ノート:数学基礎論

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関連項目について[編集]

関連項目リンクに中二病を掲載するのは全く理解できないのですが、その真意をお尋ねしたいです。--Tkcom会話2013年8月21日 (水) 13:15 (UTC)[返信]

横から失礼します。I.hidekazuさんがこのページをウォッチリストに入れているとは限りません。ここでの議論に気付かない可能性もあるでしょう。対話を呼びかけるつもりなのであれば、最低限の礼儀として、対話相手の会話ページで当該ページへの誘導を行うべきなのではないですか?--123.225.83.183 2013年8月21日 (水) 13:35 (UTC)[返信]
会話ページに掲載しました。--Tkcom会話2013年8月22日 (木) 04:49 (UTC)[返信]

回答[編集]

数学基礎論なるものについて長らく調べていたが、中二病を関連項目リンクに掲載することに問題があるとは思われない。--I.hidekazu会話2013年8月22日 (木) 13:16 (UTC)[返信]

冒頭部の編集について[編集]

この編集[1]についてですが、この直前の版、そして今の版に対して違和感を覚えるからです。 数学基礎論を、数理論理学超数学とほぼ同義とするのは、例え出典があったとしても余りにも雑駁すぎるからです。読んで字の如く、数学の基礎(公理とか)の論が数学基礎論であるし、数理ないし数学的方法をもって論理学を行うのが数理論理学であるし、超数学はメタ数学であって数学を対象にする数学であるというそれぞれの語の棲み分けがあるはずです。それをほぼ同義であるというのは、あまりに雑すぎる。入門者や初学者にとってはそれでも良いのかもしれないが、あくまで入門書は入門書であってそれ以上でもそれ以外でもない。数学基礎論の教室を出た身として、数学基礎論を志すないし興味がある人にとっては、その記述が、学部初年生くらいなら納得したとしても、実際に基礎論を学んでみるとその言葉遣いの雑さにびっくりするかと思います。ほぼ同義ほぼの部分には、それくらいの言葉遣いの落差があると思っていますし、このほぼは出典の編者たちの妥協の産物だとわたしは思います。ほぼ同義なのであって同義ではない、そのことをここで強調しておきます。これは、基礎論を学んだことがあるものが社会の、そして数学者のうちのごく少数派であるから仕方のないことなのかもしれません。 冒頭部について、他に記述の仕様がないかを探ってみたところ、岩波数学辞典第3版(手許にあるのがこれのため)には数学基礎論の項目には、歴史的経緯から数学基礎論という語についての記述があった。歴史的経緯を書こうにもそれだけで、一節になると思うので、他の人に譲ります。(数学基礎論についてアレコレ確固たるかたちでわたしが書けるならとっくに書いてます)--おいらのオイラー会話2022年9月23日 (金) 07:49 (UTC)[返信]

コメント 「議論の余地がない」と称する検証可能性は「出典が明示されていない編集は、誰でも取り除くことができます(出典のない記述は除去されても文句は言えません)」としており、原理的には今の数学基礎論の記事は[2]、冒頭部以外が除去されかねない状態だろうなと思います。(この記事の無出典記述を実際に全て除去するような人が現れる可能性は、さほど高くはないでしょうけれど。)
ウィキペディアで重要なのは、記事主題(この場合は数学基礎論)について"学んだことがあるもの"が社会の中で多いかどうかではなく、《記事主題についての信頼できる情報源に基づく記述が記事の中で多いかどうか》だと思います。教育研究団体などでは前者はとても重要でしょうけれど、対照的にウィキペディアでは、ほとんどまたは完全に後者だけが重要と思われます。--33メルメル会話2022年9月25日 (日) 13:09 (UTC)[返信]

コメント 確認しましたが、新井基礎論で堂々と同一視されてしまっている以上、これを完全に無視することは、否定材料となる出典を持ってこないと厳しいと思います。ただし、現状の冒頭文には依然として問題点があると考えるので、以下に列挙しておきます。

