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ノート:北九州銀行構想

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独自研究によると思われる文章を削除しました[編集]

以下の文章は独自研究に基づくものであると判断されるため本文より削除しました。

「大日本帝国憲法下に於いては、第百三十国立銀行が八幡に存在したものの、経営不振から他行とともに保善銀行に吸収合併され消滅。この流れは現在北九州市の輪番指定金融機関であるみずほ銀行に繋がる。その後第二次世界大戦に伴う戦時体制移行等により銀行は再編され、戦後北九州市には市中銀行の地域拠点は存在するものの、本店は存在しないという状態が長らく続いている。」

上記文章を見ますと、第百三十国立銀行の本店が八幡に存在したように受け取れますが、本店が八幡にあったという記録は見当たりません。また、北九州市の指定金融機関にみずほ銀行が入っていることについては、旧・富士銀行の新日鉄との結びつきによるという話[1]が有力です。それぞれについて出典があるようでしたら添付のうえ、本文に復帰して頂ければと存じます。--Wiki591801 2010年9月26日 (日) 03:30 (UTC)[返信]

追記:2010年10月1日付けのRKBニュース[2]において、戦前に「門司銀行」(1932年解散)が存在し、北九州市に本店を置く銀行はそれ以来であるとのことでした。--Wiki591801 2010年10月1日 (金) 16:01 (UTC)[返信]