ノート:仙台市の学校

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Headline text[編集]

学都仙台では、概論の記述にみるように(引用→仙台は、高等教育機関に通う学生を85,000人以上抱えており~)、大学・大学院に代表される高等教育機関について論じているにもかかわらず、小学校・中学校・高等学校まで記述されております。内容の整理が必要と考えておりますが、如何なものでしょうか。

ノートに書き込みを行う場合は、署名をお願い致します。Wikipediaのルールです。文末に~(チルダ)を4つ記入すると、簡便に署名できます。
現在、地元の人が「学都仙台」という言葉に高等教育機関のイメージを持つことは知っていますが、明治時代からの仙台での初等・中等教育の歴史も鑑み、高等教育機関以外も含めました。また、市当局が「学都仙台」という言葉をなぜ用いるか、というと、支店経済、物販(卸売・小売)業、サービス業、不動産業などの目立った仙台の主要産業の他に、教育産業も仙台の経済を支える主要産業の1つだからです。教育産業は高等教育に限らないため、その他の段階も「学都仙台」に含めて問題ないと思われます。なお、この記事は、仙台市の記事の子記事の1つとしての位置づけもあるので、高等教育機関以外も含まれています。
概要の項については、記載の見直しに同意します。もね~るmoner 2007年5月12日 (土) 21:38 (UTC)[返信]
早速のご回答ありがとうございます。学都仙台の定義については、わたくしもまったく異論はございません。概論が大学、特に東北大学について多くのスペースを割いているにもかかわらず、各項のボリューム、内容がアンバランスになっているのが気になっておりました(個人的な意見ですので無視されて結構です)。もね~るmonerさまの益々のご活躍をこころからお祈りしております。122.17.100.3 2007年5月13日 (日) 02:34 (UTC)[返信]
こちらこそ、ご丁寧に私のノートにご挨拶下さり恐縮しております。本記事の「内容のアンバランスさ」について、適宜、編集をお願い致します。もね~るmoner 2007年5月13日 (日) 03:18 (UTC)[返信]

5 中学校・小学校 の私立のところですが、常盤木学園中学校は休校中であり書類上は現存していると記述がありますが、事実なのでしょうか? 宮城県教育庁総務課のサイトの http://www.pref.miyagi.jp/kyou-soumu/youran/youran_topH17.htm に、設置・廃止学校一覧というワード形式ファイルの付録がありますが、こちらにはっきりとH17.3.31廃止として書かれています。 学都仙台の記事が執筆された日時が分かりませんが、H17.3.31以前に執筆されていたのだとしても、訂正あるいは補足が必要ではないでしょうか? --124.27.18.45 2010年5月1日 (土) 17:42 (UTC)[返信]

>仙台では仙台一高に全共闘が組織されて校内に県警機動隊が導入された。

仙台一高に県警機動隊が導入されたことはないのでこの文章を削除します。--Ultranium会話2017年6月1日 (木) 13:03 (UTC)[返信]

提案(記事名について)[編集]

現在の記事名「学都仙台」と、現在の記事内容(仙台市内の小学校~大学院、専門学校、学習塾の羅列と小解説)とのあいだの乖離が、やはり非常に気になります。少なくとも、「学都仙台」という記事名からは、現状のような網羅的・羅列形式の記事であることはほとんど想像出来ません。内容に照らせば、現在の「学都仙台」というようなキャッチフレーズ的・叙述的な記事名は改め、「仙台市の教育」とか「仙台市の学校」というような、客観・明瞭な記事名としたほうが適切に思います。なお、社会通念上、日本の小中高校や大学自体、とりわけ多くの公立学校を指して「教育産業」とは括らないはずです。従って、このページ冒頭のQ&Aでこの記事の初版作成者が主張している「(仙台経済のひとつとしての)教育産業を解説する」という、この記事のコンセプト自体がおかしいように思います。なお、同じ編集者さんが初版記事を作成された別の記事「楽都仙台」についても、全く同様の記事名不適切が見て取れます。

