ノート:安宅冬康

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2023年6月13日 (火) 20:01‎ (UTC) の編集について[編集]

要約欄に記入しきれないため、編集内容および意図についてこちらに書かせていただきます。

  • 出典・参考文献の長江正一『三好長慶』について、新装版を確認しながら新装版の年に変更しました。
  • 養父について、単に「安宅氏」としました。
    • 参考文献にある天野 2014、今谷・天野監修 2013、奥野 1977、長江 1989や『南海治乱記』、今谷 2007の初出『戦国三好一族』(新人物往来社、1985年)など確認しましたが、冬康の養父の名前について記載はありませんでした(田村 1999は未確認)。
    • 『戦国武将列伝8 畿内編下』(戎光祥出版、2023年)では「冬康の養父にあたるという安宅治興」として触れられていますが(235頁)、どこでそう言われているかは書かれておらず(私が調べた限りではwikipediaやその影響を受けたとみられるネット記事のみでしか見つけられていません)、wikipediaに治興の名を記載する典拠とするにはやや覚束ないかと思います。
    • 大永6年(1527年)に安宅治興が洲本城を築いたとする記述は、国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧できる範囲で確認しましたが、治興と冬康を直接結びつけるものは発見できていません。冬康が洲本城を拠点としたことから洲本安宅氏に養子入りしたと判断して本記事が書かれたのではないかと推測しますが、『戦国武将列伝10 四国編』(戎光祥出版、2023年)では、安宅八家衆と呼ばれる家のうち、どの家に冬康が養子入りしたかは不明とされており(217頁)、治興の家に入ったとは断定できない状態にあります。以上のことから治興の名を削除しました。
  • 「兄弟」の野口冬長について、実在が不確実なため「?」を付けました(本人の記事参照)。
  • 「家臣」節について、菅達長・梶原景久は冬康でなく神太郎の代の家臣 (天野 2014, p. 146) のため除去しました。

--YasuminB会話2023年6月13日 (火) 20:15 (UTC)[返信]