ノート:偏向報道/過去ログ1

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一部本文の削除について

ノート:三菱リコール隠し#偏向報道についてを参照のこと。--Aquichang 2007年5月11日 (金) 04:34 (UTC)

 参照しましたが、偏向報道に当たらないという結論となったみたいですね。本稿においても、削除が妥当と考えます。 [116.65.150.233] 2010年6月12日 (日) 15:34

  削除しました。--Tenten123 2010年11月23日 (日) 21:09

関連記事

保護が解除されたら入れたいもの:

--euske 2007年5月13日 (日) 19:53 (UTC)

2007年6月13日時点の保護依頼状況について

2007年6月13日頃の保護依頼の状況について誤解があるようですのでリンクを残します。今後の保護依頼の際の参考にしてください。--Tiyoringo 2007年7月19日 (木) 15:27 (UTC)

「KAT-TUN解散秒読み」報道

--以上の署名のないコメントは、218.218.69.167会話/Whois)さんが 2007年9月25日 (火) 12:49 (UTC) に投稿したものです。

本節は「偏向報道」とはあまり関係なさそうなのでコメントアウトしました。--122.249.100.221 2008年3月24日 (月) 11:02 (UTC)

「要出典」の乱用をされる方へ

Wikipedia:中立的な観点#ひとつの帰結:敵のために書くも参考になさって下さい。--124.155.19.43 2008年4月5日 (土) 09:10 (UTC)

検証可能性を満たしていない記述について

今回幾つかの記述に出典を要求しました。前々から読んでいて思いましたが、個人感情や主観によるメディア批判が並べられているだけでは独自研究のそしりは免れません。本来はどれほど面倒であっても批判の出典を明示するべきです。メディア批判の本や記事と言うものは、少し努力すれば探してくることが可能です。例えば週刊誌や新書などではこの種の批判は色々出ているでしょう。それと本文にある下記の記述ですが、

>産経新聞は、日本国憲法が保障する自由権(殊に言論・出版・思想・良心・結社の自由)が暴力等により脅かされる事件が起きても、人命に関わる事態に発展しない限り、社説『主張』で取り上げる事は無い。

これは嘘ですね。反例があります。

問題教師 すみやかに教壇から外せ」『産経新聞』2002年1月30日

最後に取り上げられている事例は増田都子の記事にある通称足立十六中事件です。これを読んで明らかなのは

  1. 教師が教え子の思想信条を侵害した件を批判している
  2. 主張欄での記載である
  3. この教師は言葉の暴力を振るっただけで、人命に関わるような行為は明らかになっていなかったが、それでも産経新聞は批判している

です。つまり上記本文の記述は3つの点で誤っています。また、私としてはそもそも、社説に限定している今の本文の意図が理解できません。

「佐々淳行 日教組よ、まず「自己批判」せよ」『産経新聞』2008年10月21日

も警察官の子供を思想信条で差別したり人質にとる(つまり暴力に訴える)といった内容が書かれており同趣旨の批判がなされており、反例となります。

岩見浩造 2010年7月27日 (火) 12:50 (UTC)

一部本文の削除に関連して

まえばしやすしさんによって4分の3が削除されていたので三菱関係以外を復旧しました。

本来ならば、椿事件など、偏向報道と批判された事例や、報道した側が後に偏向を認めた事例のみを掲載するべきでしょう。また、日本の事例に拘りすぎですね。私は軍事史関係をよく編集するのですが、例えば『戦争報道の内幕』などは偏向的な事例も掲載されています(報道統制宣伝報道との切り分けはある)。月刊誌や新聞之新聞などを当たればそういう出典貼付は可能だと思います。岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM 2010年12月5日 (日) 04:34 (UTC)

文章表現に関して

>産経新聞は、日本国憲法が保障する自由権(殊に言論・出版・思想・良心・結社の自由)が暴力等により脅かされる事件が起きても、人命に関わる事態に発展しない限り、社説『主張』で取り上げる事は無い。

この一文の日本語、おかしくないですか? 最初、意味が全く理解できませんでした。 岩見さんの別件での指摘を見てみると、 「産経新聞は、ある事件に於いて日本国憲法が保障する自由権が犯されても人命に関わらない限り社説の主張のテーマとしては取り上げない」と言う意味なのか、と理解しました。 しかし、普段、産経を読んでて見る「主張」は、基本的になんでも取り上げてますよね。(特に政治的な右寄り主張が多いですけど、たまに刑事の厳罰化とかも言ってますし、社会批判なんかも有った気がします。) だから、「主張」の取り扱いテーマを指して説明してる風にはピンと来ません。 また、自由権に特化して説明してるのも理解不能で、前段で「報道の自由」と言う言葉が出てくるだけに、むしろ「産経は、仮に自由権(報道の自由)が妨害される様な事件(報道妨害)が起きても人命に関わらない限り、主張を「取り下げる事は無い」」と言う流れが自然な日本語に感じますし、そう言う流れだと確信して読んでるのに「取り上げない」と来るので「え?」っとなってしまいます。 岩見さんの指摘の件とは別に、文章表現だけは至急直した方が良いと思います。 --Toshi999 2011年4月28日 (木) 00:36 (UTC)

新聞?それとも電波??

