ノート:三式戦闘機

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疑問点質問少々[編集]

  1. 飛燕の愛称は、後のYS-11の翼形状にみられるようにスマートな本機の形状を表した通称ですが、戦後の通称だったんですか?
  2. 記事の中に凡庸とする表現がありますが。空気抵抗を減らし洗練された機体でした。設計上は極めて非凡な機体です。キ-100の活躍でもわかりますよね。
  3. 本機のアキレス腱は、水冷エンジンです。これとて、機体設計の責めに帰するべき問題ではなく、整備体制や良質なオイルの供給が出来なかった事と思料します。
  4. 終戦期の活動の場面が夜戦でなく飛行第17.18.19戦隊をはじめとする昼間防空のため損害も多かった。
  5. 1型2型と改良し3159機製作しましたがそれは(改悪)だったのでしょうか。技術のところと前後半つじつま一貫しないのでは
  • いずれにしても本文の論調に自虐的なところが多いとおもうのですが。papamaruchan22 2007年4月10日 (火) 12:28 (UTC)[返信]
    • Ps・本文中の「非効率的な生産方法(発展途上国では当たり前だが)が飛燕の生産・評価を悪化させた原因である。」の発展途上国とはどこの国のことを示しているのですかねぇ?非効率な生産をしていたのがわが国なら。日本が発展途上国だったというのでしょうかねぇ。発展途上国という概念や言葉({途上国そのもの}も)は、南北問題(1960年頃)が発生して問題になってきた国々のことですよねぇ。戦前の日本は領土こそ拡大方針でしたが発展途上国ではありませんね、イメージ的に合致しません。何かこの飛燕の項目の改稿では、ことさら機体の評価を否定的に表現をすることで記事の質を高められるような錯覚にとらわれて改稿しているとしか思えてなりません。戦後の連合国側の諸テストに現れているように、オクタン価の高い燃料、質の良いエンジンオイル・整備体制・搭乗員の錬度etc..等米英機と同等だったら機体の技術差は小さいのではと感じます。papamaruchan22 2007年4月13日 (金) 11:50 (UTC)[返信]

クランクシャフト[編集]

クランクシャフトの減肉が著しく、数度飛ばしただけで使い物にならなくなるものが大半」云々との記述ですが。つづけて「海軍の「彗星」は、個体の状態はそれほど悪くなかった」とあります。確か彗星のアツタエンジンと陸軍のハ-40は統合名称ハ-60-32で同一のものなのでエンジン内のクランクシャフトも違いが無いと思いっていたんですが。本稿の記述の出所が待たれます。papamaruchan22 2007年4月14日 (土) 14:54 (UTC) 原型は同じDB601Aですが、それぞれ製造メーカーも品質管理も違いますよ。カタログ数値も微妙に違い、改良も別々にやってます。--SSGB 2007年4月14日 (土) 15:48 (UTC)[返信]

  • SSGB 様。そうですね、根底は仰せの通りのことだと思います。ただ統合エンジンスペックでの設計指示が出された後での、一方の社へのニッケル制限の件とか、数回で飛行不能の話とか、愛知(彗星)と川崎(飛燕)の対応の違いとか、インパクトの強い記述ですのでどんな資料を参考になさっているか知りたいと素朴に思って書き込みさせて頂いた次第です。papamaruchan22 2007年4月15日 (日) 01:21 (UTC)[返信]

エンジン換装について[編集]

KSKSさんの「キ-61は液冷エンジンがあってこその設計」はまさに仰せの通りであります。性能向上も結果を見て歴然でありそのとおりのことであります。後段が少し,,、高空での性能の表現が如何かなと感じておる次第です。高空性能について考察しますと、実用上昇限度は双方11000mですよね、三式戦の全備重量が3825kg翼面荷重191.2kg/㎡。五式戦は全備重量が3495kg翼面荷重174.8kg/㎡でありますので上昇限度が同じでかつ翼面荷重が軽い分五式戦が三式戦より劣ると断言出来ないと思うのです。KSKSさんの改稿の意図を尊重しながら少し工夫したいとおもいますが如何でしょうか。papamaruchan22 2007年4月27日 (金) 02:19 (UTC)[返信]

