ノート:坂口祐三郎

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勤務されていたのは日光江戸村ではなくてウェスタン村では? ウェスタン村で、実際に舞台に立たれているのを観ました。--218.227.129.50 2008年4月7日 (月) 13:49 (UTC)[返信]

初体験について[編集]

初体験について、自伝では相手は10歳年上の近所の山口智子を優しくしたような人妻(夫は20歳齢が離れている船員)であったとしている。高校のクラブ活動の帰り、食事をご馳走になったり風呂を使わせてもらっていた。あるとき本当に疲れていて風呂の中で寝てしまった。
「気がつくと目の前に黒くて白いこんなのが、ここ(目の前)に立っていたんですよ。風呂の中で。まず風呂の中で体験した。確か16ぐらいのとき。半年ぐらいご主人帰ってこないもんだから、今考えたら、よくもこんなに三ヶ月もぶっ続けで出来るもんだと思うぐらい」....
『坂口祐三郎・赤影 愛と復讐』(127頁)と綴っている。
このようなエピソードの紹介も坂口氏の人となり、人物像を的確に示すには必要かとも思いますが、ひとまずノートに記すに留めます。請意見。--天気予報 2009年6月1日 (月) 11:35 (UTC)[返信]

IP:220.147.220.88会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisさん、貴重なご意見に感謝します。--天気予報 2009年6月9日 (火) 05:13 (UTC)[返信]

坂口氏の自伝から推測するに、なぜ赤影の後、芸能界から冷遇されたのかその理由を氏自身も総括しきれていなかったと思います。ただ上記のエピソードが物語るように、人間関係において女性との関係性を結ぶのには長けていたが、その反面、男性社会において友誼を結んだり、コネクションを広げていくことが不得手であったと推測されます。自伝からも人生の節目節目にチャンスが与えられていながら、それを生かすことが出来なかったことがうかがい知ることが出来ます。例えば「日光江戸村」を離れなければならなかった経緯として、観客との間に軽いトラブルがあり、それが苦情として経営側に伝えられたとき、同僚達からサポートしてもらえず結局辞めざるを得なかったとしています。

>>東京では、プロデューサーから「いくら京都で人気があったって、そんなものは関係ない」とあからさまに言われた>>

の経緯については、そのプロデューサーから、役者として採用するための条件として何か名を上げるような業績を積むように言われ、それに応えるために模索したが機会を掴めず、結局スポーツ新聞の風俗記事のレポートを担当(結局、昔の数々の女性遍歴の経験から、女性器の形状で、その女性の運勢を占うといった記事などを執筆)するに至り、そのことについて、「そんなことで名を上げてどうするのか」という言辞を受けたということであったと記憶しています。
高校卒業後、上京し東映ニューフェースに採用され、直ぐに主役を射止める幸運にも関わらず、その後の人生は不遇でした。ネームバリュームだけで、実態が伴わない、スターとしての豊かな生活とは無縁であった人生は彼にとっては、出発点が華やかであったがゆえによりつらいものであったと推測されます。またスポーツ誌で披瀝した、赤影時代付き合っていて後年有名になった女優達が、後に撮影所で顔をあわせても、挨拶もしてくれなかったエピソードからも彼の悔しさがひしひしと伝わってきます。
しかしながら晩年は、「赤影から逃れられないのだったら、とことん赤影でやっていきたい」とのある種の悟った境地に達することが出来、それなりの充実した精神状態で晩年を送れたのではなかったと推測されます。 故人でありますので、その点の配慮は慎重にかつ敬意を払いながら、彼のそんな波乱の人生を、エピソードを積み重ねる形で的確に加筆されることを願うものであります。引用した

「自伝的作品として『坂口祐三郎・赤影 愛と復讐』がある。これは坂口の半生をインタビュー形式で綴ったものである。内容的には、出生、両親、祖父母について、高校時代の喧嘩に明け暮れた日々、近所の人妻による童貞喪失、東映ニューフェース時代、赤影時代、数々の女性遍歴、その後の人生の変遷を赤裸々に語る内容である。これは坂口個人の半生に止まらず昭和20~30年代の九州の一都市のモノグラフとしても資料を提供している。」

