ノート:ルドルフ・シュタイナー

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商用利用の禁止について[編集]

シュタイナーの唱えた宗教・神秘思想Anthroposophieについては人智学という訳語が定着しております。ここでもそのように記載されていました。ところが、従来の日本人智学協会につづいて、日本アントロポゾフィー協会という別の団体が成立された後、ウィキベディアでの用語を自分たちの団体名称に近いカタカナにすべて書き換えるという濫用をやっており、自分たちの商用講座などへのリンクもさかんに貼っています。ウィキペディアの商用利用は認められていませんので、このような行為について厳しく排除していくべきです。

ちなみに、Googleで検索しても、「人智学」は広く35500件以上もヒットするのに、「アントロポゾフィー」は関連サイトの9200件しかヒットしません。また、Amazonの書籍検索では、「人智学」134冊に対し、「アントロポゾフィー」はたった3冊です。

とりあえず、日本語での文化記述にそぐわない、また定着もしていない、このような私製団体名への用語の書き換えを排除することを提案します。 --Rightpiano 2009年5月23日 (土) 20:08 (UTC)[返信]

この件については、人智学の「言葉について」の項に詳しいので、参照の上、ご自身の誤解を解くよう努力なさって下さい。--Ganesh 2009年5月25日 (月) 08:24 (UTC)[返信]

無題[編集]

「河井善治の『京都学派の誕生とシュタイナー』が、西田幾多郎、和辻哲郎ら京都学派の哲学は、独自のものではなく、実はシュタイナーを始めとした当時のゲーテ研究家の思想の剽窃であったことを指摘している。」という記述は、客観的で中立な記述なんでしょうか。Mishika 2004年12月5日 (日) 04:30 (UTC)[返信]

河井善治は、Googleでも出版検索でもひっかからないが、何者?ホントにこの書物は本として出ている?パンフレット、リーフレットの類でなく?Mishika 2004年12月5日 (日) 04:32 (UTC)[返信]
河井ではなく、河西でしょ?人名なんか間違えてはダメ。それとこの人が書いてるのは、トンデモ本じゃありませんか。Mishika 2004年12月5日 (日) 04:38 (UTC)[返信]

画像[編集]

コモンズにあってシュタイナーの画像は、著作権問題があったようで、全削除されています。記事の旧版にあったものは、リンク先がなくなったため削除されました。Mishika 2005年10月1日 (土) 03:35 (UTC)[返信]

『ヴァルドルフ学校』の『シュタイナー教育』への統合について、ご意見をお寄せください[編集]

Rienziです。

『ヴァルドルフ学校』のノートページにおける意見交換の結果、再度『ヴァルドルフ学校』を『シュタイナー教育』へ統合し、中立的・国際的観点からの記述を充実させる必要があるとの考えに至りましたので、当該項目のノートページにおいて統合を提案させていただいております。

こちらの『ルドルフ・シュタイナー』の記事の執筆に関わっていらっしゃる皆様に、ノート:ヴァルドルフ学校へのコメントをお願いいたします。

統合提案について、(賛成)(反対)の意思表明を含めてご意見頂ければ幸いでございます。

また、各所で提案させていただいております『日本の現状および日本語版ウィキペディアの利用者の多くが日本人であることに鑑みての呼称統一』についても、上記ノートページにご意見頂ければ幸いです。

私個人としては、この『ルドルフ・シュタイナー』の項目を中心に呼称についてのローカルルールを定め、それをシュタイナー関連の各項目に反映させてゆくのがベストであると考えております。

よろしくお願い申し上げます。--Rienzi 2009年7月26日 (日) 07:08 (UTC)[返信]

ロマゾフィーに関する記事について[編集]

Prefbar氏という新参の方により、「日本での事件」という項目が新設され、ロマゾフィー協会の事件に関して投稿されました。しかし、この性急な編集は、シュタイナーの記事の統一性を損なうものではないでしょうか。Wikipediaはニュースを載せるところではなく、百科事典です。だとしたら、まずロマゾフィーとは何なのか、新しく記事を作成して明白にしてから、その記事にリンクするよう配慮すべきではないでしょうか。また、「日本での事件」という題は、まるでシュタイナー自身が事件を起こしたかのように錯覚されます。以上のことから 1)ロマゾフィー事件についてはここに書かず、必要があるならロマゾフィーという記事を新設してそこへリンクするような形をとる 2)そもそも「日本での事件」という項目で何を伝えるのか合議の上決定する 3)それらに関する合意が形成されるまで、シュタイナーと直接の関係がない「ロマゾフィー」と、その事件に関する記事は掲載しない ということを提案します。十日間を目安として意見をまとめたいと思いますので、よろしくお願いします。--Ganesh 2010年9月18日 (土) 11:53 (UTC)

