ノート:塩/削除

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[1]この版で追記された文章の内、揚浜式塩田についての部分は、こちらの外部ページ[2]冒頭部分にある記述と、事実の取捨選択、配列などがほぼ同じようです。レイアウト上の工夫の仕方などが両者では大きく異なりますが、語句の選択などはかなり類似しているところがあります。Tomos 2004年7月21日 (水) 09:47 (UTC)[返信]

まいったなあ。Tomosさんはよくいろんなサイトから似たようなものを見つけてくるので感心します。

塩田については平成9年(1997)の夏に、国会図書館で赤穂塩業史など塩業に関する専門書やマイクロフィルムの史料を閲覧し、たばこと塩の博物館では、別室で学芸員の方に質問したり、蔵書をコピーさせていただいたりして、徹底的に調べ上げ、雑誌にも書いたので、何も見ずとも、あの何倍もの記事はかけますよ。ただ入浜式で「水門」と書いたところをどういったのか。「桶門(通称:ゆるば)」が思い出せず、後で毛管現象の追記と合わせて訂正したくらいです。

私は「これが真実だ」に次のように書きました。同内容は、もう少し詳しくWikipediaの「塩」にも書いています。

吉良家の領土は飛び地で、発見されてる塩田跡は吉良家の領土ではなかった。塩にまつわる遺恨が刃傷事件の原因とする説は、史実に反するものです。

しかしこれは、雑誌に自分の考えを書いたあとで、愛知県の東條吉良氏の菩提寺である花岳寺住職の鈴木悦道氏(吉良上野介の研究の第一人者)から「新たにわかったこと」として教えられたことを、自分なりに再調査したものです。

私が雑誌に書いたことは、吉良の領土の三河湾の近くで入浜式塩田を作り、それを維持して塩業を続けることが可能だったのか、という疑問を呈したのです。入浜式の条件を探るには、当然、揚浜式についてわかっていなければならないし、海水を直接、平釜で煮詰めたものとの比較も必要です。古代に「藻塩焼く」といわれたものから、塩作りとその条件を探っていったものです。揚浜式では漁業や農業と兼業でやる場合が多く、入浜式では晴天日数の多い場所で、組織をつくって塩業専業でやらなければ、イニシャルコストを償還することは難しい。堤防を維持するためのメンテナンスに要する手間や材料(石など)をごこからどのように入手するかなど・・・ 百楽天 2004年7月22日 (木) 13:23 (UTC)[返信]

食塩への移動の提案[編集]

この記事の大部分は食塩について書かれています。そこで、

  1. 現行の食塩へのリダイレクト - 履歴あり)を削除(必要なら履歴の統合)の上
  2. この記事を移動し
  3. 塩を曖昧さ回避(あるいは食塩への誘導付の「えん」の記事)にする

のは如何でしょうか? 勿論、実際の作業は上の著作権問題が落着してからのことになるでしょうが...... martin 2004年7月25日 (日) 17:09 (UTC)[返信]