ノート:弓道/過去ログ1

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移動

2005年2月20日 (日) 03:10に流派関係を弓術移動にしました。現在弓道は流派活動は活発ではなく弓術のほうがふさわしいと存じます。Izayohi 2005年2月23日 (水) 02:44 (UTC)

意見: 的中よりも むしろ精神性を重視する 弓道の特殊性に付いても、触れるべきでは? というか 実際、これって歓迎されるべき傾向なの? 変じゃない? 武術として。


弓道も級・段の表記をした方がよろしいのでは? 学生弓道云々の部分は百科事典の客観的記述からは離れ、執筆者の主観、主張がそのまま書かれてたように思うので、削除させていただきました。。 的中率の話も客観的データがあるわけじゃなく、的中至上主義をとらない大学弓道部も存在し、また 大学進学と弓道は別次元の話なので、やはり「弓道を極めるなら学生弓道を経験するべき」という記述は客観性に欠けます。 2006年7月4日 (火)


●弓術と弓道

敢えて弓道と弓術を分けて考えたい人が居るようだが、その必要は無いと思われる。 戦国末期には既に弓は実戦の場では表舞台から姿を消し、心身鍛練が目的となり江戸期には弓道として確立している。敢えて大正8年からの弓が「弓道」で、その以前の弓が「弓術」で有るかのような表記には歴史的に考えても疑問が残る。弓道に表記を変えた理由は剣道・柔道に習ったものであり、剣道柔道のように大幅に「遣り方」を変えた訳ではない。立ち振る舞い(礼法)は小笠原流そのもの、技術(射術)は各流派そのものを生かしたのが現実。百科事典でもあるので、公正な表記が必要かと。

全日本弓道連盟の見解(公式WebSiteより)。http://www.kyudo.jp/sekai/rekishi.html

・心身鍛練としての弓

 織田豊臣時代既に鉄砲は伝来し、戦具としての弓の時代は去って、弓術は心身鍛練が目的となり技法はしだいに精妙になってゆくのである。  その一つとして通し矢があげられる。通し矢の起源は、保元の乱の頃(12世紀)であるが、天正の頃(16世紀末)には盛んに行なわれるようになった。しかし慶長11年(1606)の記録では51本と示され、寛文・貞享(1661-88)の記録には8,000本に伸びている。星野勘左衛門、和佐大八の記録である。  通し矢は速射を必要とするので、打切りの射法で用具には堅帽子ゆがけが工夫されているが、これが現在の堅帽子ゆがけである。和佐大八は24時間の規程の時間に13,033本を射て、8,133本を射通している。

・幕末より明治へ

 平和の続く江戸時代、弓は術として、道として研修され、心身鍛練の弓道を確立したが、幕末江戸幕府の講武所では実戦的でないという理由で一年間で除外している。洋式調練と鉄砲時代である。しかし、当時の武士は鉄砲は下級武士の仕事として弓馬の稽古を盛んに行なっている。明治28年に京都に大日本武徳会が創立され弓道も当然含まれ奨励された。  大正、昭和の時代、弓道は中等学校以上の学校教育として正課やクラブ活動に採用されたが、第二次世界大戦がおこり、昭和16年文部省により体練科武道として再び実戦と直結するような方向に導かれ、終戦により昭和20年11月武道の授業は禁止された。

平成18年8月9日

射形の統一はすなわち流派(=近世江戸時代)の否定そのもので、射形の統一という明治の近代的大改変により弓道が誕生したとしかいいようがないはずです。また剣術、柔術が江戸期に剣道、柔道という流派名がありますが弓道という用語が江戸時代に存在したのであればそのソースを提示してください。Izayohi 2006年8月9日 (水) 01:54 (UTC)


>Izayohiさんへ

それでは昭和9年10月から「弓」は弓術から弓道になったと仰るのですか?また、「弓道形調査委員会」が打ち出した弓道要則とは妥協の産物そのもので、正面・斜面でも自分の流派の引き方が出来るように、27人が渋々合意した1つの「カタチ(型)」にしか過ぎません。結局昭和19年に全く浸透しなかった「弓道要則」を1つのカタチとして残し、従来の正面・斜面を含め3通りの「カタチ(型)」を公式に承認しています。従って、一貫して明治以前の弓を否定している動きではないのです。また、Izayohiさんは弓道と弓術の何が違うと仰りたいのですか?近的場での射距離、弓、矢、カケ(流派により異なるが)、礼法も江戸時代と殆ど変わらないでしょう?また、江戸期の弓の稽古など「弓道」そのものですよ。現在よりも遙かに弓道は「求道」していたと思います。全弓連の公式HPでも触れていますね。その上に弓道という言葉は江戸期に登場しています。何流派の古文書の何処とは指摘できませんが、確実なところでは、大和流が弓道という言葉を頻繁に用いたようです。弓道という言葉を全面に押し出したのも、文部省へのアピールの為、剣道や柔道の右へ習っただけだと思いますが・・・。また、今は亡き某射手の思い出を綴った文書に、弓道の形を統一させようと、有る意味表だった行動をした射手や団体名が指摘されています。この動きが「弓道要則」に繋がったかどうかは闇の中です。(平成18年8月9日)

歴史的に日本の弓の技術の総称としてはそう変わったとしかいいようがないと思います。武術の身体論的にいえば形がわずかでも異なれば身体の内部操作も異なるため別物としかいいようがないものになります。(師匠の形の写しもできません。)また段位制度の導入も近代的改変ですね。ですが私は弓とはなんら関わりはないのでもうこれ以上の編集はいたしません。Izayohi 2006年8月9日 (水) 22:43 (UTC)

質問です。

アーチェリーから弓道に転向しようと考えている者ですが、質問致します。

弓道ホームページの何処を見ても書いてないようなので(探せないので)、教えてください。

①近的矢、遠的矢の羽の長さと付ける枚数に、正式な規格がありますか?

②羽の長さで、正式な試合・大会で失格になるようなことはありますか?

また、③性能本位で考えた時、どの程度の羽の長さが必要でしょうか?

④アーチェリーの矢とか射流し用の矢を、遠的で使いたいと考えても不思議は無いと思いますが?

宜しくご回答、お願い致します。  

2006年9月25日   よーい・どーん 


大学リーグ戦について

このページはあくまで「弓道」に対する一般的な百科事典としての紹介なので、大学リーグのルールを地方ごとの差まで記述する必要があるかは疑問に思います。特定大会、団体のみを冗長に解説すると偏った内容になりがちで、中立視点を保てません。一般的な「弓道」に於ける「試合形式」なので、試合形式欄には全弓連の定めるルールを記載するにとどめ、各大会は大会項目に大会名と簡単な紹介をするに留めるのが良いかと思いますが。--福太郎 2007年6月4日 (月) 14:55 (UTC)

確かに冗長ですね。当該記述を含めた大学弓道全般に関する記事を作成するのが良いと思います(現在当方で加筆しております)。記事名は「大学弓道」、「学生弓道」それぞれ広く知られる名称ですが正式名称ではないので「全日本学生弓道連盟」で如何でしょうか(学生弓道全般の事情と重ならない部分も若干ありますが…)。また大学弓道は一般弓道とは発祥も発展も別の道を歩んでおり、現在でもほぼ独立していますから、この弓道の記事内にも一節を設け概略を記すべきかと思います。--MizunoH 2007年6月18日 (月) 19:22 (UTC)

学生弓道(大学弓道)を経験していないのでその実情はよく知らず当方からはそうそう手を出せないのですが、医大弓道はまた別にある(?)等かなり特異な機構のようですね。弓道ページはあくまで現代武道としての無形文化『弓道』の紹介ですので、学生弓道の実情まで記述するのはやり過ぎかと思います。全弓連ページもまだないようですし、国際・全日本・学生・etc...連盟を「弓道連盟」ページでひとまとめに紹介するというのも手かもしれません。しかしそれでも学生弓道大会形式差異まで詳述するのは、ポータルメディア百科事典としてはやはりやり過ぎではないかと思います。--福太郎 2007年6月27日 (水) 06:08 (UTC)


