います。但し、中立的な観点での記述になるように、配慮することは必要でしょう。
この点、現在の版の記述の仕方はかなり問題がありそうです。私としては、少なくとも、「歴史的な記述の問題点」という節のタイトルは「歴史的な記述に関する批判」のようにすべきだし、「本書の内容はその記載法その他に疑問が残る物である」は「本書の内容や記載法に対しては、以下のような批判がある」のように書くべきだろうと思います。--Dwy 2007年5月10日 (木) 10:35 (UTC)[返信]
以上2つの修正に賛成します。219.35.139.100 2007年5月12日 (土) 16:44 (UTC)[返信]
「批判」に関してですが、現在の内容ならば通常のゴーマニズム宣言の「漫画による思想表現」項目とかぶっていて、しかも山本弘氏に限定した主張でもありませんから、あえて「戦争論」の項目に残す必要性が薄いように思います。--Mute 2008年6月29日 (日) 05:58 (UTC)[返信]
かぶってる部分もありますが、かぶってない部分も多々あるように見えます。60.39.233.45 2008年7月2日 (水) 16:38 (UTC)[返信]
あなたが復活させた記述ではなく、レスした2008年6月29日当時のことです。「山本弘は「このマンガの中では、日本人や日本に好意的な人物はおおむね端正な顔で描かれているのに対し、欧米人や中国人は悪魔のような顔で書かれている。その他の東南アジア人にいたっては、まともに顔さえ描かれていない」と、だけ書いてありました。これに関しては通常のゴー宣の「漫画による思想表現」項目で、小林の作風に関してより詳しく書いてあります。つまりゴー宣全体の特徴であり、あえて山本弘氏の批判として、戦争論の項目に入れる必要はないと感じました。現在のも、改めて読んでみましたが、大量削除に至った理由を見た限りは、山本氏のその記述以外、ソースが無いことですよね?こういう状態で掲載されている項目ってあまり無いと思うので、ノートで出典を募った方が良いのではないでしょうか。とりあえず積極的に削除はいたしませんが、削除されたとしても反対はしません。--Mute 2008年7月3日 (木) 02:00 (UTC)[返信]

吉田裕による書評[編集]

私としては、hiroyukiさんが引用された吉田氏の見解は、 「本来の大東亜戦争肯定論」の曖昧さと、本筋とさして関係のない部分の引用で 全体を定義しているに過ぎず、何かの根拠があるとは思えませんので、 「書籍内容」に文章を連結するのは、意味が無いと思います。いかがでしょうか?--Mute 2008年3月1日 (土) 15:02 (UTC)[返信]

本来の大東亜戦争肯定論については、その上の記述で、60年代にあったような大東亜戦争肯定論、戦争を丸ごと肯定する、戦争目的そのものを肯定するという表現が出ています(いづれも全肯定、悪い面を全否定の意味)。内容に齟齬があるというのであれば、編集はお任せします。 --Yhiroyuki 2008年3月1日 (土) 16:12 (UTC)[返信]
  • 了解いたしました。戦争論1の全体の内容を考えると「アジア解放の大東亜戦争肯定論」を主張していると思います。林房雄のそれでも「負けて悔いなき戦争」という言い方をしています。私の読み方では、該当箇所の前で、「日本の植民地支配の肯定」を行っていて、それに対する、いわゆる小林いわくの「サヨクの反論」を予測した内容だと思いましたので、少々気になって、反論させていただきました。お気を悪くなさらないでいただければ幸いです。一応、戦争論1の「批判項目」の方に移動させていただこうかと思います。--Mute 2008年3月2日 (日) 04:27 (UTC)[返信]

『ゴーマニズム宣言スペシャル国防論』[編集]

2011年9月刊行。愛国心のマンガ自衛隊のマンガのちの国防軍のマンガゴーマニズム宣言SPECIAL 続編でもあるカウントダウンメルトダウン上の内容消えたフリー百科の3月19日のゴーニズム宣言の内容。

『ゴーマニズム宣言スペシャル脱原発論』[編集]