ノート:富田朝彦

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2007年4月29日 (日) 04:00の編集[編集]

遠野さん、むやみにテンプレートははがさないでください。荒らしでもないのに差し戻しはやめて。お願いいたします。編集合戦になるようなことはやめましょうよ。私は感情的にもなってません。--Phew 2007年4月28日 (土) 19:12 (UTC)[返信]

テンプレートは便利なものだが、無闇と使うものではない。コメントアウトを除去するなら、内容を充実させてからにすべきである。--遠野能史 2007年4月28日 (土) 19:21 (UTC)[返信]
方針ではまずは出典要請して、しばらくしてから除去やコメントアウトすることになってます。投稿に参加するからには方針に合意してるはずです。そうしてください。徳仁親王の結婚の時も私はそうしたでしょう?除去やコメントアウトの方がむやみに使うべきではないのですよ。--Phew 2007年4月28日 (土) 19:32 (UTC)[返信]
遠野さん、すみません。出典テンプレートや除去した記述を復活させていただけませんか?なぜ、この案件だけ、内容を充実させなければいけないのでしょうか?テンプレートなど貼ってもよいですから。--Phew 2007年4月29日 (日) 03:02 (UTC)[返信]
遠野さん、またはがされてますが、そういうことはやめてください。ウィキペディアでは客観的事実であってもその合意がとれていなければ、出典が必要です。皆さんもご意見をお聞かせください。--Phew 2007年5月1日 (火) 07:08 (UTC)[返信]

出典要請[編集]

  • 富田メモに関しては検証が困難な状況にあることなどにかんがみ、史実として認定するには慎重になる必要があろう。

これについて出典提示をお願いいたします。なければ主観に過ぎないと思います。--Phew 2007年4月28日 (土) 19:31 (UTC)[返信]

ウィキペディアにおいては事実であってさえ出典、検証可能性が必要なんです。また、上記や

史実として認定するには慎重になる必要があろう。

は事実ではない可能性の方が高いでしょう。--Phew 2007年5月1日 (火) 01:05 (UTC)[返信]

除去されたようですね。ありがとうございます。--Phew 2007年5月2日 (水) 23:47 (UTC)[返信]
  • 日記はほとんど未検証の状態であり真偽は定かではない。

これについても出典提示を願いいたします。--Phew 2007年5月1日 (火) 07:08 (UTC)[返信]

除去されたようですね。ありがとうございます。--Phew 2007年5月2日 (水) 23:47 (UTC)[返信]

出展が無ければ、方針文書に従い削除となります。異議のあるかたも理由と共に申し出てください。--Phew 2007年5月1日 (火) 12:56 (UTC)[返信]

富田健治氏は富田朝彦氏の父親ではなかったでしょうか。--Hatch 2007年5月5日 (土) 09:13 (UTC) 違います。ノート:富田健治参照--Zozo 2009年5月23日 (土) 08:29 (UTC)[返信]

  • だが、2007年4月末の段階では日記の全容の一般公開、書籍としての刊行はされておらず、日記はほとんど未検証の状態である。

前半はよいとして、「日記はほとんど未検証の状態である」は出典をお願いいたします。--Phew 2007年5月9日 (水) 13:19 (UTC)[返信]

提案[編集]

提案 以下の記述の削除を提案します。(要出典を貼っていから、3週間以上経ちましたが念のため。)--鈴木直紀会話2014年2月26日 (水) 00:32 (UTC) [返信]

宮内庁長官としては、前任の宇佐美毅と比較して、温厚ではあるが、侍従職を中心とするいわゆる「オク」の復権を許したとの批判もある。その一方、誠実な人柄で昭和天皇の信頼も厚かった。[要出典]