  • Rienziです。『日本での事件』という節は、ホメオパシーに関する記述は『ホメオパシー』記事本体に書かれるべきものであり、同様に『ロマゾフィー』に関する記述は必要があれば『ロマゾフィー』という記事を作成した上で記述するのが妥当であると考えます。『日本での事件』という項目において現在紹介されている二例のうち、ホメオパシー関連の記述は日本学術会議による公的な発表に基づくものであり、ロマゾフィー関連の記述は報道に基づくものでありますが、いずれもルドルフ・シュタイナーと直接的に関わりのある内容かどうか疑問を感じます。ロマゾフィー関連の記述に関していえば、『ロマゾフィー協会』という団体にどの程度『特筆性』があるのかということにもやや疑問があります。暴力事件を起こして初めて名が広まったに等しい団体であり、活動内容そのものに特筆性があるとは考えられません。ロマゾフィー協会のサイトでの記述内容を見る限りは、シュタイナーの思想はあくまで平岩氏の発想の原点にすぎず、平岩氏自身の思想の土台として(いや、言葉は悪いですが権威付け)シュタイナーという名前を用いているに過ぎないと思われます。近年シュタイナーの思想、教育のありよう、ホメオパシー関連などなど、様々な角度から批判が起きているのは事実ですが、wikipediaに記載する内容に関してはよく吟味する必要があると思われます。少なくとも、以前ヴァルドルフ学校の記事を破壊し尽くして無期限ブロック中の某氏のように、マスコミの報道だけに基づいて選別なしに書かれるべきではないと考えます。--Rienzi 2010年9月19日 (日) 01:33 (UTC)[返信]
  • 今回の提案をして5時間後に、Prefbar氏によりホメオパシーにかんする記述が追加されました。性急な編集を警告していたにも関わらず、それを無視してさらなる新しい内容を付加したのは暴走行為と受け取られかねません。しかも、内容に不備があります。日本におけるホメオパシーの普及とシュタイナーやアントロポゾフィー医学との関係についてソースがありません。このため、百科事典としての正確性が失われ、偏向した情報の宣伝となっています。Rienzi氏の意見はごもっともだと思います。Prefbar氏は、まず、このノートで合意形成してから記事を書かれるよう、くれぐれもよろしくお願いします。--Ganesh 2010年9月19日 (日) 03:10 (UTC)[返信]
  • 『日本での事件』節におけるホメオパシー関連記述は、Ganeshさんのご指摘の通りシュタイナーやアントロポゾフィー医学との関係についてのソースがなく、少なくとも『ルドルフ・シュタイナー』の記事内で記述するのは不適当です。また、ロマゾフィー関連の記述も、百歩譲って『アントロポゾフィー』の記事内に記述するならともかく、『ルドルフ・シュタイナー』という記事内に記載するのは同じく不適当です。そもそも、『日本での事件』という節自体がWP:JPOVであると思われます。現時点では『日本での事件』の内容は的外れであるといわざるを得ず、除去が妥当だと思われます。--Rienzi 2010年9月19日 (日) 04:28 (UTC)[返信]
  • Prefbarさんは、ノートでの話題提起後も『日本での事件』節の編集を続けておられます。また、9月17日に項目が立てられた『ロマゾフィー協会』の記事と、ロマゾフィー協会ウェブサイトへのリンクを貼ることで情報ソースが存在するという体裁を整えておられます。しかしながら『ロマゾフィー協会』の記事内容は先日発覚した事件の事実関係の羅列にとどまっており、『ロマゾフィー』がなんであるかの説明がなされておらず、現時点では情報ソースとしては不適当であると思われます。また、代表者の名前を『シュタイナーを評価した人々』の節に追加しておられますが、ロマゾフィー協会代表者の弁は『霊界でシュタイナーに師事した』などどいう妄言の類いであり、『評価した人々』節への記述は不適当でありましょう。ロマゾフィー協会ウェブサイトへのリンクも、代表者の『霊界でシュタイナーに師事した』という妄言以外にシュタイナーとの明白な接点が見いだせない以上、必要ないと考えられます。wikipediaはニュース速報ではありませんし、偏向した情報が集積されるべきでもありません。客観的に見てロマゾフィー(およびロマゾフィー協会)とルドルフ・シュタイナーとの間には『代表者の妄言以外に接点がない』と言わざるを得ず、ロマゾフィー関連の記述を『ルドルフ・シュタイナー』の記事内におくことは不必要であると考えられます。(Prefbarさんがこのノートで対話に応じてくだされば、ノートでの合意の上で)編集除去もしくは『記載が適当』との合意が得られるまでのコメントアウトという形で編集対応させていただきたいと考えております。--Rienzi 2010年9月19日 (日) 12:16 (UTC)[返信]
  • Rienzi氏の意見に賛成です。基本的な情報が抜けたまま、Prefbar氏により本来的でない情報だけが肥大化しているという印象が有ります。Prefbar氏には、直接コメントも書いたのですが、まったく返事がないというのは、読む方法がわからないのでしょうか。初心者の方らしいのでこちらもできるだけ柔軟に対応したいと思っております。ただとにかく、何が問題になっているかは共通認識として持っておきたいので、編集にて対応する必要はあるでしょう。--Ganesh 2010年9月19日 (日) 13:01 (UTC)
  • 特に異議が無いようですしPrefbar氏は『ロマゾフィー』の記事を編集してシュタイナーとの関係について補記されており、百科事典としてはそれで充分と思いますので、ロマゾフィーの記事を削除します。また、『日本での事件』という節自体に疑問がある事、ホメオパシーの記述についても疑問がある事、それらの記事が掲載された経緯について疑問があがっている事から、『日本での事件』の節も削除するものとします。ホメオパシーについては思うところもあるのですが、少なくともシュタイナーとの関係がはっきりと書かれていないにも関わらず、あたかも事件と直接の関係があるような紛らわしい書き方をしている事については賛同しかねます。--Ganesh 2010年10月1日 (金) 02:33 (UTC)