  • PS・--三式戦の水冷エンジンとマッチした機体設計の優秀さは、KSKSさんの記事のとおりです。また空冷換装の経緯もたまたまでしたが、大分苦労して適合するエンジン捜しをしたので全くという形容詞を外しました。また後の航空幕僚長の竹田五郎氏が戦後の対談記事の中で高度が一番とれたのは五式戦で、高高度の上昇率がよかったので私は上昇し、相手機(ヘルキャット・八日市上空)はストールして下降していったとのべておりますので、KSKSさんの云うところの三式戦の機体設計の良さとたまたま空冷エンジンとの相性の良さが、氏の生還を果たし後の自衛隊のトップまで行かしめたのでしょうね。papamaruchan22 2007年4月27日 (金) 03:30 (UTC)[返信]
    • ksksさんがエンジン換装による性能向上をと「全くの偶然の産物であった。」と、全く偶然と強調した形容詞をつけてまで復活なったのにすぐアトで、「偶然というよりは想定外の出来事であった。」と偶然性を否定してますがどちらの表現が優先されるのでしょうかねぇ。ノートでコンセンサスをとって改稿なさることを希望します。またニッケルの使用制限の件も出典を明らかにしたうえで投稿したほうがいい記事になると思います。おまちしてますpapamaruchan22 2007年4月28日 (土) 10:58 (UTC)[返信]
      • (改稿案)それに換装してからの性能向上は、{全くの}偶然の産物であった。(航空情報他の出版社である酣燈社の青木日出雄編集長の言によれば「たまたまふたつくつけたら良いものが出来た」)むしろ胴体より径の太いエンジンを取り付けるためにかなり苦労しており、{偶然というよりは}--バランスのとれた機体仕上がりとなったことは、原設計の優れていたこともさることながら想定を超えた--{外の}出来事であった。では如何でしょうか。--入れる--・{とる}papamaruchan22 2007年4月28日 (土) 11:26 (UTC)[返信]

IP様へ[編集]

219.14.48.40さん?そろそろハンドルネームお持ちいただいて会話ページで意見を出し合ってすりあわせた方が合意しやすいと思いますねぇ、、。四式戦の時から貴方を見てますが今回もノートで会話も無く、編集の要約でいきなり文脈が変だ何ていわれて改稿まえに戻されたらだれでも、いい気持ちはしませんよね。今回の問題点は、九七式戦闘機はともかく、一式戦は、「あまりに非力」と表現できませんよ。有名な加藤隼戦闘隊の活躍にもあるとおり結果は、制空権をとるほどでした。史実と結果で判断しましょう。で、改稿前の記述のほうがちょっと妥当性がありますよ。いやでしょうけれど今回はもどします。それでも非力だとするときは、出典をお示しの上再度推敲のほど。よろしく。papamaruchan22 2007年5月3日 (木) 12:49 (UTC)[返信]

私は、"キ61はエンジンの不調が完全に解決できていなかった"→にもかかわらず→"当時の陸軍には非力な97戦と1式戦しかなかった"→それゆえ→"キ61の採用を急いだ"という論法の記事にしたかったのです。1式戦が開戦後に期待以上の成果をあげたことは()内に注釈しておきましたので、パイロットの技量や制空権云々まで言及することは、読み辛くなるだけであり、必要ないと思いました。今回はこれ以上の上書きはいたしませんが、私が改稿する前のあなたの記事では「それでも」が無意味になっています。また、「一式戦が予想以上に健闘したのは搭乗員の錬度の高さがあった」という日本語もおかしいです。文章の構成に気をつけてください。あと、1式戦が対米戦には非力だと思われていた話は、碇義朗氏の著書『戦闘機 隼』に載っています。それとついでに言っておきますが、本稿の大元を書いたのは私です。それを「表現を工夫」とか「自虐的すぎる」と言って改稿したのはあなた自身ということをお忘れなく。別に今更自分が書いたオリジナル状態に戻せと言っているけではありませんが、自分の改稿は棚に上げて、他人の改稿を「いい気持ちはしませんよね」というのは自己中心的すぎませんか?219.14.48.40 2007年5月4日 (金) 00:00 (UTC)[返信]

