ノート:奥州後三年記

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作品名は「後三年記」か「奥州後三年記」か[編集]

これまで、ネット上では「奥州後三年記」のほうが多かったようです。調べてみると、おおもとは群書類従での名称が「奥州後三年記」。 しかし一方で、絵巻物の「後三年合戦絵詞」には「奥州」は冠されていません。 「奥州後三年記」と「後三年合戦絵詞」は、絵が有るか無いかの違いだけで同内容とのこと。 最近、「後三年記の成立」「後三年記詳注」という本が出ていて、これまで「奥州後三年記」と称されていたのが、最近の学者さんは「後三年記」と呼ぶようになったのかな、と感じています。

なぜこれに拘るかというと、後三年の役(この名称にも問題がありそうです)の主戦場は秋田県横手市の沼柵、金沢柵なので、出羽国なのです。 「奥州」とは、ふつう陸奥国(岩手県、宮城県、福島県)なので、太平洋側と日本海側、ずれているような気が以前からしていたのです。 たぶん、東北は陸奥も出羽もいっしょくただと思われて、江戸時代ごろに「奥州」が冠されたのかなと想像しています。 (秋田県民からすると、耐え難いことでしょう。)

「後三年記の成立」「後三年記詳記」を見れば、何か書いてあるのかもしれませんが、まだ確認できていません。 問題提起だけ、しておきます。

追記 参考文献(時間があったら参考にしたい文献)の書誌が、汲古書院のHPでわかりました。 「後三年記の成立」 野中哲照著、汲古書院、2014年11月28日発行、ISBN 978-4-7629-3615-9 「後三年記詳注」  野中哲照著、汲古書院、2015年2月15日発行、ISBN 978-4-7629-3616-6 

総じて推定の根拠が不明瞭[編集]

せめて脚注を充実させて下さい。--240B:C010:490:1699:5957:888D:DC22:2FA8 2022年10月23日 (日) 22:23 (UTC)[返信]