ノート:抜刀隊

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抜刀隊について[編集]

NHK「そのとき歴史が動いた」にて抜刀隊員は旧会津藩士が多く参加し「戊辰戦争の恨み」と叫びながら目覚しい活躍をしたと放映されました。もし薩摩藩士らも多数含まれるならその資料を提示していただきたく思います。--マナー向上委員会 2007年1月30日 (火) 16:22 (UTC)[返信]

薩摩藩士が多く参加したと言う資料が提示されなかったので修正しました。なおNHK側の資料は http://www.nhk.or.jp/sonotoki/2005_06.html#05 著作権等の問題ありましたらURLを削除してかまいません。--マナー向上委員会 2007年2月4日 (日) 15:00 (UTC)  [返信]

「戊辰の仇」云々は当時新聞記者が伝聞で(今もそうですが大げさに)書いたことで事実かどうかは分かりません。そういう人が一人はいたかもしれない、ということです。ちなみにその記者はあの犬養毅(「日録田原坂戦記」勇知之)。「そのとき歴史が動いた」はエンターテイメントであって歴史資料とすることは出来ません。抜刀隊への薩摩藩士の参加ですが、まず、抜刀隊は警察官です。当時、警察官は薩摩閥(の郷士出身者)が幅を利かせていましたので薩摩藩士が多かったとしても不思議はないでしょう。事実、戦死者墓でも鹿児島県士族、宮崎県士族の墓碑銘が散見されます。と、いうか、出身は全国に散らばってます。さらに、抜刀隊志願者は東北出身者から徴募したとするのも俗説で、熊本藩士の子だった石光真清の自伝に親族が抜刀隊に志願し戦死したとの記述があります。219.101.141.131 2007年7月31日 (火) 23:26 (UTC)[返信]

「そのとき歴史が動いた」はエンターテイメントですが、NHKだけあって幅広い資料を参照にして制作されてます(しかもHPに紹介されている書物以外にも資料や専門家の指導を受けています)ので、100%とはいかなくても参照にならないとは言い切れないでしょう。--男梅 2009年3月2日 (月) 22:30 (UTC)[返信]

  • 『西南戦争』小川原正道 著 中公新書P.119に明確に記述があることを確認しました。ところで小川原「西南戦争」には一次資料の情報が開示されていなかったので、何となく食い残した感はあります。抜刀隊についての直接的な研究資料とかがあればなお良いのですが・・・。--大和屋敷 2010年3月2日 (火) 14:11 (UTC)[返信]

トピックと無関係な記述について[編集]

>佐川と同じく会津藩家老であった山川浩陸軍中佐(32歳)は、西南戦争に出征する際、「薩摩人 みよや東の丈夫が 提げ佩く太刀の利きか鈍きか」と歌っている。また、会津藩出身で当時陸軍幼年学校生徒であった柴五郎(17歳)は、西郷軍征討のが発せられたことを知ると、「征伐仰せ出されたりと聞く、めでたし、めでたし」と日記に書き、さらに西南戦争での西郷隆盛の自決と、その翌年の紀尾井坂の変による大久保利通の暗殺を合わせ、「両雄非業の最期を遂げたるを当然の帰結なりと断じて喜べり」と記している。

の部分は、トピックの抜刀隊と無関係な部分なので、削除した方がよいと考えます--101.111.185.104 2024年2月9日 (金) 08:24 (UTC)[返信]