拝復[編集]

219.14.48.40さん。貴方のキ-61の採用を急いだ経緯の論拠は了解してますよ。そのうえで現在の記事は、貴方様の一連のキ-61開発の経緯を尊重して、あるいは、損なうことなく改稿しています。キ61が期待を担って登場したことも記述あります。貴方が以前から他のログイン投稿者と一歩も引かず話合いをしていて、時には、言い合いになることもありましたね。だから事情もお有りかもしれませんがそろそろハンドルネームを持って意見のすり合わせをと申し上げました。次に制空権の話ですが、後日成果を示したのは、前から非力ではなかったからですよね。反対に最初期待されて後日結果が出ないのは、非力だったということです。一式戦があまりに非力だったら制空権など取れませんよね。あの時代の開戦時の隼の力を非力という表現も同時代のハリケーンやワイルドキャットと比べて本当はどうなのかと思っています。ただ碇氏等一部の識者が{そのように思われていた}と述べておられるし前の原稿を尊重する意味でも、制空権を取ったのはなぜかということを補完し、パイロットの技量や、空戦性能を述べておくことは、必須ですね。日本語は、少しもおかしくないです。棚にもあげてませんし、自己中心でも無いとおもいますよ。ノートで疑問提起して改稿したつもりです、まぁいずれにしましても、「棚に上げて」とか。「自己中すぎませんか」とかは、会話を成り立たせづらくなる言葉ですので適当ではありません。貴方様の為にも論争している相手のログインユーザーがお願いだからここに来ないでくださいとならないように利用者ページで話すのもいいと勝手に思っているのです。貴方の力強い文章は大変貴重なものだとおもうから。papamaruchan22 2007年5月4日 (金) 10:25 (UTC)[返信]

飛燕とDB600シリーズエンジン[編集]

KSKSさんの非表示のコメントにつきまして考えを述べさせていただきます。飛燕が3000機弱の生産に対しMe109は10倍以上の30000機以上も作られました、エンジンも30000台製造供給されましたので生産に手間取ったという表現がどうかなぁと思っております。「109の機数の多さは、生産時期の長さにもよります。」は、。KSKSさんの 仰せの通りですがその上で、ベンツ社では、5万人以上の労働者を雇い月産2000台から3000台のエンジンを生産しました。大戦末期こそ鉄道や工場被爆で生産台数は3分の1程度になりましたがエンジンはよく供給されていました。スムーズに行われたんだと思うのです。手間取っていませんね、それから「ほとんど(Me109の)専用エンジンで他の機体にはユモとかBMW、」のくだりですがDB601装着のMe110は、5762機製作でそれも双発ですから10000台以上のエンジンが用意されました。(零戦10000機・隼5000機)Me210~410シリーズはDB601FとDB603Aエンジンでそれでも1000機以上つくられました。{ほとんど専用エンジン}状態ではありませんので一応非表示としてたのでしたが、、、。次にHe100の話ですがユモエンジンを使わなかったから非採用のエピソードは、寡聞にして知りませんでした。あるいは、そうかもですが、設計審査段階で使用エンジンまで審査許可を得てから製作OKが出るというのが発注の流れだと私は理解してます。空軍省では高速研究機で審査してました。当時の世界記録を出した機体を採用しなかったのは、メッサーシュミット技師とは逆にハインケル博士が軍に「受け」が良くなかったからだと複数の本に記載されております。その一つは「第2次大戦ドイツ軍用機の全貌」(酣燈社1965年刊)で、この本の序文には、駐日ドイツ大使館の駐在武官も推薦文を寄せておりますので記述もしっかりしている書籍かと思っております。いずれ、ご趣旨に沿いつつ当該箇所2行程度ですが表現工夫して見たいと思っております。papamaruchan22 2007年5月8日 (火) 10:46 (UTC)[返信]

