ノート:今川町 (刈谷市)

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統合提案[編集]

上記2件の統合を提案します。いずれも(とくに前者は)現状では単独記事にするほどの分量ではなく、当記事の今川町 (刈谷市)#芋川うどんのように一括して説明すべきと考えます。追記、現状では★の方に統合するのが適切かと考えています。--ButuCC+Mtp «Sub Talk:AVI/I-90» 2010年11月26日 (金) 21:45 (UTC)--追記。--ButuCC+Mtp 2010年11月26日 (金) 21:51 (UTC)[返信]

*改訂--ButuCC+Mtp 2010年11月28日 (日) 13:57 (UTC)[返信]
*改訂、統合先統一--ButuCC+Mtp 2010年12月5日 (日) 14:34 (UTC)[返信]

一応調べてきました(寝過して1時間強程度しか調べる時間がなかったので、来週もう一度行く予定ですが、これ以上あまり期待できない感はあります)。現状で分かった刈谷市の広域名称の階層は以下の通りです。

  • 『刈谷』
    • 『中部』(中部地域・旧刈谷市)
      • 刈谷〔刈谷西部・刈谷中部・刈谷東部・桜〕・元刈谷・熊*・高津波*・重原・小山
    • 『北部』(北部地域・旧富士松村)
      • 井ケ谷・東境・西境・(前山)・今川#・今岡#・泉田#・(逢見山)・一里山・一ツ木・築地
    • 『南部』(南部地域・旧依佐美村の一部)
      • 野田・半城土^・高須^・小垣江・(犬ヶ坪)
※自治会名として現存(刈谷地区は〔〕の地域に分割。()の名称は市史や地誌には独立した地域として示される場合があるが、別地区と統合している場合もあり、自治会なし。旧村名から*を合わせて「逢妻」と呼ぶ場合はあるが#を「逢見」、^を「半高」と呼ぶ例は見掛けない。ただし、逢妻についても逢妻川、逢妻駅との差別化は困難)。

基本的に逢妻川・猿渡川を境にして三分割し、単純に『北部』『中部』『南部』と呼称するのが行政・統計などでは普通で、地元小学生の社会科授業で使用しているわたしたちのかりやでも(少なくとも私が使っていた頃のものは)「北部・中部・南部」としています。3分割と各町の間の広域名称としては井ケ谷、東境、西境…と、上記のような地区名称があります(ほとんどが明治の町村制以前の地名に因む)。ただし、この中に『富士松』はありません。なお、北部・中部・南部の3分割は旧富士松・刈谷・依佐美(一部除く)との境界に合致するため、(北部・中部・南部では特定性に乏しいためか)旧村名に因んで北部を『富士松』、南部を『依佐美』と呼ぶことはあります。ただ、自治体の史資料中では歴史的な意味で『富士松』『依佐美』の単語が出ることはありますが、あくまで合併後の市内市政、統計での場面では『北部』『南部』(または下層の地区区分)と表記されるのが基本です(とはいえ全く皆無というわけではなく、おそらく統合予定の「衣浦・・・」の資料だと思いますが刈谷富士松土地区画整理事業 という事業名はあったようです(時間がなくて閲覧できませんでした))。 現在広域名称としての「富士松」となりうるのは前述のような『北部』の他に、「富士松駅周辺(富士松とは富士松駅の富士松)」「富士松中学校学区(富士松とは富士松中の富士松)」という場合もありますが、いずれにしろ「富士松=富士松村or富士松駅or富士松中」でイコールで結べます。そして由来的には「富士松駅、富士松中→富士松村」となるので、富士松を統合(前述の状態ならばWikipediaではその由来となった対象へリダイレクトすべきだと思うため)する先として適切なのは富士松村なのかなと思います。

なお、単純に“地名”としての『富士松』について、ほとんどが明治の町村制以前の地名に因む地区名称に富士松がないように、富士松村以外のものを見つけることはできませんでした。南部の『依佐美』は依佐美村発足以前から郷名として『依納』ほか複数の表記が存在した(地図から消えた地名 今尾恵介 p.173)ようなので、富士松も(由来が「お富士の松」だとしたら戦国期以降の)古い郷名として存在した可能性はなくはないので、「地名に命名(?)→村名に採用」の間をもう少し調べるつもりです(現状の所感では単純に松のことのみ「お富士の松」と呼ばれ続け、合併の際にその名前を拝借して行政村名になったのではないかと思っています)。

…書き込み中に調べて気付いたのですが、富士松の初版は富士松駅・富士松村・お富士の松の曖昧さ回避になっていたようです。これはもう富士松ともども富士松村に統合するのが適切な気がしてきました。富士松の富士松村への統合も検討案件として載せておきます。--ButuCC+Mtp «Sub Talk:AVI/I-90» 2010年11月28日 (日) 13:57 (UTC)[返信]

  • 報告 - とりあえず反対のなかった「衣浦・・・」の統合を実施しました。また、富士松お富士の松は改めて富士松村への統合(+統合後は富士松村#村の名の由来にお富士の松関連は記載し、リダイレクトもその節へ飛ぶようにします)として仕切り直します。一週間反論が無ければ実施する予定です。PS:やっぱり明治合併以前には富士松という地名は無かったようです。そもそも市史索引を見ると「富士松」というのは明治以降の3巻“近代”、4巻“現代”、あと8巻“年表”しか登場せず、3巻p.265に『富士松村の村名は、名木「富士松」に由来する』とハッキリ書かれています。そして、前述した「わたしたちのかりや」(リンク先はエラーで表示できなくなっているようです。すみません。検索ページに戻り同名で検索をかければ出ます)の最新版までを始め、現行の広域名称はあくまで『北部』であって、富士松というのは旧村域(刈谷北部)を指した通称のようです。--ButuCC+Mtp «Sub Talk:AVI/I-90» 2010年12月5日 (日) 14:34 (UTC)[返信]

統合提案20130731[編集]

上記の5項目を本項目に統合することを提案します。いずれも単独での特筆性が疑わしい項目であり、立項から5-6年立ってもサブスタブまたはスタブの域を脱していません。削除も考慮に入れるべきでしょうが、親記事というべき本項目が存在することから、ひとまず統合提案とします。なお、芋川さんと鐵道さんはソックパペット使用による論議妨害によって無期限ブロックされていることも記しておきます。詳細はWikipedia:削除依頼/富士松駅利便性参照。

本項目では芋川うどんについて触れられていますが、2012年3月に利用者:ぴこゆうまさんによって単独立項されました。この項目も統合を検討すべきかもしれませんが、本項目に統合してよいのか判断がつかないため、本統合提案には含めていません。なお、本項目近隣でやはり特筆性に欠けると判断できる項目に今岡公園 (刈谷市)があります。--At by At会話2013年7月31日 (水) 04:39 (UTC)[返信]

賛成 ご提案のうち、すべての記事の統合について賛成させていただきます。どの記事に関しても、単独項目として記述されるのに十分な特筆性を認めることはできず、それぞれ所在地の記事である本記事に統合すべきであると判断します。--Breakover会話2013年7月31日 (水) 05:36 (UTC)[返信]
チェック Breakoverさん、コメントありがとうございました。統合を行ないました。--At by At会話2013年8月11日 (日) 18:13 (UTC)[返信]