ちなみに、仙台市や仙台人のアカデミズム(に対する意識やレベル)というのは、他都市・他地域と比較しても、むしろ驚くほどお寒い限りというのが実態であって、「学生(として分類される住民)の人口割合が比較的高い」という一点を持って「学都」などと自称してしまうのは笑止千万、というのが個人的には思うところです。--Osxlib0422 2010年5月22日 (土) 13:10 (UTC)[返信]

出典について[編集]

次の個所の出典は何でしょうか? (1)昭和30年代後半、仙台三高が新設されると、山下教育長は、中学校では偏差値輪切りによる進路指導を行なうようにとの方針を打ち出した。つまりある中学の1番から10番までは一高に、11番から20番までは二高に、21番から30番までは三高にという具合である。 (2)昭和48年、初めてこの入試難易度(合格最低点)の序列が崩れ、二高の合格最低点が一高を上回った。それ以降、この二校間の格差は接近したものになる。Ultranium会話2017年2月9日 (木) 11:37 (UTC)[返信]

>(1)昭和30年代後半、仙台三高が新設されると、山下教育長は、中学校では偏差値輪切りによる進路指導を行なうようにとの方針を打ち出した。つまりある中学の1番から10番までは一高に、11番から20番までは二高に、21番から30番までは三高にという具合である。

このような事実はありません。山下教育長はその直前は仙台二高の校長を務めていました。二高を貶めるようなことをするわけがありません。仙台三高が新設されたのは昭和38年4月、山下教育長は昭和38年9月頃に退任しています。いつそのような方針を打ち出したのかのソースがありません。そのような方針を指示されたという証言もありません。公教育において偏差値輪切りによる進路指導を行なうように指示できるわけがありません。当時の河北新報にそれを報じた記事はありません。仙台二高の『仙台二高八十年のあゆみ』にも『仙台二中二高百年史』にもそのような記述はありません。社会党、共産党が県議会で取り上げたこともありません。県教委と対立する日教組も何も言っていません。

受験競争激化による輪切りは昭和30年代初めから始まっていました。 高砂敏夫著『高校教育スクラップ-新制高校四十五年の軌跡-』(平成3年12月発行)31ページ 「宮城県では、昭和三十年初めから高校進学に伴う輪切り現象は始まっていた。」

一高の優位は昭和34年に確立しました。 読売新聞宮城版 昭和49年2月8日 「ところが、三十四年の入試を境にこの均衡関係は破れることになる。この年、一高は大量百七十三人が東北大へ合格、・・・これ以後、世間の目はまず一高に向けられるようになったと言われ、「一高優位」は動かないものになった。」

特定の受験生だけを集めようとすれば新聞で取り上げられます。 『高校教育スクラップ』84ページ 「さて、下って昭和六十二年になっても、この問題はくすぶっていた。同年三月二十日の朝日新聞は次の記事を載せていた。秋田県で屈指の進学校の大舘鳳鳴高校で、大学進学率の向上とスポーツ振興をねらって、地元の各中学校に「できるだけ男子を受験させるよう要請」していることがわかった。秋田県弁護士会では、憲法十四条(法の下の平等)と同二十六条(教育の機会均等)、「教育基本法」に違反するとして、秋田県教育委員会などに男女平等の進路指導を促す勧告書を送付した。」

入学者数を調整しようとすれば新聞で取り上げられます。 『高校教育スクラップ』306~307ページ 「この中教審の報告で、特に目立ったことは「一つの高校から特定の大学への入学者数を制限すべき」という事項であった。・・・この中間報告はさまざまな物議をかもした。朝日新聞は社説で「新しい特権階級の形成につながるから一つの高校から特定の大学への入学者数を制限すべし」と唱えるのは論理がやや粗っぽく説得力に欠くのではないか(平成二年十二月二十日付)と論じていた。有馬朗人・東大学長は「入学者数を制限することが許されるのか」と反発し、西原春夫・早大総長はじめ私立大関係者は激怒していた。(『週刊朝日』GW増大号5-3・10、一九九一)」