以下記述 Shigekata 2007年10月7日 (日) 17:00 (UTC)

>真に弓道を極めれば、矢は離れるべき時に自然に離れていく。

→「真に弓道を極める」とは具体的にどの様な状態を指しているのだろうか?「離れるべき時」とは具体的にどの様な状況を指しているのか?「自然に離れていく」というのは、不随意下でのカケ枕と弦の分離を指すモノなのか?非常に抽象的です。弓道素人が読んでも分かるような表現であれば、まだ良いのかも知れませんが・・・。(以上)

射法八節について

射法八節は戦後に(やっと)制定された共通射法で、各流派に配慮する形で『正面、斜面、両方を認める』と言う事で落着いたはず。なので八節=流派の射法ではなく、八節=全日連の射法です。この八節の説明では一連の動作、流れを解りやすくすべきと考え、これを踏まえ…

例えば大和流は12節に別れ、武射系、礼射系の厳密な根拠に基づいた系統分けも難しく、また「伸合い」の無い流派も存在します。同じ斜面でも印西、尾州竹林、石堂竹林で弓構え、打ち起こしが全く異なり、小笠原では大三を取らず、それぞれの節での呼び名も流派でバラバラ、足踏みの開き方・位置・作法も流派でバラバラetc...。従って八節=全日連射法の説明に各流派の事情を盛り込むのはそもそも不可能な事ではないかと思います。

「伸合い」「詰合い」「やごろ」「丹田に息をおろして下半身を安定」「胸骨の中央の線をへその下まで貫くように」「柔らかですきのない構え」etc... 弓道未経験どころかある程度修練を積んだ者でないと理解出来ない単語や言い回しの羅列は大変読み難く不適切、不親切では無いかと考えます。どうしても必要な箇所は文中に追記するのでなく<ref></ref><references />で解説して本文は整理すべきかと。

「正面」「斜面」の解説は比較的簡単ですが、一般からは説明無しには解りません。註釈、追記はこの辺りが限度になるかと思います。wikiは教本やテクニック本ではなく、あくまで百科事典としての「弓道」の説明なので、「射法八節」は全弓連射法の紹介に整理し留め、他流派の事情は各流派ページで詳述するのが結果的に内容も充実するのではないかと考えます。現状では全ての流派が射法八節を取っているかのように取れ、また解説の無い用語、耳慣れない言い回しの連続になり恐らく一般からは理解出来ない文章になっているかと。--福太郎 2007年11月3日 (土) 12:11 (UTC)


Re== 射法八節について ==

 技術論に関しましては、この頁で深く記述する必要ないと思いますが、様々な引き方に関しては、大まかになぞっておく必要があると思いました。福太郎さんの記述で気になったのは、「本多流」の引き方しか記述されていなかったことです。本多流の思想が現在の全弓連の下地であることは否定しませんが、全ての人が正面打起しで大三を取るわけでもありませんし、斜面で打起して大三を取る人もいれば、正面に打起して大三を取らずに引き分ける引き方もあります。一般の方向けでも、ある程度弓道の多様性についても触れておく必要があると思いました。制定された共通射法と言いながら、結局「「統一見解による射法」は非常に曖昧なモノで・・・」(私が以前ログインせずに記述した文章。また大和流の頁も新設しました)が現在の弓界の現状ですから、存在しているようで実態が判然としない「全弓連射法」の現実を、一般の方にも知って頂くことも必要かと思います。また名称の由来に関してもある程度触れたほうが、弓道史と併せて考えるときに有益だと思います。(本多流)七道+印西派の残心で射法八節が形成された事も触れる方が良かったのかも知れません。以上Shigekata記述。

基本的な私の意見としては「八節の本文に色々と盛り込みすぎるのは反対。」ということです。
>様々な引き方に関しては、大まかになぞっておく必要がある
様々な引き方がある事に触れるのは反対しませんが、射法八節の本文に盛り込むのでなく別項、流派ページで詳述するのが適切ではないかと考えます。
>「本多流」の引き方しか記述されていなかったこと
本多流ではなく「射法八節」です。成立の経緯は別記するのがよかと。下地がなんであろうと現状は教本一巻の「八節」が統一射法なのですから。
>ある程度弓道の多様性についても触れておく必要があると思いました。
多様性に触れる事は賛成いたしますが、「多様性がある」「八節には様々ある」という曖昧な文脈でなく流派の射法がそれぞれ存在する、という書き方が必要かと思います。

>:存在しているようで実態が判然としない「全弓連射法」の現実を、一般の方にも知って頂く

流派弓道に比べて圧倒的に歴史が浅いからでしょう。ですが実態が判然としないと感じるのは「これが正しい」という取り決めが無い所為ではないでしょうか。この辺りも三〜四段以上でやっと理解出来てくる所です。剣道や柔道と違い、弓道は統一射法を定めながらも「流派射法の存在も同時に認める」という立場なので、「多様性」を説明するのではなく「数種類ある」という考えが重要かと思いますが如何でしょうか。--福太郎 2007年11月4日 (日) 03:22 (UTC)


>福太郎さん

では、現在の記述のどこに問題があるのでしょうか?教本の一巻をどう読み直しても、引分けの項目だけでも3種類の引き方を記述していますし、引分けの項目で「大三」の説明だけで終わらせている事はありませんね。正面・斜面の記述も排除して一般向けと仰るのは如何なモノかと。教本一巻の方が様々な引き方について詳しく説明されていますね。また、どんな流派の弓であっても、射法八節から逸脱する引き方がありましたでしょうか?流派の弓であったとしても、射法八節に乗っ取った射の運行をしていると思います。射法制定委員の方々の知恵が凝縮され居ると思います。以上Shigekata記述。

>では、現在の記述のどこに問題があるのでしょうか?
上記した通りです。最新の編集内容は「追記」とありますが、ほぼ元に戻しただけですよね。百科事典としての八節の説明に百科事典として諸流派事情を盛り込む事は不可能です。無理矢理盛り込んでも「八節」として体を成さないでしょう。
>教本の一巻をどう読み直しても、
wikiは教本ではなく百科事典です。「射法八節」での説明は八節に留めるべきで、足りない部分は別記するのが適切かと考えます。全弓連射法に斜面打ち起こしがあるのでしょうか?制定時は正面か斜面か「両方認める」という妥協案で落着いたかと思います。
>どんな流派の弓であっても、射法八節から逸脱する引き方がありましたでしょうか?
どの程度をして「逸脱」と言うか解りませんが、あります。無影心月流、一貫流、含めるなら旧武徳会射法なんてまさにそれです。そもそも諸流派の射法を「八節」で説明してしまうのは乱暴だとは思いませんか?
>流派の弓であったとしても、射法八節に乗っ取った射の運行をしている
誤解です。流派は流派の教え、流祖の射技に乗っ取った射法です。この辺りの認識をしっかり持っていないと記事本文の文脈が事実とズレてきてしまいます。「八節」はあくまで「八節」。諸流派の射法を説明するものではありません。
再度言いますが、諸流派の事情を詳述する事に関しては賛成です。しかしそれを「射法八節」項に盛り込んでしまう事に無理を感じます。基礎的な内容に留めても射法八節を軽んずる事にはなりません。前後で制定時の事情やある程度柔軟性のある内容である事を補足、流派については流派ページにて詳述した方が詳細を書ける、誤解無く説明出来る点でも有効な手段だと思いますが…。
p.s.署名は--~~~~と記すか、テキストエリア上部のボタンをクリックで出来ますよ。またそれが署名時のマナーです。--福太郎 2007年11月4日 (日) 06:58 (UTC)


>福太郎さん

→貴方は結局八節をどの様な文章に変えたいのですか?例示して頂ければ、たたき台になって良いと思いますが・・・。また、「諸流派事情を盛り込む事は不可能です」と仰いますが、それは貴方の考え方です。

>全弓連射法に斜面打ち起こしがあるのでしょうか?

