ノート:小林信彦

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2005年の議論[編集]

高校の成績が一桁だとか、早稲田・慶応を受けたとか、百科事典的にはどうでもよい事柄である(評伝でも書くならともかく)。 オヨヨ事件は大人気ない。「東京少年」は長野まゆみの方が先ではないのか? --忠太 2005年12月25日 (日) 15:14 (UTC)[返信]

まさにミニ評伝を書こうとしているのである。百科事典で人物の項目に伝記的事実を載せるのは至極当然のこと。百科事典とは事実を扱うものであり、「百科事典的にはどうでもよい」のはむしろ「大人気ない」だの「大人気なくない」だのといった個人的感想、情緒的たわごとである。「東京少年」については長野まゆみに同題の著書があるようだが、題名が同じというだけで内容には何の関連もない。従って、どちらが「先」とか「後」とかいう比較そのものがナンセンス。--Arpeggio 2005年12月25日 (日) 19:25 (UTC)[返信]

Wikiは評伝を書く場ではないと思うが? 「大人気ない」というのはあくまでも個人的感想であるのは言うまでもない(客観的事実から読者が判断するであろう)。 --忠太 2005年12月26日 (月) 11:10 (UTC)[返信]

山藤章二氏との関係について[編集]

「関連人物」のところに山藤章二氏の名前があり「不仲であると思われる」と記されていましたが、根拠薄弱なので削除しました。
この二人については、不仲というほどの交流がないというほうが実情に近いのではないでしょうか。「“笑い”に関係する重要人物をほぼ網羅した、座談会3部作(『「笑い」の構造』『「笑い」の解体』『「笑い」の混沌』)」に小林氏が登場していないことが根拠とされてますが、この対談には山藤氏と縁の深い筒井康隆氏も登場していませんし、当時からタモリや所ジョージと肩を並べる存在であったビートたけし氏や明石家さんま氏も登場していません。
なお、山藤氏の著書「アタクシ絵日記」に、ある芸人のライブに居合わせた小林氏がご満悦な様子で鑑賞していたという描写や、山藤氏がある芸人を賞賛したことについて小林氏から「山藤さんは点が甘いんですよね」と批判されたというエピソードが紹介されています。これらの書きぶりからすると、少なくとも険悪というような間柄ではなさそうに思われます。--220.213.47.207 2008年10月9日 (木) 02:47 (UTC)[返信]

山藤の『オール曲者』によると、山藤は小林を対談のゲストに呼んだとき小林の態度があまりに素っ気なかったので落語の話題を振ったところ「僕は落語は知りません」と突き放されて困ったことがあるそうです。その後山藤が小林の本を読んでいたら「僕の教養と言えるものは落語です」という発言を発見し、「ああ、あの時に『落語は知りません』ととぼけたのは『お前みたいな半可通を相手にできるか』という意味だったのか」と悟り、「性格イクナイ!」と思ったとも山藤は書いています。--馬さん 2008年10月9日 (木) 06:35 (UTC)[返信]

外部リンク[編集]

  • オヨヨ書林なる商用サイトにリンクされていましたが、店主が単に小林信彦のファンというだけではガイドラインに反する商用リンクです。

リンクされる際は中立的・公立的で資料性の高いページに願います。--221.188.12.82 2009年6月23日 (火) 11:10 (UTC)[返信]

常盤新平との関係について[編集]

「1963年1月、常盤新平や萩原津年武、大坪直行ら折り合いが悪かった者たちの策謀で宝石社を解雇された(表向きは自主退職)。」とありますが、当時の常磐氏の勤務先は宝石社ではなく早川書房です。常磐氏と小林氏が折り合いが悪かったのは事実かもしれませんが、当時中堅どころの編集者が他社の編集長をクビにするような策謀に関与していたとするのは、どうも不自然な気がしてなりません。(宝石社が早川書房の子会社であったというような事実があるのならまだしもですが……)この辺の事実関係をもう一度吟味願えればと思います。--お邪魔ビンラディン

関連人物[編集]

個人的には面白いところもありますが、いつまで経っても出典は出てこないし、現状では記述内容が事典的にふさわしく無いように思えます。そろそろ一旦削除しましょうかね。--121.3.146.56 2017年6月18日 (日) 12:39 (UTC)[返信]