ノート:九鬼紋十郎

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この手のユーザーを納得させる方法について[編集]

  • 九鬼紋十郎・岡田惣一郎・四日市岡田家・四日市ぜんそく・金の卵労働者などで、自分はきちんと参考文献を記したが、山田晴道さんその他が出典のタグを張り付けたがこの片がたを納得させる方法と出典方法が分からないので教えてください。この手のユーザーは出典のタグを張り付けるのが好きで快感のユーザーか、九鬼紋十郎の金の卵について相手が無知で、九鬼紋十郎や四日市ぜんそくなどは全て参考文献の本に書いてある事実だが、本人が無知で九鬼紋十郎については、ネットでホームページでは具体的記述がなくて、普通なら無知なら勉強になったとタグを張り付けないが、この手のユーザーは可笑しなクレーマーかタグを張り付ける好きなのかは分かりませんが、ネットのページにない場合や具体的にこの手のユーザーを納得させる方法が分からず、他人との対立や論争が好きなのか、また著書しかない内容の場合どのように証拠や納得させて良いのか分かりません。2012年6月23日  210.149.120.71
参照方法のテンプレートと、要出典範囲を2カ所につけた山田です。他の方は出典についてのタグは付けておいでではありませんので、「この手のユーザー」は小生を指しておいでのようです。遺憾ながら、ウィキペディアの原則について誤解されているところがあるのではないかと危惧いたしましたので、以下でご質問にお答えいたします。
参照方法のテンプレートについては、「Wikipedia:出典を明記する#出典の示し方」にある通りです。この記事では参考文献として、紳士録、県史、市史など大部のものが複数示されていますが、こうした参考文献のどこに、この記事のどの記述の典拠となる記述があるのかはいっさい示されていません。したがって、個別の記述について、「本文中に注釈を入れる方法(incite reference)」を行なっていただくべきであると考え、テンプレートを貼りました。
また、要出典範囲を付けた箇所は、夫人の生年に関する記述と、人格の評価に関する記述です。夫人(「夫人」は敬意表現ですので、記事中では「妻」に改めました)の生年は、存命人物であれば一般人のプライバシーの一部と考えられますので、記述については特に慎重な姿勢が必要であると考え、典拠の明記を特に求めたいと考えました。また、既に物故されているのであれば、その記述も合わせて記載すべき性格のものであると考えます。
人格への評価については、明確な出典がなければ「Wikipedia:大言壮語をしない」に抵触する表現であると思われますので、こちらについても、むしろこの記述を存続させるために典拠の明記を求めたものです。ただし、こうした人物評については、複数の典拠を示して一般的にそのように評されていることを示すか、誰がそう評しているのか、発言の主体を明記することも必要であると考えます。特に人物評については、個人の感想を記述するのは好ましくないと考えて、出典があっても除去される方もおいでになりますので、しかるべくしっかりと典拠を示すことが必要です。
要するに、ここで求められているのは、「著書(に?)しかない内容」を典拠とするのであれば、そのどこにそう記されているのかを示して欲しいということです。この際、「Wikipedia:検証可能性」のページも併せてご一読ください。--山田晴通会話2012年6月23日 (土) 07:10 (UTC)[返信]

(インデント戻します) 210.149.120.--さんの加筆により、記事が改善されたことを歓迎します。表現については先ほど、手を加えました。これは記事内の他の年号が西暦であることを踏まえて、夫人の生年を西暦に改めたのと、出典がひとつだけであることを踏まえ、人格の評価を事実であると断言する書き方から、そのように評されたという形に改めたものです。

なお、関連していろいろ調べておりましたら、

  • 九鬼光子, 1995, 『不二 三代目九鬼紋十郎の足跡』

という文献が存在することが分かりました。夫人の名での出版ですが、国会図書館に収蔵がなく、おそらく私家版の評伝なのかと思います。四日市市立図書館には所蔵されていますが、県内の他の公共図書館には収蔵されていないようです。もし、この文献にアクセス可能な方がおいででしたら、この記事の拡充には多いに役立つのではないかと思います。以上、情報提供まで。--山田晴通会話2012年6月24日 (日) 08:09 (UTC)[返信]