ノート:岩下保太郎

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次期新型艦について[編集]

略歴には「中村、中澤、富岡らと高速戦艦型ではなく巡洋戦艦型を主張した」とあります。時期的に大和型戦艦の建造をさしているのでしょうが、中澤の回顧録である『海軍中将 中澤佑』(原書房)P22~24には「作戦課の私どもは終始、高速戦艦を主張し続けてきたのである」とあります。同書によれば中澤は35ノット18インチ砲を主張し、最低でも30ノットを要求しました。理由は「一万トン巡洋艦及び航空母艦と共に洋上機動戦を行うことを考えていたからである。」とあります。大和型戦艦が27ノットに決定し富岡と共に辞意を表明しています。明らかに高速戦艦を主張しており、略歴の記述とは矛盾していると思われるのですが如何でしょうか?

太平洋戦争で空母と行動を共にしていた戦艦は「比叡」などで、Wikiの比叡の記述は建造時は巡洋戦艦とあるので改装により戦艦となったということでしょう。豊田穣氏の『雪風ハ沈マズ』(光人社NF文庫)P170に比叡が沈没する際「四隻しかない高速戦艦の一隻で〜」とあり比叡は高速戦艦として描かれています。 略暦に記載された「巡洋戦艦ならば〜洋上機動作戦行動が可能だった事から、太平洋戦争中の各戦闘行動を総括すると」との記述はやはり矛盾しているように思います。

略歴の「高速戦艦型」「巡洋戦艦型」は何か別の意味で使われていたということでしょうか?必要であれば略歴の記述を変える必要があると思いますが、私には戦艦の区分などはよくわかりませんのでお詳しい方のご教授をいただけたらと思います。--Stingfield 2010年11月8日 (月) 12:47 (UTC)(署名追記)[返信]