まずは単純な話として「結果として3万機も大量に生産された」事と、「生産に手間取った」事は全くの別問題です。「ベンツ社では、5万人以上の労働者を雇い月産2000台から3000台のエンジンを生産しました。」とありますが、まさしくそれは「生産に手間取った」という証拠ではありませんか? 生産に手間取らなかったというのであれば、例えば「なんとわずか数百人の労働者で生産できたのだ!」という話になるはずです。一例をあげると、川崎ハー40エンジンはクランクシャフトを研磨するだけで何と15時間を要し、これはDB601の場合も全く同じです。 ハインケルがナチスの受けが悪かったのは全くの同感ですが、だからこそ生産はより簡単だが性能の低いjumo211を押し付けられるという不当な扱いを受けた訳です。またこのようなDB600系エンジンの出し惜しみ・jumoの押しつけは、Ju-88、Ta-154、Fw190D、Ta-152の一部にも見られます。ようやくTa-152やDo335などにDB系エンジンを回すようになったのは、ジェットエンジンへの移行が始まった頃です。DB600系が「生産に手間取らない」エンジンであれば、もっと大々的に生産して、メッサーシュミット以外の機体へもふんだんに提供できたはずです。KSKS 2007年5月8日 (火) 15:05 (UTC)[返信]

  • KSKS様、papamaruchan22です。お考えを拝聴できて幸せです。さて、ドイツには、ご存知のように3大エンジンメーカーがありました。すなわちダイムラーベンツと、ユンカース、そしてとしてBMWですね?それで高桑秀雄(工学博士・元日本航空整備㈱技師)氏が酣燈社の書籍で記述している所では、当時のエンジン生産は、3社合計で17万人体制で月産5~6000台のペースでエンジンをつくりました。DB600シリーズのメーカーであるベンツ社だけ人数的に突出しているわけでもありませんでした。手間のかかるエンジンなら他社よりも人数が多く人手もいりますね?だいたいおなじです。期間を区切って考えますと1940年にはBf109は1607機にたいしMe110は1008機でした。専用エンジンとまでは断定出来ません。さらに水冷エンジンは3社ともつくりましたね、日本では、水冷の経験が浅いので大変でしたが、ドイツでは如何だったんでしょうか、ユモ222なんか2500hpですし、BMWも803という水冷エンジンを作ってますね。会社間にあまり差が無かったのではと思っております。お言葉の「わずか数百人で作れただろう」はずだは、手数がかからない場合のことを強調せんがための言葉のあやですよね、そんなことありえませんよねぇ{手間取る}とは、手数をかけることであります。3社とも高い技術で営々とエンジン作りをしたんでしょうね。そこで改稿ですが生産は結果的にゼロ戦の3倍の実績ですが、KSKSさんの期間の問題を考慮に入れて{手間取る}のことばを尊重し残すとすれば、「供給に手間取る」の表現で。また最後の61式のくだりは開発済みの機体ですから開発に苦労はしなくて正式化制式採用に至るまでの過程が重要かなと思います。それで「制式化には紆余曲折が予想された」との表現でどうでしょうか。たった2.3行の文章でも検討を加えるといろいろのことがふくまれていてウィキはすばらしいですね。

今後も良い思案ありますればお話ください。papamaruchan22

  • 改稿案。(ちなみに本国ドイツであってもDB600シリーズの供給(生産)には手間取り、主力機であるメッサーシュミットBf109に優先的に振り向けられた事もあり、終戦期にはほとんど専用エンジン状態となった時期もあった)。キ61の制式化(実用化)にはなお多くの(困難)紆余曲折が予想された。papamaruchan22 2007年5月9日 (水) 13:19 (UTC)[返信]

