ノート:性科学

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性科学について二つの文章[編集]

性科学とは、そもそもどういう学問なのか、疑問がある訳ですが、以下に二つの文章を記します。一つは、せくそろじすと氏の言葉(ある書籍の引用と、氏のコメント等)と、それに対するわたしのコメントの文章です。もう一つは、Google で、「性科学」で検索すると、現在、二十位以内に出てくる、「座談会・日本性科学会の現状と課題」という2001年初頭にあったらしい座談会でのある発言の引用と、それに対するコメントです。

1) まず、せくそろじすと氏の引用と発言に対し、わたしの記したコメントです。次の場所に、元の発言や引用やコメントはあります。→「性のカテゴリ構造の草案

『新編セクソロジー辞典』の性科学と言う項目によると、「sexに関した一切の研究をする学問を「性学」または性科学という。これは人文科学、自然科学のほとんどが関係した、いわゆるBig Scienceである。最近はSexualityと総称している。」このことによりSexology = Sexuality(性の関心ごと)であろう。--せくそろじすと 2006年1月15日 (日) 09:04 (UTC)[返信]

上の緑色の文字の文章が、せくそろじすと氏の引用とコメントで、せくそろじすと氏は、また別の場所で次のように記しています:

ヤフー辞典の英和、和英で「sexology」を調べると「性科学」と出てきますよ 。--せくそろじすと 2006年1月16日 (月) 16:44 (UTC)[返信]

この二つの文章・発言を念頭して、次のように記しました:

「sexology」の日本語訳語が「性科学」でない、など、誰が主張しているのでしょうか? 他方で、「性科学」に対し、sexual science という英語が使われていることも、日本性科学会のサイトで実際に使われていることから明らかです。また、項目「性科学」は削除相応などと、誰も述べていません。性科学という言葉乃至概念も、学問的にそういう学問が実際に成立しているのか、学問として構成されているのかは別に、歴史的に存在して来たものですし、「性に関係する俗語」としては、一般に使用されています。--Maris stella 2006年1月16日 (月) 18:27 (UTC)[返信]
問題は、性科学という概念・言葉が、実際のところ、何を指しているか、何を意味しているかです。客観的に、性科学のありようを記述することが百科事典には望まれるのであり、big science としての「性科学」の「構想」が仮に存在するとしても、構想だけで、実際には、学問として実体がない、つまり学問として構成されておらず、一般に承認もされていないのなら、そのような実状を記述するのが百科事典です。つまり、「big science として、諸科学の分野を横断した学問構想があるが、実際には、様々な困難があり、体系的学問としては、このような big science としての性科学は存在していない」などの記述が妥当なのです。--Maris stella 2006年1月16日 (月) 18:27 (UTC)[返信]

2) 以上が一つの文章で、もう一つは、「日本性科学会」の理事等、代表的な人が集まって、座談会を開いたときのある会員の発言です。これは、Google 検索で現在13位に出てきますが、順序は変わるかも知れません。座談会・日本性科学会の現状と課題という座談会でのある発言です。発言者は、この座談会時点で、肩書きが「国立千葉病院産婦人科医長/日本性科学会理事」で、座談会での進行者の言葉では、来年、つまり2002年には、日本性科学会の会長に就任するらしい(したらしい)「大川 玲子」氏の発言です。座談会の終わり頃に出てきます:

大川 とは言っても,性科学学会はセクシュアリティの問題に関心をもつ方たちの集まりということではなく,やはり基本になるのは力のあるカウンセラーやセラピストを養成していくことであって,「認定医制度」も,そのために作ったわけです。

ここで大川氏は、日本性科学会理事、来年の会長の立場で、「基本になるのは力のあるカウンセラーやセラピストを養成していくこと」と断言しています。また続けて、「「認定医制度」も,そのために作ったわけです。」と述べていますが、「認定医」とは、当然、「日本性科学会認定医」のことで、「性科学医」の資格認定と考えられます。つまり、ここでは「日本性科学会」が認定する「性科学医」または「認定医」とは、どういう性格のものか明言しているのです。それは「カウンセラーやセラピスト」であることになります。