電波報道にはいわゆる偏向報道について罰則を伴う詳細規定がありますが、新聞などにはありません。結果、両者の間にはものすごい隔たりがあります。その昔、「新聞社が電波報道なんかやるもんじゃない。」と言われていたものです。新聞は「主張するメディア」であって偏向性があります。「極端に偏らないように」しているのは読者の力です。対して電波報道は放送法。つまり、表現の自由といいながら、実は法に縛られてあたりさわりのないことしか報道できない電波報道=主義主張のない電波報道なんて文屋のやることではないというわけです。現状の記事は、両者がごちゃごちゃになっていて、収拾がつかない状態にあるように思います。とりあえず概要のところだけ加筆してみましたが苦戦、以降はもうちょっとどうにもです。まずは新聞なのか電波なのか…それによって全く変わってきます。--SCCKAHAN 2012年2月12日 (日) 10:57 (UTC)

どうにも「気持ちが悪い」ので新聞と電波報道の両方で一通り整理してみました。30年以上、局に居ましたが、「偏向報道だ!」と叩かれて騒ぎになる度に、「はっきり言っちゃえばいいのに。叩かれて裁判になって負けての繰り返しで、無いカネじゃんじゃん使って貧乏するより、それをネタにあれこれ渋ちん言ってしてくるスポンサー、とっとと切っていったほうが安いんちゃうか?」といつも思っていました。「放送ハンドブック」にごちゃごちゃ長ったらしく書いて関係者に徹底させるのはいいけれど、とにもかくにも最高裁判決で、いわゆる先進国では昔から「日本だけのこと」になってしまっているわけですから…。で、実際、局では「徹底的に主観を排する」ってことをやりますからもう大変。できるだけ面倒くさい内容はやめて「花鳥風月」。で「面白くない!」とスポンサーからクレーム。新聞社は新聞社で「うちの新聞ニュースって言うてるくせに何でうちのこの記事、使われへんのや!!」とぎゃんぎゃん。「無茶言わんといてえな…この記事、きつすぎんねん。これ出したらうちらがボコボコにされてまうがな。自由に何でも言える新聞社ってのはいいもんやで。」ってのも日常茶飯事でしたからね…。--SCCKAHAN 2012年2月13日 (月) 10:20 (UTC)

偏向報道の例について

特に新聞は、報道であっても自由に意見を述べることのできる媒体であって、偏向性があるのはごく自然なことです。過激な内容であっても基本的にこれは新聞社の「主張」「意見」であって、世界的観点からは「偏向」とは言えなかったりもします。日本の場合には確かに「利益衡量」があるので「偏向」と言えなくもないのですが、他の民主主義国家で、表現について、いまだに利益衡量主義のところはほとんどなく、例示は日本独自のものにしかならないように思います。また本当に偏向か否かは日本の場合、いちいち裁判によらないと決着しませんから、「そのまま例示する」ことが、果たして百科事典にふさわしいものなのかどうか??であったりもします。同件について肯定、否定の両論があり、いたずらに「要出典」だらけになるばかりではないかと思います。報道は「花鳥風月モノ」以外、100%と言えるほど「あちらを立てればこちらがたたず」、つまり利害関係が発生するものですから、害された側からは大抵、「偏向報道」「真実ではない」、利された側からも時に「まだ甘い」「弱腰。真実を伝えきっていない」などと評される結果にしかならないものです。--SCCKAHAN 2012年2月13日 (月) 11:23 (UTC)

かなり苦戦しましたが、一通り既存記載の事象はそのままにまとめてみました。日本の「利益衡量」基準ってものは、裏返せば「明確な基準がない」ということ、結果、「何をもって偏向とするのか」=「何を持って表現規制をするのか」が常に論じられるところ、海外諸国とは大違いであったりします。まあそれゆえに欧米諸国とは異なり「良識が保たれる」などという声もありますが、これまた「では良識とは何か?」があり、また実際、どう見てもそうとも言えない事態も発生しているわけで、これはもう、永遠に決着のつかないところではないかと私自身は思っています。「荒らし」は良しとはしませんが、このテの「元来基準曖昧、賛否両論雑多」の記事について、杓子定規に何でもかんでも「要出典」「独自研究」などとしてしまうと、日本のWikipediaでは結局「何も書けなくなってしまう」になりかねませんから、そこんところはある程度、寛容な見解をしていただきたいものです。--SCCKAHAN会話2012年3月12日 (月) 04:03 (UTC)