ユモエンジンですが、単純な馬力比較ではなく、重量も見て欲しい所です。重量と比較しての馬力ではDB系が上ではないでしょうか? 「終戦期にはほとんど専用エンジン状態となった時期もあった」これは逆に納得いかない記述です。むしろ終戦期こそ、Ta-152などにDB系が供給され始めた時期ですから。逆に「Bf109専用」のほうは、言い過ぎを認めます。

(ちなみに本国ドイツであっても高性能のDB600シリーズの供給(生産)には手間取り、ユモなど他エンジンも平行して生産され、DB系エンジンは主力機であるメッサーシュミットBf109などに優先的に振り向けられる状況であった) …ではいかがでしょうか? KSKS 2007年5月9日 (水)15:13 (UTC)

KSKS さんお返事ありがとうございます。上記文章でいいでしょうね。見事です。さて、DB系エンジンの優秀さはどなたも認めるところです、仰せのとおりでしょうね。その上でユモもBMWもそん色ないエンジンを作っていたのです。それから1944年のDB600系エンジン装着機の生産はMe109が12807機・Me110が1387機・Me410は629機・He219が196機・ご指摘のTa-152は34機でした。45年に入ると被爆激しくそれぞれ激減しているようですが。ご納得いただければ幸いです。いずれここは飛燕のページですのでKSKSさんの 改稿でよろしいのかとぞんじます。こんごともご活躍のほど。papamaruchan22 2007年5月10日 (木) 00:57 (UTC)[返信]


整備云々について[編集]

>当時の自家用車は法人が主です。記述復活には確実な出典要です。

「当時の自家用車は法人が主」という件について出典を示さないで、そのような発言はいかがなものでしょうか? また、それが事実であった場合であっても「法人所有であっても自動車を扱っていた者が多くいた」という事実は動かないでしょう。

>航空機と自家用車はかなり整備が違います。

航空機と自家用車で整備内容はは違っても「機械慣れしていた」という事実については全く動きませんが。自動車の整備経験がある者と、全く経験皆無の者とでは、前者のほうが遥かに航空機の整備についても習熟しやすいというのは、出典を示すまでもなく自明だとしか思えませんが。常識で考えてみて下さい。自動車に慣れ親しんでいればスパナやドライバーくらい使っていますが、そういう経験の無い者はスパナやドライバーを使う事すら初体験なのですよ。

KSKS 2007年5月12日 (土) 15:28 (UTC)[返信]

とりあえず他にも例証をあげますね。自動車を扱っていた人であれば、定期的にオイル交換をしないといけない事は知っていますが、自動車を扱っていない人にはそれすら初めて知る事であって、最初から教えてあげないといけません。いや、そもそもガソリンを給油する事が必要な事だって、自動車を知っている人にとっては既知ですが、自動車すら知らない人にとっては初めて知る事です。俗な話ですが、ガソリンの側でタバコを吸ったら危険な事も、自動車を知っている人にとっては当たり前の知識ですが、自動車を知らない人にはそんな事から教えてあげないといけない。どうです? これでも「航空機と自家用車はかなり整備が違います」という事で、全く関係なしと言い切れますか? 常識で考えて、多少なりと自動車に慣れ親しんでいれば、航空機を扱う上でも影響は多大であった事は自明だと思いますが。 KSKS 2007年5月12日 (土) 15:35 (UTC)[返信]

  • KSKS さん貴方のおっしゃるとおりの事です。基本的に上記の記述が違うとはおもいませんがね、整備が航空機と自動車では違うことの対論にはなってないんです。自動車を動かして機械なれはしますが、ただ航空機の整備はそんな生易しい物なのでしょうかと言っているんです。貴方がマイカーをお持ちになっているから飛行機の整備をする上で導入教育が容易に出来るなんてことはないです。上の記述は全く常識の範囲で整備兵養成上ではほんの一言ですみますよね。「ガソリンを入れ潤滑油を入れドライバーでねじを緩める」、、。飛行機がガソリンなんてことは、汽車が石炭で、電車が電気で、なんてことは、小学生、いや幼稚園児でも知っているんじゃぁとおもいます。。「ガソリンを給油する事が必要な事だって、自動車を知っている人にとっては既知ですが、自動車すら知らない人にとっては初めて知る事です」なんていいすぎですね。飛燕のノートでこんなレベルの話になるとは、思ってもいませんでしたし言いたくなかったです。そんなに自動車整備が軍用機整備の容易さに繋がるなんてこだわる必要ないのではと思料します。それから余談として制式名称のことを括弧書きしているようですが文章の流れからいってわざわざ改稿したことの意図が分かりません。今まで文章の流れを大切にされていい改稿を続けていた貴方様の文章かな、違う人が書いたのかとおもうくらいです。papamaruchan22 2007年5月13日 (日) 01:59 (UTC)[返信]