→多く見受ける意見ですが、戦前の制定射法と戦後に制定された射法八節を混同視していますね。弓道史をきちんとまとめた書物が少ないですから仕方のないことかも知れません。ちなみに制定射法のごたごたあたりの記述は当方が行いました。戦後の射法八節は単に大まかな節を決めただけで、結局はその節の中に流派であったり、個人の遣り方や考えを織り交ぜて一つのフィールドで様々な射手が行射出来るようにしただけです。とは言え、教本一巻だけでも殆どの流派や遣り方が網羅されていますね。

>無影心月流、一貫流、含めるなら旧武徳会射法なんてまさにそれです。

→本当に上記の遣り方をご存じですか?特に武徳会射法なんて・・・。どんな遣り方でも、射法八節に含めることも可能ですし、順序が変わったりはしませんね。同じ射場で行射出来ますよ。と言うことは、日本の弓道(ここでは歩射)は射法八節に絡めて説明することが可能です。

最後に気になったのですが、射法制定委員が定めた射法八節は教本一巻そのものだと思います。教本一巻は全弓連の根幹を成し、教本一巻=全弓連といっても過言ではないかと・・・。福太郎さんはwikは百科事典だから教本の説明は必要ないと仰りますが、この点がどうしても腑に落ちません。どちらかと言えば、教本の内容を要約して載せても問題ないと思っているくらいです。射法八節の記述すべて削除してしまえば、福太郎さんは納得されるのでしょうか?また、教本の巻末にある八節図解は、かなり時代が下ってから、時の会長の意見で載せられたモノです。射法制定委員とは無関係です。


Shigekata私案

  • 射法八節

全日本弓道連盟では、射の基本動作を8つに分けて説明・指導をしている。これを射法八節(弓道八節)と言い、戦後に日本弓道連盟(全弓連の前身)の射法制定委員により制定された。射法八節の基本的内容は下記の通りであるが、個人の考え方や流派により「節」を構成する技術に違いがあり、詳しくは全弓連発行の弓道教本2~4巻を参照の事。

  1. 足踏み(あしぶみ)
    • 脚を踏み開く動作。武射系(日置流系)は二足で踏み開き、礼射系(小笠原流)は一足で踏み開く。
  2. 胴造り(どうづくり)
    • 足踏みを基礎として、両脚の上に上体を安静におく動作。
  3. 弓構え(ゆがまえ)
    • 矢を番え、取り掛け(ゆがけで弦を保持すること)、的に顔を向ける動作。
    • 体の正面で構える「正面の構え」と、体の左前方で構える「斜面の構え」がある。
  4. 打起し(うちおこし)
    • 弓矢を持つ左右の両手拳を上に持ち上げあげる動作。
    • 「正面打起し」と「斜面打起し」がある。
  5. 引分け(ひきわけ)
    • 打起こした位置から弓を左右均等に引き降ろす、または押し開く動作。
  6. (かい)
    • 引分けが完成された(弓を引き切った)状態。矢は的を狙っている。
  7. 離れ(はなれ)
    • 矢を放つ、或は放たれること。
  8. 残心(ざんしん : 残身とも)
    • 矢が放たれた後の姿勢。
    • 精神を意味して「残心」、身体で意味して「残身」。

如何でしょうか?--Shigekata 2007年11月5日 (月) 02:53 (UTC)

>Shigekataさま
>貴方は結局八節をどの様な文章に変えたいのですか?例示して頂ければ〜
考え方では無く「見方」です。意図も先述の通り。理由も先述しました。前回の私の編集も履歴から見れます。
>個人の遣り方や考えを織り交ぜて一つのフィールドで様々な射手が行射出来るようにしただけ
そう言切ってしまって良いのでしょうか?その辺りの話は間合いに関する事が主だったはずですが。執筆したとは弓道本文にある制定経緯のくだりでしょうか?もう少し推敲が必要に思いますが、文献から得た情報なら註釈、引用元の参考文献を記しましょう。弓史に関する文献は少ないだけでなく、引用・参考元が同じであったり伝聞する過程で(意図的な改変も含め)内容が変わって来てしまっている事もあるので注意が必要です。
>日本の弓道(ここでは歩射)は射法八節に絡めて説明することが可能です。
大雑把に見て可能である事とwikiでの説明として適切かどうかはまた別の話です。八節の説明に流派事情を引用・解説しても、その流派事情が一般知識からかけ離れていては説明として成り立ちません。また流派射法と八節は同じものではないので混乱を招く恐れもあり絡めて説明するのはやはり無理があるかと思います。部分的な動作を見ても同一と取るか全く別物と見るか、立場や見方で意見は解れるでしょう。大まかな順番だけ合ってれば良しとは乱暴過ぎますし「大雑把に見て同じだから詳細を表記する」とは矛盾していませんでしょうか。「全弓連=教本」なら尚更です。この様な状態で冗長にならずに客観的・論理的根拠に基づき且つ読みやすく理解しやすい百科事典としての説明が、果たして可能なのでしょうか?盛り込むにしても慎重さを期したい所です。
>wikは百科事典だから教本の説明は必要ない
そんな事は一言も言っておりません。要約するのは良いですが、書かれている事の真意を予備知識の無い一般から見ても理解出来る記事にする必要があります。額面だけ要約し一般からは意味不明な文章にしても意味は無く、私が編集する直前は先述した通りそういう傾向がありました。
Shigekataさま私案ですが、恣意的なものでしょうか?技術論は必要ないとは書きましたが最低限の動作の説明と動作が持つ意味の解説は必要かと思います。
もう少し意図を読み取って頂けると助かるのですが…。再三ですが、冗長さを避けるために「八節の説明に諸流派事情を盛り込む事は反対」、読みやすさや内容充実の為に「諸流派事情、詳述は別記」。詳細理由はこれまで書いた通りです。あくまで「射法八節」に諸流派事情を盛り込む事を主張するのであれば、そこにどのような必要性があるのかを伺わないと議論になりません。--福太郎 2007年11月5日 (月) 10:11 (UTC)


>福太郎さん

>Shigekataさま私案ですが、恣意的なものでしょうか?技術論は必要ないとは書きましたが最低限の動作の説明と動作が持つ意味の解説は必要かと思います。

→恣意的なモノではありません。動作の持つ意味の解説を始めるのであれば、結局堂々巡りになってしまいませんか?私の私案はどんな引き方であっても当てはまるような記述に留めています。福太郎さんの仰る最小限とは一体どの様なモノなんでしょうね?引分けで大三の取り方を説明するのが最小限ですか?大三を取らずに射法八節を行っている方は多くいますよ。どこをどう切り取って最小限ですかね?私の私案の何処が気に入りませんか?先ずは具体的に話を進めなければ、何も始まりません。私の私案の何処に流派の記述が成されていますか?

>全弓連射法に斜面打ち起こしがあるのでしょうか?

→再度尋ねますが、本気で仰ってますか?八節図解のことを指しているのですかね?それとも誰かにそのように教わりましたか?

