ノート:井上準之助

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更に「苦しんでいると言うが、私は魚の干物は見たことがあるが、百姓の干物は見たことがない」という、娘を遊郭に売らざるを得ないほど苦しんでいる東北の国民に対し、全く愛情のない発言をしたとも言われている。という部分を削除させていただきました。

小生は、現在、井上準之助で論文を書こうと資料収集をしている1930年代の日米関係の研究家です。「苦しんでいると言うが、私は魚の干物は見たことがあるが、百姓の干物は見たことがない」を見て、シメタこれで一本書けると思い、2ヶ月間必死であたれるだけの資料にあたりましたが、この言葉にはついにぶつかりませんでした。61.197.99.91様、是非、井上準之助がこの言葉を吐いたという、典拠を示してください。--125.13.15.71 2007年12月23日 (日) 03:39 (UTC)[返信]

出典としては、井上日召の公判での証言(「血盟団事件公判速記録」上、1971年、p358)で、
「井上準之助に或る人が農村の窮乏を話した所が、百姓が食へなくて野垂死したことはない、百姓の干物はまだ出来たことはないと云つたと云ふ、そう云ふ人にどんなに私共が血を吐いてやった所が決して聞えない、」というものです。
2chなどでコピペされ、意外に広まっている言葉のようですが、テロリストが自己正当化のために発言したものであるうえ、もともとが伝聞のようですから、裏付けるものはないのでしょう。悪質なデマと変わりないと思います。

 --忠太会話2016年6月18日 (土) 15:40 (UTC)[返信]

外部リンクについて[編集]

外部リンクが二つ除去されたので、生家についての情報と、ゴルフ普及についての情報の典拠が消滅してしまっているようですが、これらについても除去した方がよろしいでしょうか。それとも外部リンクを復活させるべきでしょうか。--倫敦橋 (Londonbashi)会話2013年3月8日 (金) 14:46 (UTC)[返信]