ノート:承元の法難

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改名提案(「建永の法難」に)[編集]

真宗では、親鸞の「承元丁の卯の年」という記述に基づき「承元の法難」が使われてきましたが、昨今、上横手雅敬や平雅行が使用し、また指摘するように、建永から承元への改元は法難の後ですので、「建永の法難」に変えてはいかがかと思います。

半年ほど反対意見が出なければ、改名をしませんか。--つちのとい会話2020年6月28日 (日) 16:35 (UTC)[返信]

東西両本願寺の視点はすでに一種の見解ですが、私が問題にしているのは、「承元の法難」ということが親鸞の記述に基づいた誤った歴史認識であって、ウィキペディアはより中立的で、また科学的、学術的な記述を取るべきではないかということです。
「一般に」と述べられていますが、『浄土宗大辞典』では「承元の法難 http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/承元の法難 」が「建永の法難」にリダイレクトされていますし、「一般に」ということが浄土真宗の門徒のことを指すのだとしたら、それこそ偏った視点と言わざるを得ません。また上横手雅敬と平雅行だけでなく、『国史大辞典』の「三長記」、「宗源」の項目、人物叢書で赤松俊秀が書いた『親鸞』、田村圓澄の書いた『法然』、これらはいずれも学術的価値の高いものですが、「建永の法難」という記述を採用しています。もちろん、いくつかの記事では「承元の法難」という記述が使われていますが、それが「一般」とは言えないことをご理解いただけたかと思います。加えて言えば、平雅行にしても赤松俊秀にしても、たいへん親鸞にシンパシーを感じている歴史家と言えるでしょう(私は歴史家ではないですが、同じく親鸞にシンパシーを感じています)。
このように両方の記述が並列し、どちらも「一般」に使われている状況では、どちらがより正確か、たしかな根拠があるか、ということを問題にしなくてはならないはずです。そうすると、親鸞が「承元丁の卯の年、仲春上旬」と言った時点は、改元以前であるという事実に立って考えるべきです。「承元の法難」で項を立てるのだとしたら、真宗における「建永の法難観」を主題にせざるを得ず、「建永の法難」に関する客観的歴史を記述する項目とは成りえないでしょう。
反論をお待ちしています。--つちのとい会話2020年6月29日 (月) 06:18 (UTC)[返信]

物事の呼称はそもそも主観的なものであり、正しいものと誤ったものが存在するわけではありません(法難という表現自体が仏教視点です)。事実関係については仰るとおりのことを記事に書けばよいと思いますが、「元号を史実に合わせることで客観性が増す」という学者の主張が「正しいから採用する」というのは問題があると考えます。桶狭間の戦いが実際には桶狭間で行われていなかったとしても、それだけを理由に記事名が当然に変更されるものではありませんよね。ですから、改名を実現したいとお考えならば、如何に正しいかを主張するのではなく、用例の多寡など正確性以外の論点を補強していただくことが必要です。あくまで「呼称の正確性」を理由に改名することはWikipediaの目的に照らして不適当という主張です。--210.48.133.123 2020年6月29日 (月) 07:00 (UTC)[返信]

正しいだけでなく、一般的でさえある呼称が「建永の法難」と主張したつもりだったのですが。同じくらい一般的である場合はどう決着を付けるのですか。--つちのとい会話2020年6月29日 (月) 12:39 (UTC)[返信]
  • 賛成 WP:NCにある通り、認知度の高さ等5つの基準を満たした上で、なるべく正式名を採用するのがウィキペディアです。何を正式とするかは、Wikipedia:信頼できる情報源によって、「学者によって書かれ、学術的な出版社によって出版された二次資料は、品質管理のために注意深く精査されており、信頼できると考えられます」と書かれています。私は門外漢なので、私自身はこの件について、どちらが良いのが判別が付きませんが、ここまでの議論では、認知度としてそれほど圧倒的な違いがあるとも思いませんし、正しさについては、上横手雅敬・平雅行・『国史大辞典』といった具体的な学術資料を挙げていらっしゃるつちのといさんの議論の方が、説得力があると考えます。--Senu会話2020年6月29日 (月) 14:47 (UTC)[返信]
少なくともgoogle検索結果で「承元の法難」がいくらか上回っている現状で「一般的だから変更する」というのは通らないと思います。--210.48.133.123 2020年6月29日 (月) 23:47 (UTC)[返信]