ノート:国際数学者会議

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外部リンク修正[編集]

編集者の皆さんこんにちは、

国際数学者会議」上の4個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。

ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年9月29日 (金) 08:02 (UTC)[返信]

出典の疑問点3点(お知らせ)[編集]

利用者2001:240:2408:F87B:2527:1D53:D73C:F346さんから特定版について質問を受け、要検討の箇所が浮上したので転記します。下線部は転記にあたり追加。質問者と対応を詰めますので、1週間ほど後に反映します。

1954年(アムステルダム)[注釈 4]
受賞者 - 小平邦彦
招待講演(3人)[24] - 角谷静夫[17][16][15]、矢野健太郎、吉田耕作

特定版で脚注番号でご指摘の2件の脚注を転記します。

15→ 表示^ “B.2 Plenary Lectures”. Chinese Mathematical Society. 2016年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月1日閲覧。

16→ 表示^ “Invited Speakers”. Chinese Mathematical Society. 20140808時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月1日閲覧。|

ご指摘の2点について。

◼︎-1: リンク先には角谷静夫氏の名前はない

[16] 修正が必要です。1954年ではなく2002年北京大会の出典とわかりました。

[15] 未決。先方のサーバダウンとエラー表示され、Webページが開きません。リンク切れテンプレートを置けば良いかどうか?

◼︎-2: 脚注のようで脚注ではない(refタグではない)状態 2010年(b)の「ICMdb」という資料を呼び出すタグを書きながら、それを受けるcite web を国際数学者会議#出典一覧に記述し忘れたようです。

修正は、「参考資料」節に以下の出典Aを書くと解決するはずです(本文中1994年(チューリッヒ)の項に記述あり)。ここでいう脚注番号15–17はその1件の出典を指し、3個のタグは発表者ごとにつけるべきでした。

なお、出典Aは角谷氏が1950年の大会に出席された典拠であって、1954年には該当がありません(以下◼︎-3追加 ご参照)。

出典A ICM Plenary and Invited Speakers since 1897 (sorted by Congress year)”. 国際数学者連合. 2014年10月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月1日閲覧。

◼︎-3: (追加) 角谷静夫氏はアムステルダム大会に行かれたか。主催者の出した出典Aには1950年の記録のみ、本記事の出典である参考資料の日本数学会の資料 (58ページ左段) も同様。--Omotecho会話)改行追加 2019年9月23日 (月) 03:32 (UTC)/ 2019年9月23日 (月) 03:29 (UTC)[返信]

招待講演者リストの校正と出典情報の整理[編集]

招待講演者としてリストされていて、参照先が存在しない数学者について新規に作成し、日本の数学者一覧と連携させる作業をしていたのですが、その過程で元資料としていたこの招待講演者一覧の正確性には率直に言ってかなり問題があるように思えます。

何か変だと感じても、現在付けられている参照先を辿っての確認作業が難しいので、次の情報源で確認して必要な修正をしています。

1. IMU公式サイト(英文)[1]⇒以下「公式サイト」

2. 日本数学会の年表⇒以下「年表」[2][3]

3. 『日本の数学100年史 上・下』、岩波書店⇒以下「100年史」

結果として、以下の修正が必要となりました

a. 1950 の角谷静雄を全体講演者に変更⇒年表が不正確

b. 1958の記述を訂正。一松信を削除⇒入っていた理由が不明

c. 1970年ニースの招待講演者から伊藤清を削除⇒年表が誤り(佐藤の誤記)

d. 1978年の招待講演者の漏れを訂正、境正一郎と荒木不二洋を追加

e. 1978年(ヘルシンキ)招待講演(5)から、福島雅夫を削除⇒英語名誤読か

f. 1983年(ワルシャワ)の講演者に渡辺信三を追加

g. 1986年にピーター・フランクルを追加

h. 1994年の招待講演者に俣野博を追加

この中で、g.ピーター・フランクルはカウント外として、記載漏れが5人、誤記載3人、区分修正(⇒全体講演)1人です。

基本情報は「公式サイト」なのですが、1950年分についてだけは信頼性がありません(この年だけ多くのデータにセション名が欠けていたり、同一人物が複数回登録されていたりして明らかにデータが異常です)。

また、英文では名がイニシャルになっている場合など、単独では数学者の同定が困難な事例もあります(Fukushima.M)。

日本数学会の年表についても記載が欠けていたり、記述が不正確であったりしています。

100年史については単なる名前の列記ではなく各講演者の演題など詳細情報まで記載されていることから、特に古い時代の情報については信頼がおけるのですが、1978年までしか記事がありません。

問題点は2点

1 正確な招待講演者のリストを校正すること

2 シンプルで確認しやすい出典に統一すること

上記の事情で必要に迫られて「年表」、「100年史」、「公式サイト」の照合作業を実施した結果を別途ノートに記載しておきます。年表をベースに作成します。

校正が終わった段階で、出典情報の整理を提案したいと考えています。

校正・修正作業の結果[編集]

