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ノート:扶桑駅

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2005年1月29日ダイヤ改正の記述

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「不便になった」や「何々が理想だが」といった言葉が目につきましたが、私は主観的な言葉はあまり百科事典にはふさわしくないように思います。その事に対してあまり価値を感じない人にとっては何かしら反発を感じそうな言葉なのでは。 藤井三方

客観的に見て「不便になった」なら記述する意味があります。たとえば、特急が一日18往復走っていたところ、利用者数の減少によって半数に減り、遠くの都市へ行くのに手段が限られた。など。これは非常に大げさなケースですけれど、客観的に不便になっています。今回の場合は、私には理解できかねます(というか、この駅も知らないので)が、特筆すべき事柄ではないと思います。理想論についてですが、主観的以外のなにものでもありません。むしろ、会社にとっては今の状況が理想なのかもしれません。主義主張をする場ではないので、この手の記述はあまり好ましくないと思います。それ以上に、ダイヤ改正については、たったの「当駅折り返し列車が設定された」旨の記述のためだけに、単なる駅の記事に記載する内容ではないと思います。ほかの内容はダイヤ改正全般について書いているので、さらに不適ではないでしょうか。--tgmsito [talk] 2005年11月23日 (水) 16:13 (UTC)[返信]
客観的に見て「不便になった」場合としても、百科事典としては「特急が何本減った」と記して、それが不便なのか、かえって別の所で利便性があがったと考えるか、あるいはもっと別の考え方をするのかについては、利用者の判断に任せるという態度が必要ではないでしょうか。世の中に扶桑駅を扱ったサイト等がすでに多数ありまして、新参者にとってはどの分野の情報を出せばいいかと途方にくれそうなほど多くの情報を網羅してありますが、些細な動きについては見落とされがちで、そこがかえって当ページの狙い目ではないかと思います。日々の動きは、大したことがないものなら、後になるといつなのか忘れてしまいがちです。その中で、大勢で頻繁に編集できるWikipediaでは、案外そういう日々の動きを網羅したものが後から必要になってくるのではないでしょうか。そのような考えのもとに、些細な話の一つとして「折り返し列車」の記述を行いました。藤井三方