>もう少し推敲が必要に思いますが、文献から得た情報なら註釈、引用元の参考文献を記しましょう。

→そうですか?どのあたりですか?伝聞を元に記述している人なんて居るんですか!驚きますね。文献も種々ありますが、大体は射法制定委員であった浦上榮範士の著書「行射60年」からの引用です。かなり詳しくその経緯が記されています。

>要約するのは良いですが、書かれている事の真意を予備知識の無い一般から見ても理解出来る記事にする必要があります。

→そうですね。ただ、修正する前の福太郎さんの案には反対ですよ。一通りの引き方の記述しか成されていませんでしたから。--Shigekata 2007年11月5日 (月) 11:44 (UTC)

こちらは喧嘩を売っているわけではないのでもう少し冷静に意図を読み取ることは出来ないでしょうか?申し訳ないですがそのような態度ではこちらは質問には答えられません。論点は「射法八節」に諸流派事情を盛り込む必要があるかどうか、です。
>全弓連射法に斜面打ち起こしがあるのでしょうか?
言い方を変えましょう。「全弓連の“正式な指導下”に於いて、現在斜面を指導している所があるのか?」高校、大学で流派に属さず斜面を取っている、または部内で独りだけ斜面を取っているという例も見た事はありますが、それが「全弓連の正式な指導下」かと言われると「独断でやってる」程度のものしか見聞きしておりません。高校、大学時で流派ではない斜面を取っていても、卒業後全弓連傘下の一般に入ると正面に直した、と言う話も良く聞きます。故にこれはこちらからの質問です。聞き返されても困ります。
>浦上榮範士の著書「行射60年」からの引用です。かなり詳しくその経緯が記されています。
それが本文執筆の際参考にされた文献ですか?ならば参考文献として本文にリストアップして下さい。
>一通りの引き方の記述しか成されていませんでしたから。
はい、詳細・諸事情は別記するのが良いと申し上げています。理由は再三書いた通り。個人レベルまで勘案するのはやり過ぎです。「射法八節」の解説に詳細を盛り込む事に拘る必要がどこにあるのか?がこちらの疑問です。
繰り返しますが、論点と意図を明確に持って意見、主張、議論して下さい。解ってるかと思いますが、具体的以前の問題です。
では。--福太郎 2007年11月5日 (月) 12:51 (UTC)


>福太郎さん

>論点は「射法八節」に諸流派事情を盛り込む必要があるかどうか、です。

→貴方は議論から逃げていますよ。私の私案の何処に流派事情を盛り込んでいますか?必要最小限に動作を説明しています。私の知っている某全弓連傘下の地連の初心者教室では、最初に講習者に対して正面打起しか、斜面打起しかを模範演武を見てから決めさせていますよ。言葉がキツイかも知れませんが、福太郎さんの知っている弓が全てではないのです。

>卒業後全弓連傘下の一般に入ると正面に治した、と言う話も良く聞きます。故にこれはこちらからの質問です。聞き返されても困ります。

→結局貴方こそ伝聞じゃないですか。再度言いますが、貴方の知っている弓は全ての弓を網羅している訳ではありませんから。

>詳細・諸事情は別記するのが良いと申し上げています。理由は再三書いた通り。個人レベルまで勘案するのはやり過ぎです。「射法八節」の解説に詳細を盛り込む事に拘る必要がどこにあるのか?がこちらの疑問です。

→再々申し上げますが、私案の何処に問題点がございますか?「解説に詳細を盛り込む事に拘る」なにを以てこの発言なのでしょう。やはり大三の遣り方を記述して、一足開き二足開き、斜面打起しの記述を削除すれば得心されるのですか?

--Shigekata 2007年11月5日 (月) 20:57 (UTC)

>私の知っている某全弓連傘下の地連の初心者教室では、
なるほど、やはり。では最初からそう答えて下さい。それがどれ程一般的な認識か知りませんが、「本気ですか?」とは何事でしょうか?言葉以前の問題でしょう。
>貴方の知っている弓は全ての弓を網羅している訳では
私に限らず誰に対しても言える事でしょう。当然Shigekataさんにも。『全て』を網羅する事は無理がありますしその必要の有無も。なのでこういう議論の場があるのです。
>やはり大三の遣り方を記述して、斜面打起しの記述を削除すれば
大三の記述を削除すべきとは一言も言っておりません。斜面打起しも削除すべきだとも言っておりません。用語に対して解説が必要だとは書きました。冷静に意図を読み取って下さいとも。
>例示して頂ければ、たたき台になって
>反対ですよ。一通りの引き方の記述しか成されていませんでしたから。
>必要最小限に動作を説明しています。
>何処に流派事情を盛り込んでいますか?
>武射系(日置流系)は二足で踏み開き、礼射系(小笠原流)は一足
私の書き方は叩き台にするまでもなく一通りの記述しかないので反対、私案は必要最小限だから問題無い、と?いろいろと矛盾して見えますが、何をされたいのでしょうか?Shigekataさんの言う「議論」の意図が見えません。
>「解説に詳細を盛り込む事に拘る」なにを以てこの発言なのでしょう。
では「射法八節」に諸流派事情を「盛り込まない」でよろしいのでしょうか?出来ればこれに対してもYES/NOで返答が欲しいのですが。「私案」「叩き台」に手を加えるのもその先の話です。ここが前回私が編集した箇所で、今回の議論、記事作成の骨子ですので。--福太郎 2007年11月6日 (火) 10:41 (UTC)


>福太郎さん

>当然Shigekataさんにも。『全て』を網羅する事は無理がありますし

→私は推論や伝聞では記述していませんし、少しでも分からない部分があれば、全く手を触れていません。

>「射法八節」に諸流派事情を「盛り込まない」

→簡単に仰りますが、現在の弓道は流派弓道が曖昧になり、様々な流派が混同されているだけで、各部・各動作に様々な流派の事情が知らず知らずの内に盛り込まれています。名称の由来に関しては記述を避けることが出来ますが、各節の動作を当方の私案以上に盛り込むのであれば、流派名を抜きにしても種々の動作を説明する必要があるでしょう。また射法八節の前文に関しては、Shigekata私案が弓界そのものを現していると思われ、それ以上に書き加えることは蛇足だと思います。

>「下地がなんであろうと現状は教本一巻の「八節」が統一射法なのですから。」「全弓連射法に斜面打ち起こしがあるのでしょうか?」

→ただ、福太郎さんのこの発想が改まらない限り、議論自体成り立ちません。全弓連の射法八節の中には、2種類の足踏み、大まかに2種類の弓構え・打起し、4乃至5種類の引き分けが含まれています。教本で説明されている通りです。しかも、その節各々の詳しい技術は、教本2~3巻の様々な射手の話を参考にすべきとちゃんと書かれています。これが、全弓連射法八節の現実です。「統一射法・全弓連射法」という幻想、斜面打起しは統一射法以外で認めているという妄想(斜面に打起こせば流派弓術か?違いますね。)、福太郎さんだけではないですが、このあたりの認識は多く見受けます。どうしてでしょうかね?教本を良く読めば、そのような空想は出来ないと思うのですが・・・。


射法八節の動作で記述すべき動作の違い。

  1. 足踏み(あしぶみ)
    • 一足開きと二足開きの記述が必要。
  2. 弓構え(ゆがまえ)
    • 「正面の構え」と、「斜面の構え」の記述が必要。
  3. 打起し(うちおこし)
    • 「正面打起し」と「斜面打起し」の記述が必要。拒否されるかも知れないが、斜面打起しでも、印西・雪荷・道雪系と竹林系の打起しの違い。
  4. 引分け(ひきわけ)
    • 正面に打起して、大三を取らずに引き分ける遣り方。正面に打起して一旦大三を取り、引き分ける遣り方。(非竹林系)斜面に打起してそのまま引き分ける遣り方と、三分の二を取る遣り方。竹林系の打起しで、大三を構成する遣り方の記述が必要。

もし、動作を当方の私案以上に記述するのであれば、教本に紹介されている上記の動作は最低限必要だと思います。 --Shigekata 2007年11月6日 (火) 13:09 (UTC)