校正・修正作業を一巡しました

1900 〇藤沢利喜太郎

1920 〇小倉金之助

1928 〇掛谷宗一、〇河口商次

1932 〇三村征雄

1950 ◎角谷静夫

1954 ◎吉田耕作

1958 ✕一松信

1970 ◎加藤敏夫、✕伊藤清

1978 〇境正一郎、〇荒木不二洋、✕福島雅夫

1983 〇渡辺信三

1986 〇ピーター・フランクル

1994 〇俣野博

2006 ✕深谷賢治

〇⇒追加、◎⇒区分修正、✕⇒削除

ピーターフランクルは別として、約130ほどのデータ中、16件を訂正(深谷賢治については別の方が指摘・削除)したことになります。

作業をしていて面倒だったのは、招待講演者の名前とIMUのデータベースでの欧文綴りの同定でした。

個別の出典リンク[編集]

もともと、ここの招待講演者の一覧に掲載されていて参照先ページがないデータについて新規作成、参照先ページに招待講演歴がない場合は記述を追加する作業をしていたので、作業のついでに次のように出典情報を付けてあります。

1. 一覧の全員(単なる出席者を除く)分の参照先ページを作成

2. 各ページ内に当該講演者を特定した出典リンクを設定

現時点で、1.2.とも完了しています。 招待講演者が実際に呼ばれているかは各参照先ページの出典リンクから辿れば個人単位で(英文ですが)確認できます。 --G3Copier会話2023年6月18日 (日) 12:01 (UTC)[返信]

日本数学会の年表ベースの校正資料(戦後分)[編集]

* IMU公式サイト(英文)[1]⇒以下「公式サイト」

*『日本の数学100年史 上・下』、岩波書店⇒以下「100年史」

●は年表の記載に疑義がある部分

昭和25年(1950)8月 ハーバード大学において 1940年に予定されていた万国数学者会議開催. 十数名が出席し, 事実上国際学界への復帰となる. 招待講演者は●角谷静夫, 岩沢健吉, 中山正.

⇒「公式サイト」「100年史」では角谷は全体講演者、「公式サイト」[1]には中山のデータがないが、IMUのアーカイブを辿り、ICM1950の予稿集(Proceedings)[4] Vol.2 の p49 に"ON TWO TOPICS IN THE STRUCTURAL THEORY OF RINGS" (GALOIS THEORY OF RINGS AND FROBENIUS ALGEBRAS) TADASI NAKAYAMA が存在することを確認した。

昭和29年(1954)8月アムステルダムでの万国数学者会議において,小平邦彦フィールズ賞受賞. 招待講演者は●吉田耕作, 小平邦彦, 矢野健太郎.

⇒「100年史」では吉田は1時間講演者「公式サイト」では全体講演者

昭和33年(1958)8月エジンバラで万国数学者会議. 招待講演者は永田雅宜, 松坂輝久, 志村五郎.

⇒「100年史」相違なし、「公式サイト」存在確認

昭和37年(1962)8月ストックホルムで万国数学者会議。 招待講演者は広中平祐, 井草準-, 伊藤清, 倉西正武, 鈴木通夫.

⇒「100年史」相違なし、「公式サイト」存在確認

昭和41年(1966)8月モスクワで万国数学者会議.招待講演者は小野孝, 志村五郎.

⇒「100年史」相違なし、「公式サイト」存在確認

昭和45年(1970)8月ニースの万国数学者会議において広中平祐, Fields 賞受賞. 招待講演者は16名におよぶ, ●加藤(敏), 鈴木(通), 伊原, 竹崎, 荒木(不), 岩沢, 久保田, 永見, 渡辺(毅), 黒田, 小林(昭), 倉西, 志村, 広中, ●伊藤.

⇒「100年史」では「加藤敏夫(1時間講演)、鈴木通夫、伊原康隆、岩澤健吉、久保田富雄、永見啓応、小林昭七、倉西正武、志村五郎、荒木不二洋、竹崎正道、黒田成俊、渡辺毅、広中平祐、佐藤幹夫」で、伊藤は佐藤の誤記(「公式サイト」確認済、Kato Tosio 1970 Nice Plenary)

昭和49年(1974)8月バンクーバーで万国数学者会議開催, 団体旅行により, 日本からの出席者初めて100名を越える. 招待講演者は井上政久1名のみ.

⇒「100年史」相違なし、「公式サイト」存在確認

昭和53年 1978年8月ヘルシンキにて国際数学者会議が開催される。基調講演:柏原正樹。セッション招待講演:荒木不二洋、福島正俊、境正一郎、志村五郎、新谷卓郎、塩浜勝博、上野健爾。

⇒「100年史」相違なし、「公式サイト」存在確認

昭和58年 1983年8月ワルシャワにて国際数学者会議が開催される。基調講演:佐藤幹夫。セッション招待講演:飯高茂、森重文、西田孝明(キャンセル)、大島利雄、渡辺信三。