ここからすると、日本性科学会が提唱している「性科学」とは、カウンセリングや(サイコ)セラピーが中心になったものだという主張が出てきます。そして、これはまた、現在の「日本性科学会」のトップページにある学会の紹介文の最後に出てくる、主要な活動として、「セックス・カウンセラー、セックス・セラピストを認定し、その資格を授与しています。」という文言と一致します。日本性科学会は、学際的な「性科学」の構想を述べつつも、実際の活動の具体的中心は、「セックス・カウンセラー、セックス・セラピストの養成・認定」だということになります。

カウンセラーやセラピストは多様な分野の知識や技術を持っていなければならない、と云うことは無論言えますが、性に関する学際的な多様な知識や技術、つまりノウハウを持っていたとしても、それで、学際的な「学問」が構成されている訳ではないのです。「国立千葉病院産婦人科医長/日本性科学会理事」大川 玲子氏の引用させて戴いた発言は、そのことを明瞭に証しているとも言えます。--Maris stella 2006年1月19日 (木) 01:45 (UTC)[返信]

科学というからには制約が存在する[編集]

つまり、普遍性と再現性です。性科学と呼べる範囲のトピックスはそんないないのではないでしょうか。性癖関係は全て除外されてしまいます。 カウンセリングの対象となるのは、女性にチンコを入れる気にならない男や、男性と交わって妊娠する事を嫌悪する女でしょう。 記事を構成するにあたっては一本通してください。寄せ集めの断片だけでは何も生まれませんし、時間とともに消えるだけです。211.133.19.101 2006年7月10日 (月) 09:54 (UTC)[返信]

この記事には関わっていない者ですが、見かねたので一言。「普遍性と再現性」が科学的考察には必要、という主張はごもっともですが、「カウンセリングの対象となるのは、女性にチンコを入れる気にならない男や、男性と交わって妊娠する事を嫌悪する女でしょう」と、公の場で言い切ってしまう(少なくとも百科事典の編集の場ですよ)ような、視野も了見も狭い方が「性科学と呼べる範囲のトピックスはそんないないのではないでしょうか」とおっしゃっても説得力ないですよ。
貴殿が荒らしの方か同性愛者を侮蔑したい方(私は不快に感じました)であれば話は別ですが、少なくともノートページに書くならもう少し表現を改めたらいかがですか(「女性にチンコを入れる気にならない男」周り)。実際、性科学のトピックスはいろいろありますし、その国の文化、宗教、または時代背景、地域性も大いに影響します。次回はもう少し有意義なご意見をいただければと思います。__Okc 2006年7月10日 (月) 12:13 (UTC)[返信]

大幅な記述の除去の予告[編集]

この記事では、記述内容の根拠について、裏付けとなる典拠がまったく示されておらず、独自研究が疑われる内容となっています。このコメントの時点を起点として、一定の期間を経ても記述が改善されないようであれば、典拠のない記述(現時点ではすべての記述)の大幅な除去を実施することを予告します。また、その結果、記事が白紙化(同然)となるようなら、英語版en:Sexologyからの典拠のある記述の一部を翻訳して置き換えることも考えます。ご異論のある方からのご意見を歓迎します。--山田晴通会話2020年9月9日 (水) 02:37 (UTC)[返信]

検証可能性#出典を示す責任は掲載を希望する側にに基づき、削除するのではなくノートページに移動するのはどうでしょうか?それなら、この記事を書いた人もある程度は納得すると思います。また、概説見出しにほんの一部ですが、「(石濱、1998)」と出典が示されているところがあります。--3JX8PC17会話2020年10月10日 (土) 04:07 (UTC)[返信]
提案から、ひと月以上が経過しましたが、直上の3JX8PC17さんのコメント以外のご意見はありませんでした。現時点では、削除や版指定削除を提案しているわけではありませんので、記述を除去しても過去版から容易に復活できます。ノートに移動といった操作の必要はありません。また、石濱については、内容は未確認ですが、おそらく段落にかかる典拠と思われますので、その範囲は残しておくこととします。また、一旦除去の上で、英語版記事から定義部分の典拠のある記述だけを訳出します。--山田晴通会話2020年10月11日 (日) 07:00 (UTC)[返信]