時代というものを考えて下さい。我々は物心ついた頃から、自動車に見て、乗って、触れている。それが当たり前だった。そしてアメリカにおいては戦前においてすらそうであった。ですが戦前の日本はそんな時代ではありませんよ。自動車にガソリンを入れるくらいは今の我々には当たり前過ぎる知識ですが、戦前の日本人はガソリンスタンドすら見た人は稀です。せいぜい知っているのは、蒸気機関車は石炭を焚くという事を、知識として知っている程度。そんな人が徴兵されて、生まれて初めて機械に触れる訳です。物心ついた頃から自動車に触れていたアメリカ人との感覚の違いは、それこそ雲泥の差ですよ。
あなたの発言を見て気づいた事があります。「汽車が石炭で、電車が電気で、なんてことは、小学生、いや幼稚園児でも知っているんじゃぁとおもいます」との事ですが、戦前の日本人で尋常小学校に入る前に幼稚園を経験した人が、どれだけいると思います? ほとんどいませんよ。あなたが戦前の日本の知識がほとんどゼロで、ただ軍事知識だけに偏重してしまっているのが、まるわかりになってしまった訳ですが。 KSKS 2007年5月13日 (日) 14:20 (UTC)[返信]

制式名称についてですが、本来は三式戦闘機の項なので、海軍戦闘機の事をここで書くほうがむしろ余計な事と感じました。ただしあえてばっさり削除するのも角が立つと思い、あえて括弧書きにして残しました。ちなみにあわせて他の項も改稿し、例えば雷電 (戦闘機)の項において、制式名称の記述について追記しました。単に三式戦闘機の項のみで文章の流れを論ずるのではなくて、Wiki全体の記述を考えてみてはいかがでしょうか? 三式戦闘機の項のみ、制式名称としての記述が豊富で、他の戦闘機の項にはその記述が皆無であるほうが、おかしな状況だとは思いませんか? 暇をみて、他の日本の陸海軍機のほうにも、制式名称について記述を加えて、全体としての体裁の統一を図ってみたいと思います。できたらご協力願えないでしょうか? KSKS 2007年5月13日 (日) 14:27 (UTC)[返信]

  • 常識的に貴方のおっしゃる事が間違いだと最初からいってないでしょう?その上で「我々は物心ついた頃から、自動車に見て、乗って、触れている。それが当たり前だった。そしてアメリカにおいては戦前においてすらそうであった」んでしょ?・・これは貴方の発言です。戦後の今現在の貴方がそうです、だからといって自動車なれしてるから飛行機整備がより簡単にできるかというとそうじゃないでしょう。自動車の知識程度でかんたんに整備兵になれませんよね。私は貴方のおっしゃるとおりのことですといってます。その上で機械なれはしますが、航空機の整備はそんな生易しい物じゃないんだよと云いました。戦前生まれの私に{戦前の日本の知識がほとんどゼロで、ただ軍事知識だけに偏重してしまっている}なんてかないませんねぇ。ディベートしてるんじゃあないんです。いい記事のためです。Wikipedia:事実を確認するということが大事なんでしょうね。で、貴方が強く出れば出るほどあなたが考えることを書くだけでは十分ではありません。あなたが書こうとしている事実を貴方自身が確認することが必要なのです。ウィキのほかの名前空間からの孫引きではなくて。かく云うわたしもそんなに自信あるわけでは、ないですがゼロでもないですよ。とにかくディベートで辞書つくりは出来ないのでは。たとえあなたがそのことを知っていると考えたとしても、読者が事実かどうかを確認することができるようにするため、そして読者がさらなる情報を得られるようにするため、一行以上改稿する時は出典を明らかにしてください。papamaruchan22 2007年5月13日 (日) 14:46 (UTC)[返信]