> (2)昭和48年、初めてこの入試難易度(合格最低点)の序列が崩れ、二高の合格最低点が一高を上回った。それ以降、この二校間の格差は接近したものになる。

格差は学区分割による高校入試が行われた昭和52年まで離れたままでした。格差が接近すれば東北大学合格者数も接近するはずですが次のようにそうはなっていません。括弧内の左側が一高の合格者数、右側が二高の合格者数です(『仙台一中一高百年史』『仙台二高八十年のあゆみ』より)。昭和48年(147、106)49年(129、95)50年(153、94)51年(127、101)52年(137、93)53年(145、82)54年(141、77)55年(140、115)

実際に序列が逆転したのは昭和52年です。 『高校教育スクラップ』157-158ページ 「昭和五十二年三月、・・・仙台一高と仙台二高とでは従来の学力差が縮まるどころか、逆転して仙台二高の平均点が高くなった。」

このまま反証などがないならば上記の二つの文は事実に反するということでいずれ削除します。--Ultranium会話2017年3月12日 (日) 13:23 (UTC)[返信]

改名提案[編集]

皆様、編集作業お疲れ様です。記事名と記事内容が合っていないと思われることから、この項目を記事内容に合わせて「仙台市の学校」へ改名いたしたく、ここに書かせて下さい。

まず、一応この記事の履歴を調べますと、 2006年11月26日に記事仙台市からの転記で作成されたことがわかります。なお近い時期に仙台の地形仙台の気候仙台のスポーツが同じ方により同様の手法で作成されています。長い記事が分割されて単独記事(子記事)になるのはよくあることです。しかし、その際には明確な記事名(記事名と記事内容が対応している、記事名から記事内容が容易に想像しうるという意味で)で作成されるのが普通だと思います。上記の例では仙台の地形、仙台の気候、仙台のスポーツの記事名は明確です。しかし、教育節だけは学都仙台という記事名で分割されました。

このノートの2010年の提案でも書かれていますが、キャッチコピーである学都仙台という記事名と、仙台市にある学校一覧とそれに係る説明(?)といったような記事内容、これらには大きな隔たりがあり改善したほうが良いと思いました。例えるなら、侍ジャパンという記事名をつけて野球日本代表の記事内容を書いているようなものです。ですから、記事内容にあわせて記事名を変えたほうがよいと思いました。

そこで「仙台市の学校」への改名が良いのではないかと愚考いたします。これなら学校一覧とそれに係る説明といった記事内容と記事名の間に隔たりはそれほどないのではないでしょうか。「仙台市の教育」の記事名も考えましたが、これだと仙台市の教育政策の解説みたいなものが記事内容に求められそうで、これは止めたほうがよいかな?と思いました。

長くなり申し訳ありませんが、以上のように考えました。ご意見、ご指摘がありましたら、承りたく思います。よろしくお願いいたします。(なお、楽都仙台の記事名も引っかかっているのですが、今はこちらに専念します。)--静山会話2023年9月30日 (土) 04:32 (UTC)[返信]

提案から一週間が経ちました。提案通りに改名しようと思います。ご意見を頂けませんでしたが、おそらくこの提案に目を通して頂いた方はいらっしゃると思いますので、感謝申し上げます。なお、改名に伴い、記事本文やリンクの変更作業もするつもりですが、もし不備がございましたら、教えて頂けましたら対応いたします。--静山会話2023年10月7日 (土) 08:18 (UTC)[返信]
Wikipedia:Bot作業依頼で依頼すればリンク貼替は楽になると思いますよ。--153.246.178.179 2023年10月7日 (土) 08:28 (UTC)[返信]
IPユーザー様、ご助言ありがとうございます。実は学都仙台へ内部リンクしている通常ページは26箇所とさほど多くはなく、使ったことがないボット作業依頼のルールの熟読や依頼文の作成、またボット作業者様への負担を考えると、26箇所くらいなら自分でやろうかなと考えています。今後、自分が別のページを移動することがあり、修正すべきリンクが多かったら、ボット作業依頼を検討しようと思います。今回のお気遣い、誠にありがとうございます。--静山会話) 2023年10月7日 (土) 09:14 (UTC)(インデントミス修正--静山会話2023年10月7日 (土) 09:16 (UTC)[返信]
わかりました。標準名前空間のリンク数は26しかなかったのですね…。--153.246.178.179 2023年10月7日 (土) 10:01 (UTC)[返信]