ノート:徳川 (お好み焼店)

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イメージの部分も大きいのですけど[編集]

広島県民は、一般的に徳川を『関西風』のお店と認識しています(参考1参考2)。冷凍や店頭販売で広島風は扱っていますが、広島風の店のイメージがないので、カテゴリーを修正しました。--Taisyo会話2012年5月18日 (金) 13:31 (UTC)[返信]

徳川のお好み焼きが「関西風」か否かについては議論の余地がありますので、特徴に関しては一旦保留としましょう。--110.67.189.101 2016年11月10日 (木) 09:00 (UTC)[返信]

ノート:お好み焼きでコメントしたことの繰り返しになりますが、まず落ち着いてください。IPユーザーさんの一連の行動は基本方針に照らし合わせても問題があり、東京ルーツ説でしっかりとした出典を提示され議論を進めていた方とはまるで別人のようです。徳川が関西風かどうかですが、徳川自身がそう名乗っているという一次資料、及び利用者:Taisyo会話 / 投稿記録 / 記録さんが上で提示された二次資料が存在します。本来この程度の記述であれば出典はなくてもよいかとも思えますが、IPユーザーさんのこちらの編集[1]を受けて、記事に出典を追加させていただきました。そうでないと異論があるのであれば、徳川は関西風ではないもしくは○○風であるという二次資料出典が必要になりますし、仮にそれが存在したとしても、関西風であるという記述を除去するのではなく、併記という形にするのが妥当でしょう。ご自身がどのようなお考えをお持ちでもそれはかまいませんが、それを出典なしに記事に反映させてはいけません。Wikipedia:中立的な観点Wikipedia:検証可能性Wikipedia:独自研究は載せないというWikipediaの三大方針に違反する事になります。お好み焼き発祥東京説ではあれだけ二次資料を提示し論理的に議論されていたIPユーザーさんが他方ではこのような主張をされていては、ご自身の主張を通す際に有益な資料がある時はそれを用いるが、存在しない時はなりふり構わずご自身の主観頼りに行動する利用者であると認識されてしまう恐れがありますし、コミュニティにおける信頼性を著しく損なってしまいます。その点、今一度熟慮されるようお願いします。--Aiwokusai会話2016年11月10日 (木) 10:58 (UTC)[返信]

再度申し上げますが、徳川が関西風であるか否か、どれだけこだわりがあろうがそれをWikipediaの編集者が判断してはいけません。出典があればそれに従い明記する、それ以上でもなければ以下でもないのです。議論の余地というのは別個の出典が存在するなどした時に初めて生まれるものです。--Aiwokusai会話2016年11月15日 (火) 00:58 (UTC)[返信]

たべもの起源辞典[2]の83ページにある「水溶きしたコムギ粉のバッターに、具を混ぜ合わす関東風から、沢山の具をのせる関西風になる。」という一文を根拠として、再度中立的観点の面より議論を提起します。この記述に基づけば、岡田は具材を混ぜ合わせるものを関東風、上に乗せて焼くものを関西風と認識・定義していたと解釈できますので、旧来の混ぜ焼きを提供する徳川を「関西風」とすることの正当性は失われます。また、Aiwokusai様の提示された出典から確認できるのは、「徳川は混ぜ焼きのお好み焼きをテーブルで客に焼かせるスタイルで提供している」ということと「関西風お好み焼きを標榜している」という2つの事実のみですので、「徳川の提供するお好み焼きが関西風である」と記載する根拠としては意味をなさないと思います。--110.67.189.101 2016年11月19日 (土) 01:10 (UTC)[返信]