ロマゾフィー関連記述をいったんコメントアウトいたしました[編集]

Rienziです。

ロマゾフィー関連の記述ですが、代表者の平岩某氏の『霊界でシュタイナーに師事した』という妄言以外にシュタイナーとの関連が見いだせないため、関連記述およびリンクをいったんコメントアウトさせていただきました。

編集除去ではありませんので、履歴表示によって内容を確認することが可能な状態となっております。

このノートでの意見交換によって、再度表示するか、編集除去するかの合意形成を行いたいと考えております。

これらのロマゾフィー協会関連記述は、現在の内容では、アントロポゾフィーの記事内での言及ならまだしも、ルドルフ・シュタイナーの記事内での言及は不必要・不適切であると考えられます。また、最近新規ユーザーさんによって頻繁に行われている編集・投稿の多くが、WP:JPOVに抵触しているのではないかと思われます。この点についても意見交換が必要であると思います。

よろしくお願いいたします。--Rienzi 2010年9月20日 (月) 10:38 (UTC)[返信]

アントロポゾフィーという表記について[編集]

書籍で人智学以外の表記は見たことがありません。アントロポゾフィーと書かれると、意味が分からず混乱しますので、表記を人智学に統一しました。読者はもちろん、アントロポゾフィーの関係者だけではありません。協会での表記に合わせないでください。正直かなりわかりにくかったです。また、むやみに外部リンクを増やすことも控えてください。--やまさきなつこ会話2015年10月25日 (日) 11:37 (UTC)[返信]

各所で述べたことと重複しますが、伝統的な学問としての「人智学」と、シュタイナーの個人的思想である「アントロポゾフィー」は、区別して扱われています。協会の表記云々・・・以前の問題かと思います・・・。まぁ「協会」側でも「人智学」とせず「アントロポゾフィー」としているのは事実ですが。全てを「人智学」に統一することは、「伝統的学問」と「個人的思想」の区別が難しくなり、却って混乱を来しますので、この記事の本文については「二種類併記」に改めるとともに、最大限、閲覧者への便宜を図るために「混同」テンプレート人智学の記事冒頭に提示しました。なお、雑多な外部リンクの整理については私も賛成です。個人のブログさえ含まれていましたから・・・。--Rienzi会話2015年10月25日 (日) 15:12 (UTC)[返信]
伝統的な人智学とシュタイナーの人智学が異なっているからといっても、伝統的な用語である「人智学」を自ら思想を表すものとして選んだのはシュタイナー自身です。ほとんどの書籍で「人智学」が使われているにもかかわらず、信頼できる情報源のない理由で表記を変えていいということになるでしょうか。百科事典でも辞書でも「人智学」が使われているのにもかかわらず、「アントロポゾフィー」が正しいという信頼できる根拠を示していただけないと、議論が進みません。--やまさきなつこ会話2015年10月26日 (月) 00:38 (UTC)[返信]
伝統的思想と個人的思想の違いということですが、伝統的思想もまた個人の思想の集合なのではないでしょうか。シュタイナーの人智学に大きな独自性があることは確かですが、伝統と個人という分け方が適当なのか、私にはわかりません。アントロポゾフィーの表記が正しいという信頼できる情報源を示していただければ、それを検討することでどうすべきか議論を進めていけると思います。よろしくお願いいたします。--やまさきなつこ会話2015年10月26日 (月) 00:53 (UTC)[返信]
返信 (やまさきなつこさん宛) 私自身の認識としては、「人智学」が「本流」であって、シュタイナーの「アントロポゾフィー」は(「本職」の人は怒るかもしれませんが)そこから枝分かれした「傍流」あるいは「亜流」というふうな感じです。ただ、「アントロポゾフィー」表記に関しては、ぶっちゃけ「慣習的にそうなっている」「既成事実の積み重ねとしてそういうふうになっている」という以上のことは現時点では私の方でも把握しておりません。一応、出典を探してみますけれども・・・。詳しいことはノート:アントロポゾフィーにコメントします。--Rienzi会話2015年10月26日 (月) 06:18 (UTC)[返信]

概略から批判を除去することの是非について[編集]

概略に賛美や影響だけをかき、批判を除去するというのは中立的ではありません。概略にはいいことも悪いことも書くべきでしょう。他に節があるからいらないということにはなりません。概略には、中立的な内容が書かれるべきで、批判も必要です。長大な記事だからこそ、概略の中立性は大事でしょう。--やまさきなつこ会話2015年10月26日 (月) 00:38 (UTC)[返信]