そこまでおっしゃるなら、あなたのいう「航空機の整備はそんな生易しい物じゃないんだよ」という事の出典はどうでしょうか? 他人にだけ厳密な出典を求めるのは、いかがなものでしょうか? 自動車の整備は航空機に比べて遥かに生易しいものなのでしょうか? 自動車のサスペションの構造など、航空機の舵と比べるとより複雑ですよ。スパナを扱う、給油する、オイル交換をする、そういった事を知っていれば、整備の上での初期教育が簡略化できる。これは出典を明記するまでもなく、自明の事でしょう? そこから先、「実は省略できる初期教育は○時間程度で、航空機の整備にはさらに○時間の教育を要する。」などという話になると「要出典」です。以上から、自動車に通じている事は航空機の整備にも役立つ事は「出典を必要としない」、自動車の整備に通じていても航空機の整備にはほとんど役に立たないという事こそ「要出典」と判断しますが、いかがでしょうか?  KSKS 2007年5月13日 (日) 16:35 (UTC)[返信]

拝復[編集]

  • ご返事どうも。今回の一連の会話や記事でKSKSさんは、三式戦と五式戦のエンジン換装の件で「性能が向上したのはあくまで運動性の面であって、高空性能は逆に低下したであろう」とのべました。

私は、出典をお示ししてむしろ向上したことをお伝えしました。KSKSさんは、その後五式戦闘機のページへ行って愛称について書きましたね、そこに陸軍は狂喜したとあります。それからあなたは「DB600シリーズの生産には手間取り、ほとんどメッサーシュミットBf109専用エンジンとなり、」とまで書きましたが私は出典と台数を示しそれも軟らかく指摘しました。逆にたった34機(1944年Ta152)の供給で専用状態が解除されたとの認識についても深く追求はしませんでした。そして今回「自動車に通じていることは、航空整備にも役立つ事は『出典を必要としない』」なんて自分だけ出典不要なんてとても通りません。自動車整備と航空整備が違うくらいあなたもわかってるのに、あなたらしくないです。ああいえばこういう式の不毛の議論は、いりません。あなたは特に自分の記事に執着がおありのように見受けられます、誰しもせっかく書いた記事が消されるのはいやですそこで「事実を確認する」に伴う注意事項として、自分の執筆した記事に誰かが修正を加えた後に、自分自身の書いた記事を検討するということも心がけて下さい。あなたの書いた事実が省略されたり、除去されたりしていたとしたら、それはその事実に関する裏付けが不十分であったためかもしれません。あるいは、あなたが書いた事実と記事との関係が明瞭でなかったためかもしれません。私は我慢強いほうですが知識ゼロとかいわれる筋合いはありません。ゼロかどうかはあなたの判断ではありません。大人の付き合いをしたらいかがかな。オープンコンテンツのウィキペディアは周りの人が観てるんです。粘り強く貴方と話あいをしてます。KSKSさんの思い入れは十分判かっています。ここに来ないでとはいいませんが。ノートが長くなるので、この際ご返事はいりません。今後のウィキペディア執筆のためにも、ご自愛のほど。papamaruchan22 2007年5月14日 (月) 09:18 (UTC)[返信]

「諸元」の項目[編集]