関西風お好み焼きを標榜している、というかそう認識しているのは徳川自身だけでなく出典にあるようなメディアでもそうだということです。岡田氏の認識1つをとって正当性が失われるというのは違うしまた別の問題でしょう。十分根拠にはなりえます。そもそも岡田氏のいう「関東風」というのは、Taisyoさんもおっしゃっていたように古い時代の話であって現代で一般的に広く存在するものを指すわけではありませんよね?個人的に関西風であるという表記を除去したがっているIPユーザーさんがここで提示すべきなのは、岡田氏でもどなたでもよいですが、「徳川は関西風ではない」と徳川について固有名詞を出したうえで否定している二次資料であって、お好み焼の歴史について岡田氏が関東風関西風を語っている話とは全く違います。ですから私はこれまで何度もWP:SYNTHESISに触れているように、発表済みの情報の合成はやめてくださいと申し上げているのです。IPユーザーさんの「現在の関西風の主流とされている徳川の混ぜ焼きを他の出典がそう呼んでいたとしても、自分で具材を焼いているから徳川は東京風もしくは関東風である」という主張はただの独自研究です。--Aiwokusai会話2016年11月19日 (土) 05:37 (UTC)[返信]
Taisyo様がいつどこで「古い時代の話であって現代で一般的に広く存在するものを指すわけではない」とおっしゃたのでしょうか?原書をお読みになったかどうかは存じませんが、岡田氏は戦後の東京におけるお好み焼き屋の復興と隆盛についても触れた上で、それとは異なる文化として大阪で変化したお好み焼きの姿について記述しています。「東京では、焼く楽しみ、団欒の場のお好み焼きは、大阪では、安い・美味しい・ボリュームがあるの3拍子揃った食べ物に変わる。」という文章から読み取れるのは、東京では客自身が自ら焼くことを楽しむ遊戯料理であるものが、大阪ではそれとは異なり安く腹を満たすための大衆食という位置づけになったという認識でしょう。繰り返し申しますが、「メディアでも徳川のお好み焼きを関西風と認めている」という説明は、言葉の定義上の根拠としては何の意味もなしません。最大限譲歩するとしても、Taisyo様がこのノートの冒頭で使用されたようなカギカッコ付きの『関西風』という表現が限度です。--110.67.189.101 2016年11月19日 (土) 19:11 (UTC)[返信]
少なくとも現代のお好み焼において、東京風もしくは関東風が自分で焼くことを決定的な定義としている資料はありますか?Taisyoさんが昔東京で流行り染太郎など一部の店にその雰囲気を残すお好み焼きについては「関東風」であるという資料を提示されましたが、徳川がそれに当てはまるとはおっしゃられてはいません。『』をつけることがどのような意味を持つのか、それがどういった譲歩に当たるのかよく分かりません(出典を追加されたTaisyoさんも特にそのような表記されておらず、現状の最新版はほぼTaisyoさんの記述によるものです)。「関東風」は水溶きした小麦粉に具材を混ぜて焼くと書いてあるそうです。関西風の特徴として、具材の種類が増え沢山のせたこと、独特な甘いソースを採用したことと書かれているようです。徳川が岡田本の中で関東風とされるものに当てはまるのは、「自分で焼く」という点、それだけにすぎません。たったそれだけなら、他の地域のお好み焼にだって存在するものは中にはあるでしょう。お好み焼そのものは完全に現代の関西の混ぜ焼きです。私が申し上げたように、「徳川は関西風ではない」という反証資料がない以上は現状の記事の状態がベストと言わざるをえないでしょう。徳川自身のみが提供しているメニューは関西風であると自称しているだけの一次資料しかなく、関東風もしくは東京風お好み焼の定義がはっきりしている場合であれば、脚注としてその点に触れるべきかもしれません。が、現状は徳川を関西風と呼ぶ二次資料が存在する状態である以上は、「徳川は関西風でない、もしくは~~風である」といった出典が必要です。Wikipedia編集者がそれを判断してはいけません。--Aiwokusai会話2016年11月19日 (土) 22:43 (UTC)[返信]
上で安く腹を満たすための大衆食になったといったといった主張が見られましたが、自ら焼くか否かとは別の話しであり仮に資料にそう書かれていたとしても徳川のノートとは関わりのないことです。逆に『「メディアでも徳川のお好み焼きを関西風と認めている」という説明は、言葉の定義上の根拠としては何の意味もなしません。』というのは間違いです。メディアが徳川のお好み焼に直接言及し、関西風であると認識されている、これはWikipediaにおいては大きな意味を持つものです。再度、現状の記事に問題があるとお考えであれば、自分で焼く事、それだけのことで東京風もしくは関東風と自動的にお好み焼が認定されるだけの資料、および徳川は関西風ではないと直接的表現で記した資料の提示をお願いいたします(様々なサイトなどを探しても、やれ具材が違うなど一定した認識はありませんでした。資料として『21世紀の授業,第4巻』には関東風という言葉が存在はしましたが、どのようなものであるかの詳細は述べられてはおりません)。自分の認識を記事に反映させるよりも、中立的な観点でWikipediaに参加してください。私など広島のお好み焼には思いいれは全くありませんが、中立的に編集すべきとの考えでこうやって意見を述べているのです(自身で広島寄りという認識は全くございません)。現状の記事はあくまで徳川に触れた資料を元とした記述がなされており、中立的なものであると思えます。自分で焼く事が関東風の決定的な定義であるとしてしまうと、逆に他地方のお好み焼も自分で焼きさえすれば関東風ということになってしまいますし、その点が完全に見逃されています。いずれにしても、店自身やそれに触れたメディアが呼んでいるものを覆すほどの根拠にはなりえないでしょうが。--Aiwokusai会話2016年11月19日 (土) 23:19 (UTC)[返信]