>このあたりの認識は多く見受けます。どうしてでしょうかね?
「空想」でも「妄想」でも無く「経験則」では。それと私に対する「伝聞」ですが、これも「証言」です。教本読んだだけで「現実一般に有る」と断定してしまう方が「妄想」と考えますが。なので「情報交換」も、議論で大事な要素の1つです。故に
>斜面打起しは統一射法以外で認めているという妄想
こんな妄想を多くの人間が抱いていると言う妄想も避けねばなりません。
>簡単に仰りますが
簡単だと思いますが。1つ1つの動作に流派由来があったとしてもいちいちそれを八節の解説に入れていては埒が開きません。初心者に一番最初に指導する程度の容量で良いと思ってます。それ以上深く掘り下げるなら、後述か各流派ページへ。その方が記事構造も整理でき、後の編集性、効率も良いかと思います。「私案」前文は良いと思いますが「詳しくは全弓連発行の弓道教本2~4巻を参照の事。」これはちょっと同意しかねます。
>〜これが、全弓連射法八節の現実です。
現実というか、弓連の教本の技術解説なのでそうなるのが当然かと。ただ教本にあれだけ書かれている事の真意は「色々ごっちゃになってる」ではなく「字面に捕らわれるな」でしょう。技術書なのですから。
>各部・各動作に様々な流派の事情が知らず知らずの内に盛り込まれています。
それは現実の個人レベルでの話ですか?それを「八節」の動作解説に盛り込む事自体無理がないでしょうか?全ての網羅は不可能ですし、弓引きにしか解らない内容までは論外。恐らくShigekataさんが存分に書き上げれば大層な量になるでしょうが、だからこそ別記が適切かと。そもそも前文で「流派・個人で違い有り」としているので、本来ならこの前提一文あれば事足りるはずです。
>福太郎さんのこの発想が改まらない限り
私の「発想」とは?斜面打起し、二足開き、両方とも「教本に書かれているだけで全弓連指導下では事実上行われていない」ので無ければ盛り込んでも良いかもしれませんが、「武射系は二足」と入れると「弓連射法に武射系・礼射系がある」と取る事が出来てしまいます。また「一足開き→斜面・二足開き→正面」と取る事も出来てしまいます。一足・二足、正面・斜面の動作説明も必要で、武射系・礼射系を入れると「武射系とは〜」と説明もしなければなりません。これだけの補足を入れるだけで結構な量に成ってしまい、結局読み難く煩雑な文面にしかなりません。私が懸念する所の1つです。
>印西・雪荷・道雪系と竹林系の打起しの違い。
これはどうでしょうか。竹林系内でもかなり違いますし無影心月流は打起し後に「物見」を行いますが、ここに触れない理由は?そもそも「八節」で「流派射法」を説明するのは先も書いた通り同意出来ません。「流派=八節」という認識が出来てしまいます。引分けに関しても同様、{{see also}}で誘導、流派ページで詳述するのが一番かと。
Shigekataさんが私の編集で気に入らないのは「内容が偏ってる」もしくは「どれが基本か?」という所でしょうか?1つの文節で教本・実情・流派全ての網羅は無理です。なのでそれぞれの立場に立ちそれぞれ個別に記事作成するのが肝要かと思われますが、どうでしょうか。--福太郎 2007年11月6日 (火) 15:50 (UTC)


現在、八節解説文を教本を参考にして、弓道を知らない人でもある程度理解出来るような文章を作成中です。出来次第この頁に掲載しますので、皆さんで推敲して欲しいと思います。もう暫くお待ち下さい。--Shigekata 2007年11月8日 (木) 03:50 (UTC)

本文の方でノートに誘導してあるので本文に書き込む前に無用な編集を避けるため一度ノートの方へお願いします。--福太郎 2007年11月8日 (木) 09:19 (UTC)


>一度ノートの方へお願いします。

→「この頁」とはノートのことですからご心配なく。また、福太郎さんのお尋ねの件は無視しているわけではありません。たたき台があった方が話も進み易いだろうと、私案(2)を作成してみました。福太郎さんに限らず、多くの方の意見も聞いてみたいと思っています。

Shigekata私案(2)

  • 射法八節

全日本弓道連盟では、射の基本動作を8つに分けて説明・指導をしている。これを射法八節(弓道八節)と言い、戦後に日本弓道連盟(全弓連の前身)の射法制定委員により制定された。射法八節の基本的内容は下記の通り。

  1. 足踏み(あしぶみ)
    • 弓を射る位置で的に対して側面に向いて立ち(体の左側が的方向)、外向きに開いた両足先を結ぶ線が的の中心に一致する様に、両脚を左右に踏み開く動作。外向きに開いている両足の角度は約60度。両足先の間隔は身長の半分程度。
    • 顔を的に向けたまま左足を的に向かい半歩踏み開き、次に右足を一旦左足に引きつけて右外側へ扇の様な軌道を取りつつ踏み開く動作(「一足開き」と呼ぶ)と、顔を的に向けたまま左足を的に向かい半歩踏み開き、一旦目線を足下に取り右足を外側に半歩踏み開く動作(「二足開き」と呼ぶ)がある。
  2. 胴造り(どうづくり)
    • 足踏みを基礎として、両脚の上に上体を安静におく動作。弓の下端を左膝頭に置き、右手は右腰の辺りに収める。
  3. 弓構え(ゆがまえ)
    • 矢を番えて弓を引く前に行う準備動作。「取懸け」(ゆがけで弦・矢を保持すること)、「手の内」(弓を保持する左手の形を整えること)、「物見」(的に顔を向けること)の動作が含まれる。
    • 体の正面にて取懸けて構える「正面の構え」と、体の正面にて取懸けて左斜め前(自分から見て)で手の内を整え弓を押し開いて構える「斜面の構え」がある。
  4. 打起し(うちおこし)
    • 弓矢を持った両拳を上に持ち上げる動作。打起しの高さは頭を少々越える程度が基準とされているが、年齢や体格による違いは認められている。
    • 正面の構えからそのまま両拳を同じ高さに打起す「正面打起し」と、斜面の構えから両拳を体の左前方に打起す「斜面打起し」がある。
  5. 引分け(ひきわけ)
    • 打起こした位置から弓を押し弦を引いて、両拳を左右に開きながら引き下ろす動作。下記に紹介する3つの様式がある。
    • 1、正面に打起して両拳に高低が出ぬように左手を的の方向へ突き伸ばし、右肘から先は弦に引かれて的に向かうが右肘はその場で支え、途中動作を止めないで引分ける方法。
    • 2、正面に打起して両拳に高低が出ぬように左手を的の方向へ突き伸ばし、右肘から先は弦に引かれて的に向かうが右肘はその場で支え、丁度弦を3分の1程引き取った「大三」(押大目引三分一(おしだいもくひけさんぶんのいち)の略)の状態で外見上の動作を一旦止めて再度引分ける方法。
    • 3、斜面打起しから途中動作を止めないで引分けるか、矢が眉毛の高さに達して弦を3分の2程度引いた「三分の二」の状態で外見上の動作を一旦止めて再度引分ける方法。
  6. (かい)
    • 引分けが完成された(弓を引き切った)状態。矢は小鼻の下部(「頬付け」と呼ぶ)~上下唇の中間(「口割り」と呼ぶ)の高さに収まり(僅かに顔と接している)、矢の延長線上には的の中心がある。ただ、矢の仰角や俯角は弓力・技量・技術の違いにより上下の飛行軌道が変わってくる為、経験則で個々に調整をしている。
  7. 離れ(はなれ)
    • 矢を放つ、或は放たれること。
  8. 残心(ざんしん : 残身とも)
    • 矢が放たれた後の姿勢。
    • 精神を意味して「残心」、身体で意味して「残身」。

射法八節の基本的内容は以上の通りだが、各節を構成する詳しい技術の内容については全弓連発行の弓道教本2~4巻で、総勢19人の範士の先生方が様々な立場から詳細に述べられている。

以上Shigekata私案(2)

射法八節が制定された時代背景や制定の目的、今後の弓界に望むこと等が教本一巻・千葉会長の「発刊のことば」で明確になっています。この理念を現在に生きる弓引きも忘れてはならないし、曲げる事も許されざる事だと思います。教本の抜本的な改訂を目指す動きが何度もありましたが、私は大いに反対です。言う必要もありませんが、現在教本一巻の巻末にある「射法八節図解」は廃止するべきだと思っています。「射法八節図解」が教本巻末に載ったのはかなり時代が進んでからになります。--Shigekata 2007年11月8日 (木) 11:53 (UTC)

とりあえず最後のコメントに対してですが、WP:WIN#ウィキペディアは演説をする場所ではありませんWP:ORWP:ABWP:NPSWP:NPOVWP:V、これらご確認下さい。推敲はまた。--福太郎 2007年11月8日 (木) 15:08 (UTC)

