ノート:家事使用人

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新規作成にあたって[編集]

ノート:メイドにあるような議論の結果、新規作成しました。簡単に言いますと、メイドはサブカルチャー、家庭内労働者は現代の職業、家事使用人は男女を問わず歴史上の職業について扱う、という様な感じです。 コータ 2006年1月19日 (木) 11:48 (UTC)[返信]

邦訳文献について[編集]

参考文献を挙げる際に、邦訳を利用したのなら原著を挙げるべきではないと思います。翻訳という過程を経ている以上、誤訳による情報の劣化の可能性は否定できません。あたってもいない原著を挙げる事は記事の信頼性を不当に高く見せてしまう危険があります。少なくとも、邦訳書の標示を主とし、原著は括弧内などで参考として扱うべきかと思います。ちなみに初版投稿者は『ヴィクトリアン・サーヴァント』を除き、邦訳のあるものは原著のには当たっていません。『ヴィクトリアン・サーヴァント』のみ原著The Rise and Fall of the Victorian Servantにも当たっています。ただし、1975年のハードカヴァーではなく2004年のペーパーバック版です。 コータ 2006年3月2日 (木) 16:15 (UTC)[返信]

編輯にあたって原著を附しましたが、参照情報であるということはわかるように書いたつもりです。また、言及していない論文の名前を出すことも「記事の信頼性を不当に高く見せてしまう」ことにつながるんではないかと思うのですが……。あと、「幻想に過ぎない」などの執筆者の意見であると思われるような文章は不適切だと判断しての編輯であるとお断りいたします。 Kzhr 2006年3月2日 (木) 16:41 (UTC)[返信]
参考文献は読んだ文献の中で関連する内容が含まれているもの全てを挙げてあります。重複する内容についてはよりクリティカルな文献を出典として挙げてあります。その結果として註に出てこない参考文献も出てきます。『18世紀ロンドンの私生活』、『十九世紀イギリスの日常生活』などは家事使用人に割かれているページ数が少なく、『ヴィクトリアン・サーヴァント』の内容にほぼ包摂されている為、註での言及はありません。また直接的に参照せずに全体として内容をふまえているものについても参考文献のみの扱いとしています。例えばスウィフトの『奴婢訓』などはほぼ全体に渡り使用人の勤務態度を逆説的に扱っており、特定の部分を取り上げる事は非常に難しい文献です。そういった事を別としても、通常、参考文献の数は註の数より多いものではないでしょうか。註で挙げられていない文献が参考文献に挙がっている事は別に異常な事では無いと思うのですが。
「家庭の天使」などヴィクトリア朝に顕著な言説をオリエンタリズムと同様の「幻想」としてとらえる事は執筆者の主観ではなく、イギリス近代史において一定のコンセンサスが出来ている見方かと思います。「妄想」は確かにご指摘の通り、筆が滑った感がありますが。 コータ 2006年3月5日 (日) 10:20 (UTC)[返信]
でも、まあ折角調べて頂いた事なので、邦訳文献の後に括弧書きで原著も追記という形にしてみました。日本語文献を前、英語文献を後として、それぞれ名字をキーに、日本語は五十音順、英語はアルファベット順にソートしてあります。日本語文献で翻訳されているものはWikipedia:出典を明記するに倣って訳者を書名の後ろに明記しています。英語文献で複数の版があるものは最初に出版されたもののみとし、出版地の後ろにコロンで区切って出版社を続けてあります。出版地が複数の場合、同年に出版されている場合のみ併記しました。箇条書きなので文章の終わりを示す、末尾の読点およびピリオドは打っていません。 コータ 2006年3月5日 (日) 11:26 (UTC)[返信]
参考文献にあがっているものがすべてだとは思っていません。ですが、内容の依拠関係を示すために列挙するのが主な役割ではないでしょうか。また、中立的な観点にもとづく記述のために、「(執筆者のではなく)誰の意見で、どのような人々に受け入れられている」というのは銘記されなければならないので、誤読はお詫びいたしますが、その点ですこぶる紛らわしいものであったと申し上げます。
あと、下のセクションでおあげになっている私の「誤読の数々による誤編輯」ですが、拝読して、わかりづらい・読みづらいと思った部分を文意を保ちながら書き直そうとしたものです。それを、文意を損ねてしまったことはお詫びするほかありません。ですが、どうしてそのような誤読に至ったかをご推察くださって書き直してくださいましたらばありがたかったです。 Kzhr 2006年3月11日 (土) 07:33 (UTC)[返信]

細部のニュアンスについて[編集]

「夫はその経済力の証明のために使用人たちを働かせ妻をあらゆる種類の労働から引き離そうとし」→「使用人たちを働かせ妻をあらゆる種類の労働から引き離しておく事は家長たる夫の経済力の証明となり」

夫側のみが経済力を証明しようとした訳ではありません。

「看過できない」→「忘れてはならない」

価値判断を含む表現の為

「この考えに女性が反撥できなかったのは、男性が産業革命の進展にともない、家事使用人に代わる雇用が生まれて立場が向上していた一方で、女性は同じ産業革命により糸紡ぎなどの伝統的な仕事が失われたにも関わらず、鉱山周辺や新興工業都市以外では家事使用人に代わる雇用が存在せず、男性使用人のようには強く主張できなかったためである」→「女性使用人の先天的性質を服従と忠誠に結びつける事は言うまでもなく幻想であったのだが、産業革命の進展にともない家事使用人に代わる雇用が生まれ、立場が向上した男性とは異なり、同じ産業革命により伝統的な仕事(糸紡ぎなど)が失われたにも関わらず、鉱山周辺や新興工業都市以外では家事使用人に代わる雇用が存在しなかった為、女性使用人は男性使用人より従順にならざるを得なかった」