(追記)個人ブログなどでなく関西風関東風(東京風にはあらず)の一番の違いは自分で焼くか否かであるとはっきりと書かれた漫画を発見しましたが、これだけではまだ少し弱いように思えます。またその中では、関東は箸で食べ、関西はコテに乗せる、関東は基本ソースで最近はマヨネーズをつけるのが主流になりつつあるが、元は関西の習慣と記されています。その中では十文字切りが伝統的であるとも記されています。他にもうちょっと信頼の置ける資料がないか探してみようかと思っております(どちらかというと徳川単体でなくお好み焼のノートで行う議論内容に思えますが)。ただ、徳川に直接言及した資料を見つけるのは難しいように思えますが…。--Aiwokusai会話2016年11月20日 (日) 01:17 (UTC)[返信]

個人的に神戸出張時に千房に行ったのですが。徳川と食材面での大きな違いは感じませんでした。徳川自体、広島の文化に合わせて発展してきた関西風のお店のイメージがありますので、広島の人に合わせての変化はあるのかもしれません。千房自体は広島にもお店ありますので、異議の声は聞かないので徳川は関西風の認識は現在でも持たれていると思います。大阪人から見て、「徳川はエセ関西風」と思われる人が居るのかもしれないですが。書籍の出典や店の記述の通りなのです。関西風と思っている。それが正直な所です。--Taisyo会話2016年11月20日 (日) 01:54 (UTC)[返信]

広島の方々が徳川のお好み焼きを関西風と捉えていることは承知していますし、その事実に対して異論も不満もありません。またAiwokusai様は誤解されているようですが、徳川のスタイルが東京風、関東風であるという見解を主張する意図もまったくありません。私がこの場で問題として提起しているのは、最初にも述べましたように「関西風」という定義の定まっていない不確かな表現を断定的に用いることには、中立性の観点から問題があるという一点のみです。また仮にメディアの認識が出典としての要件を満たしていたとしても、より正確で万人の共感の得られる表現があるならば、そちらを採用すべきではないかというのが個人的な考えです。--110.67.189.101 2016年11月21日 (月) 07:26 (UTC)[返信]

「広島の方々が」という表現にはあまり意味がないと思います(そもそも私は広島に関わりのない人間です。むしろ大阪の人間からすればあれは関西風だと思います。関西の人間からすれば関東風なるものは認識すらされていません。が、個人の意見を言っても仕方ないでしょうね)。徳川が関西風を名乗りメディアもそう取り上げ、更に否定する資料もないということで現状では議論の発展性がありません。一般的に関西風=混ぜ焼きであるという認識があるのはともかくとして、完全な定義というのは今後定まる可能性は低いですし意味のないものでしょう。Wikipediaでそれを位置づけるようにすべきではないでしょうし。徳川のスタイルが東京風、関東風であるという見解を主張する意図がないのであればこれまでの議論は何だったのかよく分かりません。「中立性」というのは現状で存在する信頼できる情報源、出典に基づいた記述を心がけるべきものであって、Wikipediaを編集する人間が、「出典ではこうなっているが自分は定義について疑問がある、別の表現を採用すべきだ」というのはむしろ中立的な観点が欠けています。より正確で万人の共感の得られる表現があり記載するに値するのであれば、それを可能にするのは何よりも信頼できる情報源です。お好み焼の記事と同じで、IPユーザーさんが新たな出典を提示していただかない限りは禅問答になるでしょう。少なくとも徳川の単体記事においては別段現状の内容が問題があるようには思えません。これ以上はお好み焼のノートなりで行うべき議論と考えます。--Aiwokusai会話2016年11月21日 (月) 10:55 (UTC)[返信]