ノート:摩耶 (重巡洋艦)

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摩耶の沈没時の状況について [編集]

 私の調べた範囲での沈没時の状況は以下の通り。 公刊戦史叢書を中心にまとめた「大東亜戦争研究室」の内容が一番確度が高いと私は判断します。”船体切断轟沈”と書かれた方、出典元を教えてくださるとありがたいです。  また、当日の日の出時刻を3つのプラネタリウムソフトで調べた結果は日本時間で7時1分前後(ソフトによって数分の差がある)。一方魚雷命中は6時57分(その直後または数分後に沈没)なので沈没時刻が"深夜"の記述も修正しました。

以下ネット上での資料

大東亜戦争研究室 - 大東亜戦争に於ける主要作戦概説 - フィリピン沖海戦2 (http://yokohama.cool.ne.jp/esearch/sensi1/sensi-syogo22.html) 6時57分魚雷命中、7時05分沈没 戦死336名、生存者769名が武蔵に移乗

wiki レイテ沖海戦 (http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%86%E6%B2%96%E6%B5%B7%E6%88%A6) 6時57分、今度は重巡洋艦摩耶に潜水艦デース (USS Dace, SS-247) の放った魚雷4本が命中した。摩耶は7時8分に沈没した。

豊かな環境のために - 大東亜戦争から沖縄復帰まで - 第4部 レイテ沖海戦 (http://www.m-t-o.co.jp/reite.html) 6時57分沈没

Myya. 摩耶 - 近代世界艦船辞典 (http://hush.gooside.com/name/m/Ma/Maya/Maya.html#anchor38277) 8分間で沈没

英語版wiki - Japanese cruiser Maya (http://en.wikipedia.org/wiki/Japanese_cruiser_Maya) ...,and by 6:00 AM Maya was dead in the water and listing heavily to port. She sank five minutes later, taking 336 officers and men to the bottom, including her last captain. The Akishimo rescued 769 men, and transferred them to the battleship Musashi , which was sunk the following day; 143 of Maya's crewmen were lost with Musashi. Thus, from the final crew of 1105 crewmen, 479 were lost. (要約:5分後に沈没、336名戦死。収容先の「武蔵」沈没で更に143名戦死)

沈没地点のデータ

軍艦たちの眠る場所 (http://m3i.nobody.jp/military/satellite/gravemenu.html) 沈没地点の緯度経度 09.27N 117.23E

1944年10月23日の沈没地点での日の出時刻(全て日本標準時)
StellaNavigator7Trial(N9度16.2分 E117度13.8分高度0mで計算) 6時59分
StellaTheaterPro(9.3N 117.3Eで計算) 7時01分
SkyViewer(09N16'12",117E13'48"高度0mで計算) 7時02分

222.14.90.31 2007年6月9日 (土) 09:04 (UTC)[返信]

沈没時の状況について

戦艦武蔵に搭乗された方の手記(25ミリ機関砲の要員)の方が、摩耶の沈没の状況を本で記載されています。その方は愛宕の沈没状況の記載されていますが、摩耶については、追記したように 4本の魚雷が命中して、あっという間に2つ折れて沈没した。まさに轟沈だったと書いておられます。筆者は渡辺 清 氏かと思います。以上の署名の無いコメントは、203.168.68.22会話/whois)さんが[2007年10月27日 (土) 20:22 (UTC)]に投稿したものです(GFによる付記)。[返信]

吉村昭氏の名著「戦艦武蔵」内でも摩耶沈没について「愛宕沈没と同時に武蔵前方の重巡摩耶の中央部あたりからすさまじい轟音とともに上空に向かって一直線に火炎が吹き上がった。(中略)摩耶の艦体は中央部からあっけなく分断されて炎の海にその姿を消していた。(中略)後方から接近してきた駆逐艦島風が接舷し摩耶の乗組員七百六十九名(士官四十七、下士・兵七百二十二)を武蔵艦上に移乗させた」(原文ママ、P.218~219より)との記述があります。 前に生存者2名と誤った記述をしましたが、摩耶の沈没は轟沈といっても過言ではないかと。命中から沈没まで五分あるかないか(つまり、命中後すぐに総員退去命令が出ても機関室乗組員まで退去できるかギリギリの時間)ですし、しかも主砲塔弾薬庫爆発を起こしたという説もあります。轟沈で間違ってはいないと思います。因みに吉川潔中佐が最期に艦長をしていたことで知られる駆逐艦「大波」も魚雷命中から4分で沈没した(生存者無し)というのが一般的ですが、これも轟沈とされています。--GF 2007年11月21日 (水) 13:04 (UTC)[返信]


問題提起した222.14.90.31です。まず戦死者数ですが、戦史叢書を図書館から借りてきて当該部分を当たって見ました。沈没時の戦死者は336名、救助者769名。これは注を見ると『摩耶戦闘詳報』に基づいて書かれています。よって転記ミスが無い限りこれが正しいと思われます。

轟沈がどうかについては、それを押す理由は

  • 多くの戦記で轟沈と扱っている。
  • 戦史叢書でも当該部分の見出しが『「摩耶」轟沈ス』となっている。
  • 船体切断とする戦記もある。

などでしょうか。それに対しての私の反論は

  • 戦史叢書より沈没までの時間は8分間。
  • 死者数が思ったより少ない。艦内から逃げ出す時間があったのでは?
  • 船体切断してもすぐ沈むわけではない。例えば「那智」は前部弾薬庫が爆発して船体切断したが暫く浮いていた。(米軍撮影の航空写真がある=撮影できるくらいの時間は浮いていた)
  • 轟沈の定義自体がはっきりしていない。

です。一番大きい問題点は定義がはっきりしていないことです。日本海軍ではおよそ1分以内としていたようですがそれに比べて8分間というのは長いと思います。戦場の混乱の中の記録なので8分という数値が正しいかは疑問ですし、戦記を見る限りそれより短いことは十分あり得ると思います。それでも死者数を考慮すると艦底の乗員を除いては退去する時間があったのではないかと思います。だから轟沈と呼べるほど短い時間ではなかったのでは、と考えています。もし轟沈について本文に入れるのであれば

沈没までの時間は8分とされているが、沈没までの時間としては十分短く多くの戦記で轟沈と記述されている。

という文章ではどうでしょうか?--61.202.57.252 2008年1月21日 (月) 09:52 (UTC)[返信]

轟沈の定義はどうでもよいのではないでしょうか?沈没まで8分間あっても、それは水面下に消えるまで8分であり、8分間甲板が水平で退避が容易なことを表すわけではありません。戦艦陸奥の件でも、船体後部は長時間浮いていますが、一般的には轟沈とされています。しかし船体の切断については、目撃証言があるわけですから、削除すべきではないでしょう。復活しておきます。--uiui2000 2010年2月3日 (水) 17:15 (UTC)