ノート:十和田丸 (2代)

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「十和田丸 (2代)」への改名提案[編集]

この船が「ジャパニーズドリーム」として運航された期間はわずか2年足らずです。一般的には、「青函連絡船十和田丸」で認知されているかと思いますので、改名を提案します。併せて初代「十和田丸」についての記述も追加すべきかと思います。--幕張防波堤 2009年3月29日 (日) 17:56 (UTC)[返信]

  • (保留)初代十和田丸についてそれなりの内容・分量の加筆がなされるなら、結果として青函連絡船に関する記述が主たるものとなりますので改名に賛成します。但し、現状程度であれば「青函連絡船に就航していた船舶群のひとつ」よりも「日本でのクルーズ船のさきがけ」としての内容がより特筆性を持つ(就航期間と特筆性は関係ない)と思いますので、改名には反対します。--しいたけ 2009年3月29日 (日) 18:38 (UTC) - 意見を決定したため取消線を引く(下記コメント参照)。[返信]
  • (賛成) 依頼者票を入れて置きます。それから、よく見たら初代十和田丸についての記事が存在していました(「十和田丸」で検索するとここにリダイレクトされるだけでまったく気づきませんでした)。こちらと統合してしまうのもアリかもしれません。--幕張防波堤 2009年3月30日 (月) 13:29 (UTC)[返信]
  • (反対・コメント)十和田丸 (初代)については只今確認しました。初代も途中で改造・改名がされており、要目も変わっているのですね・・・全てをこの項目に統合するとかえって煩雑になると思いますので、初代の記事は統合せず存置したほうが無難かと。よって、申し訳ないですが(上記コメントで表明した理由により)当項目の改名には反対とさせていただきます。 - 十和田丸については、リダイレクトを外し「曖昧さ回避項目」として記述しておきます。--しいたけ 2009年3月30日 (月) 13:41 (UTC)[返信]
  • (賛成) 十和田丸としての就航期間もさることながら、津軽丸形の中で自力運航可能な船舶として活躍していた最後の1隻であるということ、また、前身が青函連絡船十和田丸であるという理由でジャパニーズドリームのファンであるという人が少なからずいる現状を鑑みるに、「十和田丸」への改名はされて然るべきだと思います。但しその場合には、後に石狩丸に改造された初代十和田丸と区別をするためにも「十和田丸(2代目)」にした方が良いでしょう。--伽羅木 2009年4月3日 (金) 11:02 (UTC)[返信]
  • (コメント)とりあえず「十和田丸 (2代)」への改名提案に変更いたします。--幕張防波堤 2009年4月4日 (土) 19:23 (UTC)[返信]
  • (報告)その後意見が出ませんでしたので、賛成多数のため改名を行いました。--幕張防波堤 2009年4月26日 (日) 12:17 (UTC)[返信]
  • (コメント)音楽のジャパニーズドリームファンです。申し訳御座いませんが、改名に伴い、曖昧さ回避しにくくなっておりますので、加筆致しました。問題がありましたら修正をお願いします。--61.26.249.209 2009年5月7日 (木) 12:52 (UTC)[返信]

2021年11月7日の加筆について[編集]

中竹たけし様 貴殿のフェリー関連の書き込みは、いつも興味深く拝見させていただいております。このたびは十和田丸(2代)の最大速力22.16ノット(試運転時)との加筆が北海道新聞(1966年10月17日)の出典付きでなされました。私はこの北海道新聞を確認できていませんが、『船の科学』19巻11号(1966年11月号) p14の新造船写真集の十和田丸の説明欄で、速力(試運転最大)21.57knと記載されているほかに、「本船は浦賀重工業(株)建造の第1船「津軽丸」の試運転速力21.7knを上回る22.16knの最高速力を記録したのをはじめ・・」との記載があることから、浦賀重工(または国鉄?)がそのようにプレス発表したものを北海道新聞がそのまま記事にしたものかと思われます。 ご承知の通り、船舶の試運転での速力試験は、当時は標柱間試験で、海岸線から直角方向に建てられた2本の標柱と、その2本から海岸線方向に正確に1海里離れ、最初の2本と平行に建てられた別の2本の標柱を目印に行います。試運転船は海岸と平行に加速し速力が上がり切ったところで最初の2本の標柱の延長線を直角に横切ります。このとき船上からは2本の標柱が船の真横に重なって見えます。ココでストップウォッチスタート。そのままの速力で1海里走り、次の2本の標柱が重なって見えた瞬間にストップウォッチを止めます。これが3分であれば60÷3で20ノットということになります。ただし片道では潮流や風の影響が出るため、Uターンして逆方向に同じ速力試験をし、その平均値を公式の速力とします。機関負荷も1/4 2/4 3/4 4/4 11/10と順次上げ、それも可変ピッチプロペラでは回転数一定で翼角変化、翼角一定で回転数変化と多数の回数の試験を行います。 手元に1968年に関係者からいただいた津軽丸型7隻の速力試験のデーターの一部があり、十和田丸では機関負荷11/10(過負荷)で22.16kn 主軸回転数223回転 翼角30度 13500軸馬力 これの折り返しが機関負荷11/10 20.97kn 主軸回転数223回転 翼角30度 13300軸馬力となっています。往復平均すれば21.565kn 13400軸馬力となり、速力は小数点以下の丸め方で21.56kn(『航跡』p329『栄光の航跡』p370-371 『鉄道連絡船100年の航跡』p343)となったり、21.57kn(『続連絡船ドック』p11 『船の科学』19巻11号(1966年11月号)p14)となったりしていまが、いずれも正しい値です。なぜ『船の科学』19巻11号(1966年11月号)p14が22.16knまで追加記載したのかは不明ですが、同誌の読者の多くが造船海運関係者だったことから、これが「片道記録」であることはすぐ理解できたため特に問題はなかったのでしょう。 『北海道新聞』の記事は読んでおりませんので何とも言えませんが、読者の多くは素人ですからこれが「試運転時」だけで「片道記録」であることが述べられていないなら極めて不適切な記事です。 以上から、「最大速力22.16ノット(試運転時)」の要目欄への記載は不適切と思われますので、まことに申し訳ございませんが削除させていただきました。

また十和田丸の建造費ですが、同じ北海道新聞に18億5000万円と記載されていたとのことですが、『青函連絡船史』や『続連絡船ドック』『北海道鉄道百年史(下巻)』ではいずれも18億2600万円となっていますので、これらを出典として訂正させていただきました。

『続連絡船ドック』p309-317(連載版では『船の科学』22巻9号p97-98 1969 『船の科学』22巻10号p81-82 1969)に津軽丸と十和田丸の試運転の概要が掲載されています。 ご承知の通り、昨年よりありがたいことに雑誌『船舶』と『船の科学』が『デジタル造船資料館』→「保存資料閲覧」→「ライブラリー」→「廃刊船舶雑誌」で誰でも全ページ閲覧可能となりましたので、上記記事などご確認いただければ幸いです。--Akoihsin会話2021年11月14日 (日) 06:29 (UTC)[返信]