ノート:岩崎淑

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執筆者のユーザー024と申します。2006年5月24日(水)02:07、ユーザーNevylaxさんから転載の疑いを頂戴しましたが、文中のどこの部分が転載で、どういう根拠がおありでそのような処理をされたのか、ぜひともこちらのノートまで具体的にご指摘をお願いしたいと存じます。これらは小生が一文ずつ組み立てた文章であり、全くもってそのような文章はあり得ないはずですので、ユーザー024としての責をもちまして、こちらで声を大にして否定させていただきます。

思いつきによる疑惑でしたら、ここへのこの宣言をもちまして、転載の疑いの表示を即刻削除させていただきます。宜しくお願い致します。--024 2006年5月24日 (水) 03:24 (UTC)[返信]

  • こちらのサイト全体がそのような方針ならやむを得ませんが、この智の集合体であるべきサイトにしては、そのような安易な態度は趣向に甚だ反するものに思えるのは私だけでしょうか?
まず、「貴方が他の記事で外部サイトからの転載を含む投稿をしている」という決めつけ・前提は、あまりにも知性が欠如しています。「転載の虞が考えられる」程度の表現が相応しいのではないですか。演奏家のプロフィールを並べたものは数多く散在していて、類似したそれらの中に、投稿文が転載したものでなくとも「転載元」と特定されてしまう偶然があっても不自然ではありません。そういう可能性を故意に排除した判断は、主観的だと言われてもやむを得ないのではないかと存じます。
そもそも、転載を疑う作業について理想を申し上げるなら、投稿記事を完全に個別に当たるべきしょう。どこかで発生した転載の疑いを鵜呑みにして、それを前提に他でも同じように疑いをかけるという態度は、中立的・客観的とは考えられません。可能性の問題で動くのではなく、本来なら全ての記事に対して厳密に根拠を対応付けされるべきでしょう。根拠も明白でないことに左右されて貴サイトを運用する人間がいるのであれば、不当な魔女狩りの歴史と同じようなものに感じられます。すなわち、吊るし上げ行為そのものには本質的な意味合いはさしてなく、それそのものによって何らかの快楽を得ようという悪質的な目的こそが本意であるとも思われてしょうがありません。
誠実な気持ちで著作権や人権侵害などに繊細に気配ろうとするのであれば、同じように投稿者への配慮に対しても繊細であるべき熱意が見られていいはずです。それを仮に軽視しようというのであれば、貴サイト全体は、そのものの存続を守るための対応しか徹底せず、存続を根本的に揺るがすものではない弊害は切り捨ててもいい、という方針なのだと捉える人が発生しても、それを否定することはできないのではないでしょうか。
少なくとも、貴殿の文言にはもっと配慮があってもいいのでないかとご提案申し上げます。たとえそこに、有意義な目的が裏打ちされているのであれば、尚更のことでしょう。--024 2006年5月27日 (土) 08:55 (UTC)[返信]

どっちにしろWikipedia:大言壮語をしないに照らせば改正の余地は大有りですわ。--教育権 2009年3月11日 (水) 11:24 (UTC)[返信]