八節新案

※ノート文面が無駄に長くなる事を避けるため、可能な限り下記内容を書き換える形で補記、追記して下さい。


全日本弓道連盟では、射の基本動作を8つの節に分けて説明・指導をしている。これを射法八節(弓道八節)と言い、戦後に日本弓道連盟(全弓連の前身)の射法制定委員により制定された。射法八節の基本的内容は下記の通り。

1.足踏み(あしぶみ)
射位(しゃい:弓を射る位置)で的に向かって両足を踏み開く動作。
  • 最初に「執り弓の姿勢」(弓を左手、矢を右手に持ち両拳は腰に、両足を揃えて立つ姿勢)を取り、続いて「射位」に入り「足踏み」を行う。「射位」で的右手方向を正面にして立ち、両足爪先を結ぶ線の延長に的の中心が来る様に両脚を左右に踏み開く。両足底は外向きに約60度開き、両足爪先の間隔はおおよそ身長の半分程度。踏み開き方には以下二種の様式がある。
  1. 「一足開き」…顔を的に向けたまま左足を的に向かい半歩踏み開き、次に右足を一旦左足に引きつけて右外側へ扇の様な軌道を取りつつ踏み開く。
  2. 「二足開き」…顔を的に向けたまま左足を的に向かい半歩踏み開き、一旦目線を足下に取り右足を外側に半歩踏み開く。
  • 礼射系に由来する射法の場合は「一足開き」、武射系に由来する射法の場合は「二足開き」。


2. 胴造り(どうづくり)
足踏みを基礎として、両脚の上に上体を安静におく動作・構え。
  • 弓の下端を左膝頭に置き、弓を正面に据える。右手は右腰の辺りに置く。
  • 「足踏み」と共に弓を引く為の基本姿勢を作る。


3. 弓構え(ゆがまえ)
矢を番えて弓を引く前に行う準備動作。
  • 「取懸け」(とりかけ:ゆがけで弦・矢を保持すること)、「手の内」(てのうち:弓を保持する左手)を整える。
  • 「取懸け」、「手の内」、「物見」(ものみ:的を見定める)の動作が含まれる。「弓構え」には大別して以下二種の様式ある。
  1. 「正面の構え」…体の正面にて取懸けて構える。
  2. 「斜面の構え」…体の正面にて取懸けて左斜め前(自分から見て)にやや弓を押し開き、手の内を整え構える。
  • 礼射系に由来する射法の場合は一足開きの足踏みで正面の構え、武射系に由来する射法の斜面の構えか、二足開きの足踏みで正面の構え。


4. 打起し(うちおこし)
弓矢を持った両拳を上に持ち上げる動作。
  • 次の「引分け」へ繋げる為の動作。「打起し」には大別して以下二種の様式がある。
  1. 「正面打起し」…正面の構えからそのまま弓矢共々両拳を垂直に持ち上げる。
  2. 「斜面打起し」…やや弓を押し開いた斜面の構えから両拳を左前方に打起す。
  • 礼射系に由来する射法の場合は一足開きの足踏みで正面打起こし、武射系に由来する射法の場合は斜面打起しか、二足開きの足踏みで正面打起し。


5. 引分け(ひきわけ)
打起こした位置から弓を押し弦を引いて、両拳を左右に開きながら引き下ろす動作。
  • 「引分け」には以下三種の様式ある。
  1. 正面に打起した状態から左拳を的方向へ送り腕を伸ばし、右腕は弦を支え右拳を左拳と高さを合わせながら肘を張り、途中止めずに左腕は弓を押し開きつつ右腕を引き下ろし、次の会へ繋げる。礼射系に由来する射法の引分け方。
  2. 正面に打起し、引分けの途中「大三」(だいさん:押大目引三分一(おしだいもくひけさんぶんのいち)の略。弦を3分の1程引き取った状態。)で一旦動作を止め、一呼吸置いた後、さらに引分けて会へ繋げる。武射系に由来する射法の引分け方だが、足踏みは一足開き・二足開き双方とも組み合わせられる。
  3. 斜面に打ち起こした状態から弓を押し開きつつ右腕を引き下ろし、会へ繋げる。あるいは、引分けの途中「三分の二」(矢が眉毛の高さ、弦を3分の2程度引き取った状態)で一旦動作を止め、一呼吸置いた後、さらに引分ける。武射系に由来する射法の引分け方。


6.(かい)
引分けが完成(弓を引き切った状態)され、矢は的を狙っている状態。
  • 矢は右頬に軽く添え(頬付け)、小鼻の下部から上下唇の間(口割り)の高さ以内に収める。
  • 見た目上は静止して見えるが身体的には「会」に入った後も力を掛け続け、次の離れへと繋げる。


7.離れ(はなれ)
矢を放つ、或は放たれること。
  • 右腕が大きく右方向に伸びる「大離れ」、右拳が右方向に僅かに移動するに留まる「小離れ」、その中間の「中離れ」がある。
  • 三種の内どの離れに至るかは「引分け」〜「離れ」に至る力の掛け様により異なってくる。


8.残心(ざんしん:残身とも書く)
矢が放たれた後の姿勢。
  • 「離れ」後、そのままの姿勢を数秒保ち、心身ともに一息置く。
  • 精神を意味して「残心」、身体で意味して「残身」と書く。

各節の詳細な技術内容は、流派や個人の考え・体格・思想等により異なり、また全弓連発行の弓道教本2~4巻で、計19人の弓道家がそれぞれの立場から各技術を詳細に述べている。


とりあえず推敲のみ。3分の2は印西派浦上系の技術だったかと。やはり各流派の細かい技術を切り貼りされているような印象。制定委員による制定時の八節に拘るなら、その旨を追加。現在に置ける実情を無視する事は出来ません。--福太郎 2007年11月9日 (金) 10:24 (UTC)

引分けは教本の記述に従ったままで、「三分の二」も紹介されています。また、一般で非竹林系の斜面打起しをされている方の多くは浦上系であると思われ、これも現在に置ける実情かと。また、福太郎さんのおっしゃる現在に置ける実情というのはどういう事なのでしょうか?それは日本全国に当てはめる事が出来ますか?また、八節制定時と現在の八節は異なると仰りたいのですか?確かに、教本一巻にはかなり後年になって射法制定委員が関わっていない射法八節図解が添付され、多くの予備知識のない初心者は、射法八節と言えばあの図解をイメージするようになっていますね。--Shigekata 2007年11月9日 (金) 11:33 (UTC)

>教本の記述に従ったままで、「三分の二」も紹介されています。
今ちょっと手元に教本が無いので確認出来ませんが、一巻に記載されていましたか?
>射法八節と言えばあの図解
繰り返し拘っているようですが、射法八節から教本の図解を否定する根拠は?制定委員が直接関わっていなかろうが後年に付け加えられようが弓連が発行するれっきとした書物です。あの図解が間違っているという公式見解・発表でもあったのでしょうか?
>一般で非竹林系の斜面打起しをされている方の多くは浦上系であると思われ、これも現在に置ける実情かと。
ほんとうに?全弓連指導下で?3分の2を?「思う」ではなく「見た事ある」としてもまずはWP:V#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」をよくよく確認下さい。
>福太郎さんのおっしゃる現在に置ける実情というのはどういう事なのでしょうか?
そのまま「現在の弓道に置ける実情」です。制定時から現在に渡って射法研究はされ続けています。道具も変われば当然射法も変わります。変化が無い方がおかしい。「制定委員が直接残した文言のみが正しい」としてもまずはWP:OR#Wikipedia:中立的な観点こちらを良く読んで下さい。
wikiは貴方の思想や理想を発表する所でも宣伝する所でもなく、百科事典です。こちらも貴方の思想・理想を否定する気はありませんし興味もありません。「じゃあどうすれば満足ですか?」と個人的な問いかけをするでしょうが、私が繰り返し言っているのはこうです「百科事典としての立場を弁えて下さい」「偏重的な傾向にならないように」。どうしても納得いかないようであればこちらへWP:PRV。--福太郎 2007年11月9日 (金) 15:48 (UTC)