生産数の少ない二型の諸元だけでは寂しいので一型乙を追加して他の陸軍機と同じフォーマットにしました。それに伴い翼面積の項をオミットしましたが(他の陸軍機も含めて)入れた方が良いでしょうか?それと二型の航続距離は前の版から引継いで1,600kmとしましたが手元の資料(精密図面を読む10 101,107頁。一次資料は陸軍航空審査部三式戦闘機取扱法 昭和18年4月より)では1,100km+Vc.1時間+空戦20分となっています。このVc.が何か判れば、一型乙1,100km+空戦20分、二型1,200km+???1時間+空戦20分の表記に改めたいと考えています。ご存知の方に御知恵を拝借できれば幸いです。Work2500 2007年5月14日 (月) 10:12 (UTC)[返信]

追加です。爆装も上記の資料では二型は「タ弾」のみ表記があり通常爆弾については触れられておりません。対爆撃機用に量産されたという経緯から爆撃任務は想定していないからだと思うのですが、こちらも詳細を御存知の方がいらっしゃれば訂正をお願いします。Work2500 2007年5月14日 (月) 10:24 (UTC)[返信]

  • Work2500さんこんばんわ。大変貴重な資料お持ちですね。敬意を表します。Vc.は海面上かもしれませんが陸軍機なので確実なところ自信ありません。タ弾は敵爆撃機の上方で投網のように炸裂させたんでしょうから、タ弾装着時はペイロードからしても爆弾装着は出来ないでしょうねぇ。秋本実の著作では、250kg爆弾2個装着可能との記載があることはあるんですが。papamaruchan22 2007年5月14日 (月) 11:19 (UTC)[返信]
  • Papamaruchan22さん

「精密図面を読む10」が元にしている資料が陸軍航空審査部の資料という意味で、流石に私は所有しておりません。wikipediaのタ弾で見ると250kgのものはなかったようなので、あくまで最大搭載量が250kg×2でタ弾の搭載も可能、という程度の意味なのかも知れないので表記を修正します。Work2500 2007年5月15日 (火) 12:43 (UTC)[返信]

バラストについて[編集]

一型丁で後部に搭載されたバラストですが、重量の明記されている文献をお持ちの方はいらっしゃいませんか?文献をお持ちでしたら、是非加筆をお願い致したく存じます。なんでしたら五式戦闘機の方にも。諸事情を鑑みるとそんなに重いものでは無さそうなのですが・・・。

なお、ハ40につきましてはいずれ文献が手に入れば分割統合調整なども視野に入れ・・・ウィキペディアは「書きかけが当たり前」でございますので、信頼できる情報源を参照出来る方がいらっしゃいましたらどうか、些細な書式などにこだわらず、出典の明記の上でご加筆をお願い申し上げます。十分に資料が揃いましたら、何れ誰かがまとめてくださるでしょう。--Hman会話2012年12月20日 (木) 18:43 (UTC)[返信]

要出典について[編集]

僭越ながら、何カ所かに要出典を貼付させて頂いております。「そんなもん軍ヲタなら常識だろ!」・・・かもしませんが、ウィキペディアのルールに従いますと、これらの部分には出典が必要なところとか存じます。何卒、ご理解とご協力をお願い申し上げます。配管の長さについては私もどこかで見た気がするのですが・・・・・・。

なおマ式現地改修についての小山手記はあくまで手記であり、「搭載すると言っていた」とか、「マ式三式戦とは別に機関砲も持ち込まれた」などを証言しているものであり、あくまでさしあたりの出典として貼付させて頂いたもので、現地改造が実際に行われた事を強く担保するものではございません。よって、「・・・されたフシもある」などといったもの以上の表現は、ちょっと難しい所なのではないかと思料致します。取り敢えず私の当たった(私の当たれる資料など全体の1/500程度でございますが)、マ式の件につきまして、取り敢えずは以上となります。また暖かくなりましたら他地域への図書館遠征などで、新たな資料も見付かるかもしれませんが・・・。--Hman会話2012年12月24日 (月) 18:27 (UTC)[返信]

二型甲、乙および三型について[編集]

-えー、編集詳細はこの版の差分を見て頂くとして。個人的にこの分類は見たことがないので、是非とも参考文献の追記をお願いしたく。--とろろ猫会話2017年10月20日 (金) 08:58 (UTC)[返信]