ノート:ブルゴーニュ公国

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大関寛博氏のサイト、カノッサの屈辱[1]によると、堀米庸三、堀越孝一は「ブルゴーニュ侯」と記述する由。(詳しくは直接読んでください)--忠太 2005年1月18日 (火) 14:33 (UTC)[返信]

  • 221.114.207.61さんの書き込みによると、「ブルゴーニュ公国(-こうこく l'Etat de Bourgogne)は中世のフランス東部にあったブルゴーニュ公領を中心とする,ブルゴーニュ公の勢力。」ということですが、公領<公国と理解してよろしいのでしょうか。この当時、国とは一体いかなる概念だったのかもよくわかりませんが・・・ --忠太 2005年7月26日 (火) 15:55 (UTC)[返信]

「ブルゴーニュ公爵」でよいのでしょうか?(そうすると公国ではなく、公爵領になるのでは?) --忠太 2006年7月30日 (日) 12:16 (UTC)[返信]

ブルゴーニュ公領と言った場合、フランス内の元々ブルゴーニュ公領とされていたものを指し、ブルゴーニュ公が実質支配していた地域全てを含んだものをブルゴーニュ公国と称することが多いと思います。各領土はさほどの統合性はまだ有りませんので、ブルゴーニュ公兼フランドル伯兼ロートリンゲン公のように表現した方がより現実に近いかも知れません。ただし、ブルゴーニュ公は皇帝や教皇に働きかけて独立した王国に昇格させようとしていましたから、公国という表現は妥当と思われます。君主の称号は最も高いものを使うためブルゴーニュ公爵で良いかと思います。 Zorac 2006年7月30日 (日) 13:51 (UTC)[返信]
成程。「首都」という表現もちょっと違うかもしれませんね。 --忠太 2006年8月5日 (土) 15:46 (UTC)[返信]