の部分はそのような意図から敢えて記したものです。天気予報

上記を記したのは最後の部分をなぜ本文に組み込む必要があるかの理由を示したためです。この部分をいったん削除され、戻す必要を説明したものです。履歴を辿ってこれまでの経緯をご確認いただくようにお願いします。きちんと状況を確認なさってからご判断ください。個人的感想を披瀝したと解されるのは不本意です。--天気予報 2009年6月24日 (水) 08:26 (UTC)[返信]

  • (コメント)もともとあなたの個人的感想に起因するものではないのですか?(ご自分で投稿された版をきちんとご確認ください。「その後の人生を赤裸々に語る内容である」、「貴重な資料を提供している」、またはノートにおける「こんなことが実際にあるのですね。『坂口祐三郎・赤影 愛と復讐』めちゃ面白いですよ」など、個人的感想の披瀝以外の何物でもないと思いますが)。他のページでもそうですけど、持論を展開したいのであれば、ご自分でブログを開設してそこに書き込むなりすべきなのでは? いずれにしろ、このままウィキペディアを私物化するおつもりなら、いずれは投稿ブロックなどの事態に及ぶかもしれません。そうなっては、お互い残念だと思います。--NDW1983 2009年6月27日 (土) 17:04 (UTC)[返信]

そうですねお互いにブロック依頼を出し合う愚は避けましょう。ただ。「その後の人生を赤裸々に語る内容である」、「貴重な資料を提供している」については、他の記事と比較して逸脱しているとは思えませんが。「めちゃ面白いですよ」の部分はちょっとはしゃぎすぎました。削除されいますのでこれは御寛怒ください。--天気予報 2009年6月27日 (土) 17:13 (UTC)[返信]

  • (コメント)「赤裸々」だの「貴重な」だのは主観的な表現です。また「他の記事と比較して」云々とありますが、他の記事で書いてあるから書いてもいいという考えは子供の思考です。それと、「互いにブロック依頼を出し合う愚は避けましょう」とありますが、私があなたにブロック依頼を出されるいわれはありません。私が「お互い残念だと思います」と書いたのはそのような意味ではなく、あなたが編集をブロックされるような事態になること自体が悲しいと思ったからです。--NDW1983 2009年6月27日 (土) 17:32 (UTC)[返信]
  • 「子供の思考」という形容には強い不快を感じます。もし可能ならばご訂正ください。--天気予報 2009年6月27日 (土) 17:42 (UTC)[返信]
  • お二方、ちょっとクールダウンしませんか。語調が少々キツイですよ。
天気予報さんへ>>>Wikipedia上には、ガイドラインによって定められた決まり事があります。しかし、その決まり事が守られていない記事が多く存在しており、このことから「他の記事で書いてあるから書いてもいい」ということにはならないのが現状です。倣うべきは他の記事ではなく『ガイドライン』であることをご理解下さい。--Phoca 2009年6月27日 (土) 18:38 (UTC)[返信]

深夜、Phoca氏とNDW1983氏と別のページで対話しているときに絶好のタイミングで本ページに介入してきたPhoca氏に疑問を抱きNDW1983 氏と同じIPから発信されているのか、利用者‐会話:天気予報にて確認する。これに対しPhoca氏がこれを否定する明言をされたことを確認。天気予報 2009年7月3日 (金) 00:37 (UTC)[返信]

出演作品について[編集]

「銭形平次」の中に、第86話「大当り貧乏くじ」と第193話「お化け長屋の牛騒動」が載ってますけど、そういうエピソードは存在しません。同じサブタイトルの2本が、同じテレビドラマの個所の「桃太郎侍」のところにも載っています。恐らく混同されたままになっているのでしょう。