ノート:ファリサイ派

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ファリサイ派と統合すべき。Johncapistrano 13:52 2004年2月21日 (UTC)

提案[編集]

もともと「パリサイ人」があって後から同内容の「ファリサイ派」がたてられ、「ファリサイ派」がリダイレクトになった経緯があるようですが、

  • 日本語ウィキでの「揺れのある聖書関係の人名は新共同訳の表記にあわせる」という指針に準じる。(新共同訳はプロテスタントとカトリックなど超教派によって固有名詞表記が統一されているため)
  • 現代日本語の用法において、「~人」というと民族名のように聞こえる。ユダヤ教内グループである彼らの場合、「~人」より「~派」のほうが適切な表現。

という二つの理由で「パリサイ人」をリダイレクトにして「ファリサイ派」のほうへ移動してはどうかと思いますが、いかがでしょうか。Gakuinryou 2005年5月27日 (金) 00:03 (UTC)[返信]

冒頭の「イエス・キリストが・・・」云々の除去について[編集]

次の記述を冒頭部分より除去いたしました[1]:

イエス・キリストが、激しくファリサイ派の批判をしたため、クリスチャンとは対立関係にあり、初代教会時代にはイエス・キリストの使徒による宣教を迫害していた。

この記述には、少なくとも二つの問題点があります

  • 何の留保もなく「イエス・キリストが」と、それ自体、ある宗教的立場にたたなければ本来使えないはずの肩書きが使われていること。
  • 出典もなく「イエス・キリストの使徒による宣教を迫害していた」と断定していること。中立性と客観性がかなり強い出典がないかぎり、このような事柄を断定するのは避けるべきであると考えます。

加えて、私としては、イエス本人が「激しくファリサイ派の批判をした」かどうかもそれほど確証のある話ではなかろう、と思っています。これを三点目に加えようかと思いましたが、あまりに論争的ですし、上記二点で除去の理由としては十分だと思いますので、ひとまず保留します。--mizusumashi(みずすまし) 2011年2月7日 (月) 17:06 (UTC)--下線部追記:2011年2月9日 (水) 14:51 (UTC)[返信]

1点目についてはたしかに「キリスト」というのはキリスト教的な言い方です。2点目はそもそもイエスに言及する資料が聖書しかない以上、聖書を引用の上、注解書や神学書を出典にして書く事はできると思います。『古典ユダヤ教事典』という本を所持しておりますが、ファリサイ派には新約時代のことがかなり重要として扱われています。聖書が中立性と客観性のない資料というならば、イエスの存在そのものが記事にできません。今回除去された部分には確かに問題をはらんでおりましたが、同趣旨のことを全く書く事が叶わないとは思いません。キリスト教の教派問わず、出典は出せると思います。--Sillago 2011年2月7日 (月) 17:24 (UTC)[返信]
二点目については「断定するのは避けるべき」としているように、「新約聖書にはこう書かれている」式にこの項目に書くのは構わないし、むしろ望ましいことだと思います。ただ、私が除去した記述は、「初代教会時代」に「ファリサイ派」がイエスの「使徒」の宣教を迫害した、という記述であったことにはご注意ください。イエスが十字架に架かるまでは「初代教会時代」とは言わないと思うのですが(私の誤解かもしれませんが)、そうであるならば、イエスをファリサイ派が迫害したという内容も、ファリサイ派と特定せずに「ユダヤ人」が初代教会を迫害したというような内容も、これにはそぐわないことになるでしょう。
聖書が中立的な文書だとは私は思いません。しかし、そうであってもイエスの存在そのものが記事にできないとは考えていません。
また、ここで私が除去した記述は、現代のラビ的ユダヤ教の母体となったファリサイ派を、いわばキリスト教から非難するようなものでした。そういう記述であるからこそ「中立性と客観性がかなり強い出典」を求めているのであって、この要請をこのような形で批判的・論争的ではない記述にまで拡大するつもりは私にはありません。--mizusumashi(みずすまし)
コメント この項目、初めて見ました。初代教会時代にファリサイ派がキリスト教徒(ユダヤ教キリスト派)を迫害していたというのは事実のはずです。その証拠に、少なくともキリスト者に呪いをかけて、イエスをキリストと認める者をユダヤ教社会から除名していたというのは、岩波訳の新約聖書の補注などでも出典付きで説明されています。ちょっと加筆すれば済む問題なので、削除までする必要はなかったと思いますが。なお、出典は失念しましたが、ユダヤ戦争後サドカイ派は存在しなくなったので、聖書においてもファリサイ派ばかりが批判されるようになったという見解を読んだ記憶があります。あと話は変わりますが、嫌がる人がいるかも知れませんが、未読ながらウェーバーの『古代ユダヤ教』も持っていますので、その他の項目で、読んだ上で加筆も可能です。〔追記:上記で触れた補注はヨハネ伝9章の盲人の癒しの話の部分で、盲人の両親が会堂から除名されるのを恐れた云々の箇所です。出典見ないで書きますが、ユダヤ戦争後、唯一生き残ったユダヤ教指導層がファリサイ派で、そのため初期教会時代にキリスト者と実際にぶつかったのはファリサイ派だけであり、それは当然福音書執筆時期とも重なるため、キリストが舌鋒鋭く批判するのはサドカイ派などよりパリサイ人ばかりになる、ということらしいです。そして、このような初期教会時代の教会を取り巻く社会背景が福音書に反映していると聖書学者は考えているようです。--Bokemiann 2011年2月8日 (火) 03:34 (UTC)〕--Bokemiann 2011年2月7日 (月) 22:30 (UTC)[返信]
報告 頑張って加筆してみました。それと、場所は冒頭ではなく「新約聖書」の節にしました。ただ、やってみたら完全な復帰ではなく、出典要請タグが既に付された文書の復帰のような形になりました。以上ご報告します。なお、文章がいまいちで長いので、修正して下さって構いません。--Bokemiann 2011年2月9日 (水) 07:30 (UTC)[返信]
Bokemiannさんの編集[2]に異議ありません。ありがとうございます。--mizusumashi(みずすまし) 2011年2月9日 (水) 14:51 (UTC)[返信]

「マックス・ウェーバーの説」の出典について[編集]

イザヤさんによってウェーバーの『古代ユダヤ教』を出典とした記事が書かれましたが、出典の書誌情報が全くありません。翻訳の岩波文庫版を用いているのでしょうが、ページ数はともかく、上中下巻のどれを見て記述したのかぐらいは明記しないと出典としては不備だと思います。それにまた、これは『古代ユダヤ教』そのものではなく、別途書かれたウェーバーの論文「パリサイ人」が出典でないかと思うのですが、その場合は、「マックス・ウェーバー「パリサイ人」(『古代ユダヤ教』岩波文庫、下巻所収)」ぐらいは最低限書いてほしいと思います。百科事典の出典なのですから、それくらいは必要でしょうし、実際に目を通した文献なのですから決して難しい話ではないはずです。--Bokemiann 2011年2月13日 (日) 09:08 (UTC)[返信]

確認のため、一旦外します。--イザヤ 2011年2月13日 (日) 13:35 (UTC)[返信]