ノート:大奥〜誕生[有功・家光篇]

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このページに関する議論[編集]

分割元であるノート:大奥 (2010年の映画)では、このドラマに関する議論がありました。現在は終了していますので、続く議論はこちらのノートページで新しく節を設けて行って下さい。--Garakmiu会話2012年11月12日 (月) 22:48 (UTC)[返信]

ページ名[編集]

次作は『大奥〜永遠〜[右衛門佐・綱吉篇]』ですが、本作は『大奥〜誕生〜[有功・家光篇]』ではなく『大奥〜誕生[有功・家光篇]』というページ名でいいのですか?--箏野咲会話2012年11月14日 (水) 06:15 (UTC)[返信]

キャストに関する説明[編集]

このあたりの編集ですが[1]Wikipedia:スタイルマニュアル (フィクション関連)を鑑みれば、現実世界の観点を入れるという意味でキャスティングに関するプロデューサーの視点を導入するのは不適切ではないと考え本文中に入れています。アベンジャーズ (2012年の映画)のキャスト欄でも似たような書き方がされています。また、「脚注1を参照」といった書き方がなされていますが、脚注の番号は変動するものなので(今ある脚注1よりも上の文に脚注が追加されれば自動的に番号がずれます)、こういった参照の指示は不適切です。よって再度戻させてもらいました。--Garakmiu会話2012年11月20日 (火) 18:06 (UTC)[返信]

例:捨蔵と窪田正孝、登場人物と出演者の説明がまぜこぜになって読みづらい状況にならなければ既存のままで合意致します。
「捨蔵と窪田正孝」の書き方は反論がありませんが「澤村伝右衛門と内藤剛志」の項目はもう少し考えて頂きたいと思います。--サカガミタロウ会話2012年11月20日 (火) 23:12 (UTC)[返信]

「澤村伝右衛門と内藤剛志」の項を変えて頂き、現状の形で反対はありませんがこのまま文章が増えていき、お互いの説明が混同し読みづらい状況になった場合はまた新しい形を考えて頂きますようお願いします。--サカガミタロウ会話2012年11月21日 (水) 08:02 (UTC)[返信]

以前の記述を復活[編集]

数年前の蒸し返しですがご容赦を。ノート:大奥 (2010年の映画)#玉栄の説明についてでは一旦ひっこめましたが、玉栄が性的虐待を受けた件を再度記述します。この物語では女性に対する強姦とその結果の妊娠も起きており、そちらの説明については問題とされないのに男性の被害がないことにされるのは変だと考えるからです。

映像作品として強姦が既逐されたことをはっきり読み取れる表現にするのはプライムタイムの番組では困難です。台詞で「強姦された」と言うことについても議論が起きるでしょう。衣類を乱すとか怪我をさせられたような描写でぼかすようにしますが、話の流れで被害を受けたことは視聴者に理解できるようなつくりです。で、女性が被害者の場合はそういった描き方に疑問を持つ人はいないのになぜ男性だとそうでないとされるのか。原作者はボーイズラブ漫画家なので男性がそうされる場面は描くはずですが、この作品は一般向けなので具体的描写はしてません。ただし台詞では前議論にあったように性的前提を強調して描いたので、読む側には分かります。ドラマ化でもこの場面の台詞もほとんど一緒です。他の場面で男性の「和姦」の関係もたくさん出てきます。

それと、男性被害者のブログで昔読んだことがあるのですが、一般に異性愛の男性は、自分が「犯される側の性」になりうることを想像しづらい環境に育つのだそうです(なので実際に被害は起きているのに、訴えてもからかわれ、余計泣き寝入り率が高かったりする)。つまりこの物語に男性の被強姦を読み取れないのはそういった想像力に欠けている、ごく一般的な男性の視線からであるといえます。しかしウィキペディアにおけるジェンダーバイアスにもあるように、ウィキペディア内はただでさえその「一般的」がまかり通りやすい環境なので、バランスを取る意味で「一般的」でない視点からも意識して見直すべきだと思います。前議論では、相手方が想像力に欠けていることに対し、変に気を遣ってひっこめてしまいましたが、数年経ってまた考え直して提起しました。--Garakmiu2会話2016年3月30日 (水) 17:22 (UTC)[返信]