ノート:劉裕

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宋漢という呼称について[編集]

宋漢と呼ばれた例を示して欲しいのですが。らりた 2007年4月7日 (土) 23:39 (UTC)[返信]

劉宋はありますが、宋漢と記載された資料はありませんでした。--114.155.210.194 2009年4月18日 (土) 14:20 (UTC)[返信]

出自について[編集]

要出典ですが、参考文献にある「吉川忠夫 『劉裕―江南の英雄宋の武帝』 中公文庫、1989.12、ISBN 4122016711」に記載があるので、はずします。--114.155.210.194 2009年4月18日 (土) 14:20 (UTC)[返信]

  • 114.155.210.194さんが出典に挙げておられる吉川氏の本を読んでみましたが、「本人も即位後自らが楚王の末裔でないことを認めている」という類の記述が見つかりません。こちらの見落としの可能性もありますので、この箇所の確かな根拠を提示できる方は、出典とできれば当該箇所のページをご教示下さい。ご教示がない場合、しかるべき時期にこの記述を削除しようと思いますがいかがでしょうか。--Joffed 2010年1月29日 (金) 11:18 (UTC)[返信]
    • 私も再度確認しましたが、吉川氏の書籍には記載がないようです。ただ、田中芳樹氏の『中国武将列伝』には記載がありました。ただし、田中氏がどのような出典を用いて記載したかは不明です。一応、劉裕に関する記載のある資料はある程度、読んでいると思いますが、本人がそう発言したという資料には今のところ心当たりがありません。ですので、田中氏が参考にした資料が不明である限りは削除でかまわないと思います。--Hideokun 2010年2月20日 (土) 16:03 (UTC)[返信]
ありがとうございます。『中国武将列伝』とは微妙に異なるけれど、田中氏の短編「徽音殿の井戸」でも似た記述があったと記憶してます。ご指摘の通り、どうもこの話の出所は田中氏である可能性が高そうです。そしてこちら[1]によると、この話は正史および『通鑑』でも見えないようで、出典は不明です。個人的には『晋書』諸葛長民伝の直前にある劉毅伝で、劉毅が郗僧施に語った「昔劉備が孔明を得たのは、魚が水を得たようなものだった。今俺と貴君は古の賢者に才能は及ばないとはいえ、状況はこの言葉と同じようなものだ(昔劉備之有孔明、猶魚之有水。今吾與足下雖才非古賢、而事同斯言)」という言葉を田中氏が記憶違いしたのではないのかと疑っています(あくまで個人的な見解ですが)。ところで出自に関しては、吉川氏の書のp.212に「彼の本当の姓は項であって劉ではないとする異説まで存在する」とありますが、こちらは『魏書』の「島夷劉裕伝」で確認できます。もし出自に関して書くとしたら、むしろこちらを入れるほうがいいと思います。--Joffed 2010年2月21日 (日) 00:53 (UTC)[返信]
確かにJoffedさんの言われるとおりです。劉裕について記載された書物はザッと上げるだけでも
  • 宮崎市定著『大唐帝国』
  • 川勝義雄著『魏晋南北朝』
  • 南史一著『詩伝 陶淵明』
  • 岡崎文夫著『魏晋南北朝通史』
などがありますが、いずれにも自身の出自についての発言などに該当することは書かれていませんでした。残念ながら田中氏の本は読んだ事が無く、田中氏がどのような人物かはよく知らないのですが、出自についての記載は田中氏独自の見解の可能性もあるため、削除に同意します。出自についての加筆についてはJoffedさんの判断にお任せしたいと思います。--Hideokun 2010年2月21日 (日) 14:57 (UTC)[返信]
議論に参加して下さりありがとうございます。ではこの方針で記述を修正することにいたします。--Joffed 2010年2月22日 (月) 02:33 (UTC)[返信]

劉裕項の更新について[編集]

お騒がせいたしました。原状での理解状況を網羅いたしましたので、ここで更新を打ち止めといたします。次回、晋書、魏書、高僧伝、類書類よりの参照が一通り済んだのもを追記する折には、今回のような逐次的な更新とならないよう留意いたします。 Ks liuyu会話2020年10月24日 (土) 05:09 (UTC)[返信]

「中国の反乱指導者」カテゴリについて[編集]

「〇〇の乱」という呼称こそありませんが、桓玄の興した桓楚に対する挙兵は一応「反乱」という事になるのではないでしょうか?--Miraburu会話 / 投稿記録 2021年7月16日 (金) 23:26 (UTC)[返信]