  • 菊池『不完全性定理』の中で、数学基礎論の専門家が自らの学問を数理論理学と呼び始める過程については書いていますが、これを数学基礎論≒数理論理学だという出典 (日本でという限定が付いたとしても) として用いるのは果たして妥当なのでしょうか。自分たちのテーマが時代の変遷に伴って推移したという文章なので、その前後を同一視するのは若干強引な気もします。
個人的には例えば「日本の数学書においてはしばしば数理論理学と同一視される」というようにすれば上記の問題は回避できるのではないかと思います。「日本の数学書においては」という限定が正しいのかも検証が必要だと思います (今のところ私は反論資料を見つけられていませんが)。
  • 文の構造として、「数学基礎論は、(定義などによる数学基礎論の説明)である。」という文章が期待されるところを、「数学基礎論は、(数学基礎論の様相の説明)である。」という文章になっていることに違和感を覚えます。これは最低でも二文以上に分割するべきです。

-- Merliborn (会話) 2022年9月26日 (月) 10:12 (UTC)[返信]

新井さんの本は、数理論理学(mathematical logic)について書かれた本なので、当然そうなります。
で、その考えでいくと、リダイレクトすればいいことになってしまいますが、
わざわざ数学基礎論(foundation of mathematics)というのであれば、
BG(=Before Goedel)の「紀元前」の時代の話をせねばならないでしょうね。
で、英語圏ではfoundation of mathematicsとmathematical logicはきっちり使いわけてますが、
日本ではそうしていないというのが実情です。
その理由として、日本で数学基礎論を推進してきた竹内外史氏が、
もっぱらヒルベルト・プログラムゲルハルト・ゲンツェンの無矛盾性証明の仕事を
進化させる研究を進めてきた経緯もあります。
ただ、使い分けについては、個々人の考え方があるので、コンセンサスがあるわけではありません。
全体として「数学の基礎付け」という動機を強調するなら数学基礎論と呼び
「論理学の数学的研究」を強調するなら数理論理学ということです。
諸学問の源流として哲学的動機があったことを強調するのか、
それともそういう歴史を吹っ切ってそれ自体の動機を強調するのか、
という違いだと思います。--Diagonal会話2022年9月27日 (火) 01:13 (UTC)[返信]
コメント この編集の説明です。
  • 引用時に(引用部分の開始前に)引用元を示したにも関わらず、全く同じ引用表示を引用中に示す必要は無いと思います。というかその部分だけ原文に無いものを引用した体になっているのでおかしいと思います。
  • 引用部分の出典を示す段階で書籍データは示されているので、書名のすぐ後に出典を付ける必要性を感じません。直前数版の編集内容などを勘案するに書名の出典のつもりなのかなと思いましたが、書名表記のために出典を持ち出す意味は正直無いと思います。正式なタイトルは何かというのはこの記事の本題から離れていますし、同じ国立国会図書館サーチから表記違いの書誌データを拾えてしまうので正直ナンセンスな問いだと思ってしまいます。(なので私自身には正式性に特にこだわりがなく、書名部分についてはそのままです。)
--Merliborn (会話) 2022年9月30日 (金) 07:08 (UTC)[返信]
なんか私の編集はIPの人にしれっと差し戻されてました(笑)
まあ、今だったら「数学基礎論は今では数理論理学のことである」でもいいかな、とは思いますけどね。
証明論も数理論理学の一分野だし。いまどき、●●主義の話なんてしないし。--Diagonal会話2022年9月30日 (金) 08:23 (UTC)[返信]
上記Diagonalさんは無期限ブロック済み。多重アカウントも確認されています。詳細は利用者:KingslayerX利用者:もちまる太利用者:イカゲソ利用者:松本凡夫。--210.170.8.26 2023年3月15日 (水) 07:15 (UTC)[返信]