三分の二に関しては、教本一巻に載ってます。射法八節図解の件ですが、斜面が載っていないところで既に問題があると思っていますし、此処では余り深く触れませんが、一個人(一つの引き方)がモデルなんですね。と言うことは、教本一巻で触れられている様々な引き方の内のたった一つにしか過ぎないのです。その上、「射法八節図解」と銘打たれてしまうと、あの射と大きく違う射法八節があるにも関わらず、あの射そのものが唯一の射法八節であるという誤解を生んでしまいます。現に「統一射法」とか「全弓連流」、「斜面に打起せば流派弓・日置流」等という発言に繋がっています。斜面の記述に関しては、浦上栄範士の門人は非常に多く日本各地に広がっており、浦上同門会も日本の各地に支部があります。また、稲垣範士の著物も市中に多く広まっています。非竹林系と言うところがミソで、岡山や鹿児島の出水地方、遠駿三地方を除けば、三分の二を取る射手がメジャーの筈です。言葉尻を捉えて貰っても結構ですよ。当方には実際に検証する方法がありませんから。単に、福太郎さんの周囲に三分の二をとる斜面の射手で指導者層が居ないだけではないのですか?ちょっと話が逸れますが、全弓連のビデオシリーズは様々な引き方に触れており、「良くできているなぁ」と思っています。

>制定時から現在に渡って射法研究はされ続けています。道具も変われば当然射法も変わります。変化が無い方がおかしい。

→どんな射法研究が成されて居るんでしょうかね?個人の見解を詳述しているだけではありませんか?大概現代弓道とか銘打ってますね。果たして現在進行中の射法研究は何処に向かっているのでしょうか?射法に影響を与えるだけの道具の変化がありましたか?そんなに道具が変わっていないのに、どうして技術が徐々に変化するのでしょうか?しかも年々弱弓化しているそうです。弱い弓であればどんな引き方でも引けてしまいますからね。これが研究の成果でしょうか?グラス弓・金属製矢が大きな変化だと思いますが、竹弓竹矢でしか出場出来ない権威ある試合がありますから、安価で手に入る道具の進化は否定されているのかな?私は竹弓竹矢の構造は非常に良くできていると思いますが、グラス弓・金属製矢も併せて認めても良いのでは?と思っています。年々理念や技術を変化させていき、「日本古来から伝わる弓の道」という文言を何時か捨ててしまうのでしょうかね?日本人のライフスタイルがいくら変わろうとも、弓矢の現実的な(実際の)目的は変わりません。「的中」「早い矢飛び」「精度」を捨てるのであれば別ですが。

>「百科事典としての立場を弁えて下さい」「偏重的な傾向にならないように」。

→射法八節図解に少々拘った点は此処にあります。あれは偏っていると思いませんか?たとえ現在の全弓連に煙たい記述があっても、それは百科事典としての公平な立場から記述したまでです。ウィキペディアは全弓連の御用百科事典ではありませんから。また、多くの方からの意見も聞いてみたいのですが・・・。--Shigekata 2007年11月9日 (金) 17:26 (UTC)

>あの射と大きく違う射法八節があるにも関わらず、あの射そのものが唯一の射法八節であるという誤解を生んでしまいます。
>斜面の記述に関しては、浦上栄範士の門人は非常に多く日本各地に広がっており、
はい、ですから細かい事は別記しましょう流派事情は流派ページへと申し上げています。
>当方には実際に検証する方法がありませんから。
ちょっと誤解があるようですね。『なぜいけないのでしょう。それは「ウィキペディアの閲覧者層や他の編集者が満足に検証することができないから」です。読者は、あなたが誰なのかを知りません〜たとえあなたに連絡がとれるようになっていたとしても、閲覧者があなたを信じる理由がどこにあるでしょう。』それで全弓連指導下で「全弓連の射法八節」と称しながら浦上系の射法を取っているのが「メジャー」なのですか?よく理解出来ませんが、「メジャー」を理由にするなら「メジャー」と言切れるだけの信頼出来るデータを示しましょう。
>教本一巻で触れられている様々な引き方の内のたった一つにしか過ぎないのです。
教本に書かれている事の真意はそこじゃないでしょう。
>どんな射法研究が成されて居るんでしょうかね?個人の見解を詳述しているだけではありませんか?
1つだけを見れば個人の見解と切り捨てる可能でしょう。大局的に見れば全然違いますが。そういう見方をすれば教本も「個人の見解」を列挙してるに過ぎないでしょう。また「○○の射法は存在する」とほじくり返せばいくらでも出てくるでしょう。だから検証可能性で、「詳細は別記」なのです。
>射法に影響を与えるだけの道具の変化がありましたか?そんなに道具が変わっていないのに、どうして技術が徐々に変化するのでしょうか?
ここで言う「変わってる」のは弓とカケですが、ここで技術指導はしません。一言、「変わって当たり前」です。
>大概現代弓道とか銘打ってますね。果たして〜を捨てるのであれば別ですが。
この部分は個人的な思想ですね。wikiにとって弓の強弱は実情であってどちらかの立場に立って善し悪しを言及する所ではありません。伝統が失われつつあるならそれも実情です→中立的な観点。理想を持つのは結構ですが、記事がそれに引きずられないようお願いします。「統一」に拘る事も個人思考が伺えます。「統一」は他ではいくらでも出てくるので「教本に書かれていない」ではなく信頼出来る情報源で「否定されている」ならばO.K.。
>射法八節図解に少々拘った点は此処にあります。あれは偏っていると思いませんか?
偏ってるというか、実に基本的な事のみを記してますね。だからこそ初心者指導でも使いやすく記事の参考にもしやすいのですが。全ての内容を理解するのに数年の修練が必要ですがね。「八節図が正面だから正面のみを紹介する」事に対して異を唱える事は良いですが、持論を持って否定してしまうのは独自研究に抵触します。
>たとえ現在の全弓連に煙たい記述があっても、それは百科事典としての公平な立場から記述したまでです。
つまり教本に書かれている制定委員に限った射法を全て同列に扱い、併記したいと言う事でしょうか。八節図解は「一個人の引き方」という考えで。「射法八節とは何か?」と問われたら「存在しない」という結論に辿り着きそうな考えですね→砂山のパラドックス。では「射法八節」項そのものの意味が無くなるので全削除、若しくは射法専用ページ新設が妥当となります。全弓連の定める「射法八節」は多値論理のようなものだと思ってますが。教本はまさにそういう文脈でしょう。--福太郎 2007年11月10日 (土) 06:33 (UTC)

>福太郎さん

論点のすり替えはいい加減止めましょう。『全弓連指導下で「全弓連の射法八節」と称しながら浦上系の射法を取っているのが「メジャー」』なんて言いましたか?非竹林で斜面打起しをしている中では多いと書きましたが、勝手な意訳は勘弁して下さい。まさか、福太郎さんは斜面に打起せば日置流とか流派弓だと思いこんでいる方なのですか?正面に打起して大三を取り引き分ける遣り方は本多流が起源です。只単に多数であったから、それが全弓連の射になるとでも?はっきり言い切れば、今現在日本で引かれている弓全てが、流派の流れを汲んでいます。斜面に打起し三分の二をとる射は印西派浦上系が起源ですが、全弓連射法八節の弓であるとも言えます。流派に属さないでも、斜面打起しであったり、本多の引き方の射手なんて沢山居るじゃないですか。

>「変わって当たり前」です。

→何故変わるのか?何を目指しているのか?それを否定するつもりはありませんが、あくまでもそれは貴方の価値観ですね。変わることが当たり前ではないと思っている人間も居ます。全弓連や射法八節があるおかげで、様々な価値観の人間が、同じフィールドで弓を一緒に引くことが出来るのです。