Miraburuさんが「一応」とおつけになっている点がすべてです。Miraburuさんが「中国の反乱指導者」カテゴリに先日大量に追加された人物はあまりにも基準が曖昧すぎます。自分は劉裕及びその周辺以外編集する気がありませんので他の人物には手出しをしませんが、明確に「乱」「変」とつく歴史事件以外に該当タグは用いるべきではないと考えます。--Ks liuyu会話2021年8月12日 (木) 12:53 (UTC)[返信]
確かに「反乱」「指導者」というカテゴリ自体の定義が曖昧であったという問題点はありましたので、category:中国の反乱指導者のページに、辞書的な定義に準ずる形で収録基準を改めて追加いたしました。これであれば定義の上の混乱も少なく済むかと思います。--Miraburu会話 / 投稿記録 2021年8月12日 (木) 14:46 (UTC)[返信]
定義ではなく、通念的な話をしております。もう一度書きますが明確に「乱」「変」とつく歴史事件以外に該当タグは用いるべきと思いません。そこから枠を広げるのは余計な情報であると考えます。--Ks liuyu会話2021年8月12日 (木) 23:03 (UTC)[返信]

脚注について[編集]

「また、以下特に断りなき場合は『宋書』武帝本紀による。」という断り書きですが、これに関しては例えば不慣れなユーザーさんが、脚注のない状態の記述を新たに投稿してしまった場合などに、それが武帝本紀由来の記述であるのか否かが判別できず、メンテナンス上の混乱を招く恐れが生じてしまうのではないでしょうか。ご異論等なければこちらの断り書きは外して、順次脚注を挿入していくスタイルに修正して行ければと考えていますが、いかがでしょうか。--Miraburu会話 / 投稿記録 2021年8月9日 (月) 03:12 (UTC)[返信]

反対です。自分の更新は「ほぼ、史書の引き写し」をしておりますので、厳密に脚注を引けば本文より分量が多くなります。それは百科事典として本末転倒です。--Ks liuyu会話2021年8月12日 (木) 12:53 (UTC)[返信]
原文を引用すると本記事内の記述と被るという事でしたら、史書の何巻・何段落目からの引き写しかのみ掲載するという形であれば、分量がかさばるという事も少なく済むかと思います。現在の内容の場合、どの記事内の文言と原点のどの箇所とが対応しているのが分からないため、閲覧者さんや他の編集者さんが内容の正確性の検証を行うなどの際の、負担が大きくなってしまうと感じます。--Miraburu会話 / 投稿記録 2021年8月12日 (木) 14:46 (UTC)[返信]
人が書いていることはちゃんと読んで下さい。脚注であれば内容がかぶるのは当たり前です。また「検証の負担」について仰るのであれば、脚注が求められるのは「言動」以下でありましょう。「生涯」のように、明らかに宋書武帝本紀に大幅に依っている部分での脚注は、むしろ検証者に取ってすら煩瑣な情報になるかと思います。--Ks liuyu会話2021年8月12日 (木) 23:03 (UTC)[返信]
すみません、「脚注であれば内容がかぶるのは当たり前」というのは、どういった意味でしょうか。私は「脚注の分量が本文より多くなる」という状況が、現在の版のように「『宋書』本紀第一「漢高帝弟楚元王交之後也。交生紅懿侯富……混,始過江,居晋陵郡丹徒県之京口里,官至武原令。混生東安太守靖,靖生郡功曹翹,是為皇考。」」というような引用を逐一挟むといった場合ぐらいしか想像が付かなかったため、代替案として巻数や段落数のみに絞ればそうはならずに済むのではないか、という事を申し上げたかったのですが、私の早とちりでしたでしょうか。またもちろん「言動」節以下においても必要かとは思いますが、「生涯」節に関しても必ずしも史書のどの箇所(上中下それぞれのどの段落か)によるものかは明らではありませんし、そうした点を明朗にするのが煩雑と受け取られるという事はないのではないでしょうか。--Miraburu会話 / 投稿記録 2021年8月13日 (金) 02:41 (UTC)[返信]
「原文を引用すると本記事内の記述と被る」という言葉の解釈についての行き違いがあったようです、申し訳ございません。本文の内容にいちいち原文を重ねるのが煩瑣だ、と言いたいのではなく、本紀を順番通りに読めば順番通りにならんでいるものにいちいち注釈を挟むのが却って読み手の邪魔になる、がこちらの言いたいところです。ただ仰るとおり、どこから中巻、どこから下巻かについては明示が必要かと思いました。ご指摘ありがとうございます、反映させて頂きます。--Ks liuyu会話2021年8月13日 (金) 11:58 (UTC)[返信]
こちらこそ十分にご意図を伺わないまま話してしまい、失礼いたしました。加えて改めてのご加筆ありがとうございます。元々私の心中としては、預かり知らぬ間に紛れ込んだ脚注のない出鱈目な記述がさも「武帝本紀由来です」という体で定着してしまわないか、要はまとまった文章毎の脚注が定まっていれば一目で明らかな不適切記述が、取り除かれにくくなってしまうのではないかとの懸念があり、差し出がましいながらこのような形で提案を行わせて頂いた次第です。とはいえ単なる杞憂に終わる可能性も大いにありますし、却って億劫になるというご意見も仰る通りですので、まとまった文章毎に脚注を挟むという上記の案は、現段階では一先ず撤回とさせて頂きます。--Miraburu会話 / 投稿記録 2021年8月14日 (土) 07:50 (UTC)[返信]