ノート:戦役

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戦いに関する名称、とくに日本史上のものは「~の役」に統一されつつありますのでWikipediaでも採用すべきではないでしょうか?--三階菱 2010年8月1日 (日) 10:57 (UTC)[返信]

とくに反論が無いようなので可能なものは統一的な記述に直します。--三階菱 2010年8月4日 (水) 11:16 (UTC)[返信]

Kurihaya と申します。せっかくのご提案ですが、日本史記事の執筆者さんがこのノートにおける議論に気付いていないおそれが強いため、関ヶ原の戦いおよび長州征討の移動を差し戻しました。歴史上の出来事の名称は異論が出やすいため、よりていねいな扱いが望ましいと考えます。Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 日本史や各記事のノートで話し合っていただけますか。よろしくお願いします。--Kurihaya 2010年8月4日 (水) 11:32 (UTC)[返信]
ノート:関ヶ原の戦いノート:征伐ノート:長州征討でも申し上げていますが、根拠を出さないといけないと思います。「統一的な記述」という観点で言えば例えばCategory:日本の戦い (時代別)でお分かりの通り「〜の戦い」が多勢であると思います。また無理に統一する必要はなく、個々に学術的な観点や慣例でよく使われている名称に決めて行くべきでしょう。
しかし何しろ三階菱さんはノート:九州の役では「マトモな反論は返って来ないようなので改名議論の早期終了をすべきです。項目名ばかりに拘るのは不毛です。」「改名の根拠を提示してください。」と発言しながらノート:関ヶ原の戦いでは全く根拠を出さないまま「関ヶ原の役」に改名提案しており、その後も周囲から求められるも全く根拠を出しておりません。ノート:長州征討では全く根拠を出さず「「征長の役」への改名をしたいと思います。」「征伐とか征討だとかは差別的で不適切な用語だと思うので。」と内部矛盾を包含する動議を出し、矛盾を指摘されると「まあ、長州の役に改名という形でもいいですが。」と検討対象すら不明にしてしまい、その後も周囲から根拠を求められるも全く応じず、最終的に「提案に対してマジメに向き合う方が皆無で、議論の進捗が無く、ここで賛同を得るのは難しいと感じた」と責任転嫁の捨て台詞を吐いて退場しており、要するに根拠なく記事名を「〜の役」にしたいだけなので、まともに取り合う価値がないと思われます。--プリズム11 2010年10月10日 (日) 07:57 (UTC)[返信]

「役」とcampaignの関係[編集]

軍事的な一連の出兵(作戦・戦争)を指して「の役」とする用語の語源が古代の賦役・夫役に由来する動員だというのは特に異論ないのですが、まるでヨーロッパから戦役概念が導入されるまでずっと動員だけを指していた、というような文章は疑問があります。奥州十二年合戦が前九年の役になったのは「『保元物語』『源平盛衰記』『太平記』など」がヨーロッパの影響を受けたからではないでしょう。もともと、記事中に記載があるように、campaign概念も「出陣もしくは冬営明けから始まって冬営で終わる」でしかなく、それが長期の遠征なり戦域なりを表す用語に発展していきました。「役」の語でも似たような発展が起きていたと考えるほうが自然ではないでしょうか。--シダー近藤会話2020年9月27日 (日) 06:14 (UTC)[返信]