⇒「公式サイト」存在確認

昭和61年 1986年8月バークレーにて国際数学者会議が開催される。 セッション招待講演:肥田晴三、国田寛、三輪哲二。

⇒「公式サイト」存在確認

平成2年 1990年8月京都にて国際数学者会議(ICM90)を開催する。基調講演:伊原康隆、森重文。セッション招待講演:深谷賢治、井草清、井川満、神保道夫、柏原正樹、加藤和也、川又雄二郎、小谷眞一、楠岡成雄、松木敏彦、三村昌泰、森正武、森田茂之、村井隆文、村上温夫、大沢健夫、齋藤恭司、斎藤盛彦、塩田徹治、砂田利一、高崎金久、土屋昭博。

⇒「公式サイト」存在確認

平成6年 1994年8月チューリッヒにて国際数学者会議が開催される。 セッション招待講演:俣野博、宮岡洋一、田中洋。

⇒「公式サイト」存在確認

平成10年 1998年 8月ベルリンにて国際数学者会議が開催される。 基調講演:三輪哲二。セッション招待講演:林修平、望月新一、大槻知忠、岡本久、辻雄、脇本実。

⇒「公式サイト」存在確認

平成14年 2002年 8月北京にて国際数学者会議が開催される。 基調講演:中島啓。セッション招待講演:古田幹雄、堀健太朗、加藤和也、小林俊行、向井茂、野海正俊。

⇒「公式サイト」存在確認

平成18年 2006年 8月マドリードにて国際数学者会議が開催される。 基調講演:加藤和也。セッション招待講演:藤原一宏、 本田公、石井仁司、満渕俊樹、小野薫、小沢登高、寺杣友秀。

⇒「公式サイト」存在確認

平成22年 2010年 8月ハイデラバードにて国際数学者会議が開催される。 セッション招待講演:岩田覚、泉正己、斎藤秀司、斎藤毅、山口孝男。

⇒「公式サイト」存在確認

平成26年 2014年 8月ソウルにて国際数学者会議が開催される。 基調講演:望月拓郎。セッション招待講演:平地健吾、熊谷隆、小木曽啓示、戸田幸伸、辻井正人。

⇒「公式サイト」存在確認

注)「公式サイト」存在確認は年表記載の招待講演者が実在したかの点検のみで、年表記載以外の講演者の有無はチェックできていない。--G3Copier会話2023年6月18日 (日) 12:06 (UTC)[返信]

日本数学会の年表ベースの校正資料(戦前分)[編集]

* IMU公式サイト(英文)[1]⇒以下「公式サイト」

*『日本の数学100年史 上・下』、岩波書店⇒以下「100年史」

明治33年(1900)8月パリで第2回万国数学者会議開催 Hilbert の講演:`数学の問題' の藤沢利喜太郎による紹介あり.

⇒「公式サイト」では招待講演者として藤沢利喜太郎、「100年史」では藤沢の講演報告について記載あり

明治37年(1904)ハイデルベルクで行なわれた第3回万国数学者会議に三輪桓一郎, 中川詮吉出席.

⇒「公式サイト」では招待講演者なし、「100年史」は出席者名相違なし

(「年表」では1908年に該当記述なし)

⇒「公式サイト」では招待講演者なし、「100年史」では出席者として●藤原松三郎

明治45年=大正元年(1912) 8月ロンドンで開催の第5回万国数学者会議に, ●菊池大麓, 藤沢利喜太郎, 窪田忠彦出席.

⇒「公式サイト」では招待講演者なし、開催地はCambridge「100年史」では出席者として藤沢利喜太郎、窪田忠彦、●内藤丈吉.

大正9年(1920)ストラスブールでの万国数学者会議で高木貞治, 類体論を発表. また小倉金之助も出席し, 講演.

⇒「公式サイト」では招待講演者として高木貞治と小倉金之助、「100年史」では本文内に記載なし付録年表に高木貞治の類体論発表のみ掲載

(「年表」では1924年に該当記述なし)

⇒「100年史」では本文内に「日本からは一人も参加しなかった」

昭和3年(1928)ボロニアで開催された第8回万国数学者会議に, ●掛谷宗一, 末綱恕一, 岡田良知, 吉田洋一, ●河口商次, 杉村欣次郎ら出席.

⇒「公式サイト」では招待講演者として掛谷宗一と河口商次、「100年史」では出席者名相違なし、他に総数11名の記述あり

昭和7年(1932)7月 チューリヒで開かれた万国数学者会議に高木貞治, 南雲道夫, ●三村征雄, 彌永昌吉, 守屋美賀雄ら出席. 高木は第1回 Fields賞委員.

⇒「公式サイト」では招待講演者として三村征雄、「100年史」出席者名相違なし

昭和11年(1936)オスロの万国数学者会議に, ●藤原松三郎, 国枝元治, 下村市郎, 田中正夫ら出席.

⇒「公式サイト」では招待講演者として藤原松三郎、「100年史」出席者名として、藤原松三郎、国枝元治、辻正次、田中正夫、下村市郎たち--G3Copier会話2023年6月19日 (月) 00:55 (UTC)[返信]

  1. ^ a b c d ICM Plenary and Invited Speakers 国際数学者連合公式サイト(英文)
  2. ^ 年表(1877年から1976年まで)
  3. ^ 年表(1977年から2016年まで)
  4. ^ ICM Proceedings 1893-2018 ICM1950