ノート:小倉強

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  • よく国立科学博物館(1936年)の設計者として名が挙げられてきたが(総覧日本の建築3 etc)、違うようである。
  • 東京府に入った時期がよくわからない。回想によると、大学卒業後、恩師伊東忠太のもとで内務大臣官邸の正門を設計した(佐野利器先生への思慕?)。また、内田祥三(助教授)の九江日本領事館(1917年)の設計を手伝ったという(私の受けた建築教育)。その後東京府に入ったようだ。東京都公文書館で検索すると2件ヒットし、大正8年10月時点では在籍していたようだが、いつ入ったのか未確認。
「東京商工奨励館建築用化粧瓦調査の為、愛知県に出張す 工師 小倉強」【起案年月日】大正8年10月30日
「東京府に於て建築に関する技術官欠員の為 小倉強を技師任命之義内申」【起案年月日】大正10年2月18日

 --忠太会話2018年5月5日 (土) 04:16 (UTC)[返信]