反抗ならばともかく、反発できなかった事を証明する史料がありません。また、主観的な記述に戻った様に思われるかもしれませんが、ヴィクトリア朝における女性観および昨今のサブ・カルチャー領域における根拠無き言説に鑑み、あえて「幻想」という言葉を使用しています。

「しかし、一般的な中流階級で「リスペクタブル」であるための最低限である3人の使用人の雇用に必要な収入は、家政婦の雇用に必要な収入には程遠かった(ホーン:85ページ、河村:159ページ、Huggett: p.54およびBeeton(2000): p.16)。それで、中流家庭においては完全に労働から解放されることは実際には不可能であった」→「しかし、家政婦の雇用が可能となる収入は一般的中流階級として恥ずかしく無い程度に「リスベクタブル」と見做される三人の使用人というラインを大きく上回っている(ホーン:85ページ、河村:159ページ、Huggett: p.54およびBeeton(2000): p.16)。この事から考えると、中流家庭においては完全に労働から解放される事は実際には不可能であった」

階級概念とリスペクタビリティに関係する為、説明するのは難しいのですが、「一般的な中流階級でリスペクタブル」という表現に違和感がを感じます。中流階級は既にある程度リスペクタブルである、という前提がまずあります。この表現ですと、一般的な中流階級よりも上の部分を指すように思えます。

「都市に比べて農村では家事に加えて農業や酪農にかり出されなどし、地主・貴族に比して中流の家庭では元を取ろうとより酷使される傾向があったが、それは程度の差で、家事使用人の仕事は総じてオーバーワークであった」→「都市に比べて農村では家事に加えて農業や酪農にかり出される事があったり、地主貴族に比べて中流の家庭では元を取ろうと、より酷使される傾向があった事などを考えると程度の差こそあれ、家事使用人の仕事は総じてオーバーワークであった」

「地主と貴族」ではなく"landed aristocracy"(土地に立脚した貴族)です。あと「それは程度の差で」ですと「程度の差こそあれ」とはちょっと違ってきてしまいます。

「中世の奉公人とは異なり、使用人は雇い主を選ぶ自由を持っていたが、反面、仕事は自分で探す必要があり、職の紹介は非常に重宝された」→「中世の奉公人とは異なり、使用人は雇い主を選ぶ自由を持っていたが、反面、仕事は自分で探さなければならなかった。その際に最も頼りになったのが誰かに紹介してもらう事である」ここでの紹介は、職場を斡旋してもらう場合と自分を雇い主に引き合わせ人格的保証を与えてもらう場合の二通りの意味があります。「職の紹介は非常に重宝された」ですと、やや単純すぎるかと思います。

大まかにはそのような所です。細かい表現や漢字表記で気になる部分もありますが、私の好み以外に判断基準がない部分の修正は控えます。括弧のネストや著者名とページ数の区切り方なども、wikipediaのローカルルールが詳しくは分からないのでとりあえずパスします。 コータ 2006年3月2日 (木) 17:30 (UTC)[返信]

Commons画像[編集]

コモンズから適当と思われる画像を集めてみました。使えそうなのがあれば記事内に使ってみるのもいいかと思います。アズンチャ 2006年3月5日 (日) 15:01 (UTC)[返信]

邦訳文献の原著標示について[編集]

やはり原著が参考文献に挙がっている事が気持ちが悪いので外そうと思います。読んでもいないものを挙げる事を是とする様な教育(あるいは訓練)は受けていませんので悪しからず。原著に当たった方が加筆修正をなさった場合はその都度参考文献に追加してくださると幸いです。 コータ 2006年4月11日 (火) 14:25 (UTC)[返信]

「衒示的消費拡大の背景」の出典について[編集]

以下の点に疑問があり、「要出典」を付与させて頂きました。

  • 「ヴィクトリア朝時代の家事使用人のような」
家事使用人はヴィクトリア朝に特有な存在ではありません。ヴィクトリア朝に顕著な増加を見せたのは確かですが、ヴィクトリア朝だけに見られるわけではありません。
  • 「世界中のイギリス帝国の植民地から集積された資本の余剰があまりにも膨大であった事が背景にあり」
例えば『路地裏の大英帝国』所収、河村貞枝氏の「ヴィクトリア時代の家事使用人」には工業化に伴う社会構造の変化が指摘されていたと思います。歴史人口学的なアプローチによる不均衡な過剰人口もしばしば要因として指摘されています。また、イギリス帝国の収益構造、あるいはバランスシートに関しては多くの研究が為されていますが、植民地から集積された資本の余剰があまりにも膨大であったというような単純なことでは決してありません。「植民地支配がペイしない」というのはイギリス帝国史の常識でもありますし、それに関連して植民地ではない所謂非公式帝国の存在も「イギリス帝国」について触れるのならば前提として知っておかねばならない事柄です。
  • 「このような家事使用人の存在自体がヴィクトリア朝時代の爛熟した文化の象徴であると言える」
繰り返しになりますが、家事使用人はヴィクトリア朝の特徴の一つですが、ヴィクトリア朝に特有の存在ではありません。また爛熟したという表現もやや価値判断を含んでいる様に思われ、出典が必要かと思います。

と言うわけで、以上の点につきまして、出典を提示して頂ければと思います。 --コータ 2007年5月27日 (日) 08:01 (UTC)[返信]

あと、「女性使用人への転換」における「二つの大戦を経てイギリスはその植民地の多くを手放す事となり、衒示的消費を支えていた資本の余剰が失われた。イギリス経済全体が地盤沈下する中で、従前のような家事使用人の雇用体系を維持することが困難となった。」という部分についてもお願いします。 --コータ 2007年5月27日 (日) 08:14 (UTC)[返信]