>全弓連の定める「射法八節」は多値論理のようなものだと思ってますが。教本はまさにそういう文脈でしょう。

→射法八節はあくまでも節を定めただけで、節を構成する技術は様々存在します。私が当初から述べている通りです。ですから、全弓連は教本2~4巻を発行しているのです。全弓連は射法八節を定めましたが、技術は多様を認めています。制定時もそこがミソになっています。千葉範士の巻頭の言葉でも明かですし、現代弓道講座の一巻では村上久範士が割と詳しく八節制定の表と裏の事情を述べていらっしゃいます。現在のところ当方は「八節新案」に賛成しています。福太郎さんは如何ですか?いたずらに論点をはぐらかした言葉遊びは止めて、「八節新案」を完成させようじゃありませんか。それとも八節の項を全削除しますか?但し、此処での経緯を説明してからですよ。--Shigekata 2007年11月10日 (土) 09:16 (UTC)

>非竹林で斜面打起しをしている中では多いと書きましたが、勝手な意訳は勘弁して下さい。
そう取られないよう内容、書き方、態度に注意しましょう。
>何故変わるのか?何を目指しているのか?それを否定するつもりはありませんが、あくまでもそれは貴方の価値観ですね。
特性が変わるから。的中若しくは人それぞれ。「価値観」でなく「技術」。知らない解らない事は存在から否定、自身の解釈のみが全てですか?
>斜面に打起し三分の二をとる射は印西派浦上系が起源ですが、全弓連射法八節の弓であるとも言えます。
浦上系が全弓連射法?これには他にも異論が予想されるので出典をお願いします。
>流派に属さないでも、斜面打起しであったり、本多の引き方の射手なんて沢山居るじゃないですか。
沢山?それは実情に関わる問題ですが、その方々は流派射法をしっかり継承しながら「全弓連射法」を自称しているのでしょうか?→検証可能性
>全弓連や射法八節があるおかげで、様々な価値観の人間が、同じフィールドで弓を一緒に引くことが出来るのです。
それはただの「ルール」です。
>節を構成する技術は様々存在します。技術は多様を認めています。
仮に八節図解を基本に執筆しても「その限りではない」とすれば問題は無いのでは?むしろ教本のみに拘ったり中途半端に盛り込む方が却って誤解を招きやすいでしょう。
>いたずらに論点をはぐらかした言葉遊びは止めて、
論点とは?こちらは反らしている気は毛頭ありませんが。「詳細は別記する」と最初に申し上げましたがこれは無視ですか?盛り込みたいならその根拠を。
>現在のところ当方は「八節新案」に賛成しています。
反対です。執着とも取れる制定委員至上主義が文面、発言共々多分に見て取れます→中立的な観点
1つの引き方しか記述されていない→別記しましょう。正面・大三はあくまで数ある内の1つ→前後でその旨補記しましょう。多様性がある→流派・教本のみに拘る事はやめましょう。実際は○○である→出典明記、参考文献リストアップしましょう。何が気に入らないのでしょうか?
wikiのコメント依頼に出しました。他の方の意見が来るまでしばしお待ち下さい。--福太郎 2007年11月10日 (土) 10:55 (UTC)

>「価値観」でなく「技術」。知らない解らない事は存在から否定、自身の解釈のみが全てですか?

→技術が変わると言うことは、目的も幾分変化しているからではないのですか?目的が変化しないのに技術だけは変化していくんですね。つまりそれは弓射に対する価値観と考えることも出来ないでしょうか?私は全く理解出来ませんが、認めないということもしません。ですから、様々な引き方や理念の人が同じフィールドで引けるようになった射法八節制定の意味は大きいと思います。弓道要則のように統一して実行しようとするよりも、実現性があり曖昧性を残している点が優れています。また、弓道要則(つまりは統一制定射法)制定の陰には国家による統制が影響しており、軍部や文部省や種々団体がからんだちょっと微妙な動きがあったことも忘れてはならないことです。

>浦上系が全弓連射法?これには他にも異論が予想されるので出典をお願いします。

→冷静になって文章を読んでみて下さい。やはり貴方は全弓連射法という言葉を用いますね。浦上系の射も全弓連射法八節の中に含まれる弓射の一つです。何が何でも出典ですね。教本の一巻と二巻、四巻をご参照下さいませ。射法八節は流派の弓や新興の弓を統一しようと制定されたモノではないという点を再認識して頂きたいと思います。あくまでも、一つのルールを制定したと捉えた方が理解しやすいと思います。

>その方々は流派射法をしっかり継承しながら「全弓連射法」を自称しているのでしょうか?

→教本を読みながら、好みの先生を定めてその先生の述べる技術を練習してはいけないのですか?何のために教本を沢山作ったのでしょうか?全弓連や教本の否定に繋がりませんか?ただ、否定する事を否定するのは問題がありますね。

>執着とも取れる制定委員至上主義が文面、発言共々多分に見て取れます

→現在の新案の中にそのような文言が含まれていますか?新案中に問題発言があるのであれば、即刻対応致しますが、ノート中の発言が偏っているから八節新案に反対されているのですか?ノート中の発言は「弓道」本文に全く掲載されませんし、何処にどう問題があるのでしょうか?多くの人に見られてはまずい事柄が含まれていますか?現在の新案は教本一巻そのそのものですよ。教本一巻自体を偏っていると仰りたいのですか?教本至上主義者は現代弓道では不適当と選別されるのでしょうか?ただ、一つお聞きしたいのですが、新案の何処がどの様に問題があるのですか?具体的に指摘して頂きたいと思います。--Shigekata 2007年11月10日 (土) 14:36 (UTC)

>目的が変化しないのに技術だけは変化していくんですね。つまりそれは弓射に対する価値観と考えることも出来ないでしょうか?
目的の為に技術の研鑽はあって当然の事です。個人レベルの目的と弓連の標榜する目的を混同しないように。
> 様々な引き方や理念の人が同じフィールドで〜ことも忘れてはならないことです。
独自解釈、論点ズレだらけです。無駄に話を広げると収集付きませんし貴方の思想にも興味ありません。弓連の八節が曖昧だからって記事が曖昧では話になりません。「どこが?」と聞き返すのもいい加減やめましょう。
>やはり貴方は全弓連射法という言葉を用いますね。
「統一射法」が「間違い」という根拠は「教本に載っていない」からですか?否定するには弱いですね。
>浦上系の射も全弓連射法八節の中に含まれる弓射の一つです。
これは流石に初耳ですね。確かに教本には色々と紹介されていますが、教本にそのような解釈があったとは。では教本に載っていない流派は?
>あくまでも、一つのルールを制定したと捉えた方が理解しやすいと思います。
言いたい事は理解出来ますが、ではどこの流派でもない一足・正面・大三を取る射法・指導は一体なんなんでしょうか。本多流と無理矢理決めつけますか?
>教本を読みながら、好みの先生を定めて〜否定する事を否定するのは問題がありますね。
こちらは質問をしたのですが。
>現在の新案の中にそのような文言が含まれ〜具体的に指摘して頂きたいと思います。
はい、文言の問題ではないのですが一方的に質問を浴びせかける前に。無視し続けているこちらの質問に答えて頂きたい。
  • 「詳細は別記する」これにYES/NO。
  • 仮に八節図解を基本に執筆しても「その限りではない」とすれば問題は無いですね?曖昧なんですから。
  • 文献情報なら出典明記。参考文献リストアップ。--福太郎 2007年11月10日 (土) 16:39 (UTC)

>目的の為に技術の研鑽はあって当然の事です。個人レベルの目的と弓連の標榜する目的を混同しないように。

→文意を理解して頂けませんでしたか・・・。まあ、言葉足らずでしたね・・・。

>独自解釈、論点ズレだらけです。無駄に話を広げると収集付きませんし貴方の思想にも興味ありません。弓連の八節が曖昧だからって記事が曖昧では話になりません。「どこが?」と聞き返すのもいい加減やめましょう。

→ですから、具体的に八節新案に手を加えていきましょうよ。論点ズレと言われましても、拡大解釈をされ、意訳もされて、それに付き合っていましたら本来の目的、「八節新案の合意」から遠ざかっているばかりです。