ノート:ニッコロ・マキャヴェッリ

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2004年3月15日15:20の編集について[編集]

ニッコロ・マキャヴェリ 15:20 2004年3月15日 . . Michuの版 コピペ元 或は履歴の為に一時削除した方がいいかも。--Johncapistrano 10:18 2004年4月14日 (UTC)

参考文献節の塩野七生著作について[編集]

ニッコロ・マキャヴェッリ の参考文献(おそらくこの記事を書くのに参考としたのでしょうが。また今のところ問題は無いですが)として載っている、「塩野七生 『わが友マキアヴェッリ―フィレンツェ存亡 塩野七生ルネサンス著作集7』 (2001年 新潮社)」は参考文献として載せるべきなのでしょうか? もちろん、彼女の作品は史料にあったてから、それをもとに書いてあるのですが、フィクション(小説:憶測、また事実でない)もたぶんに含んでます。つまり、学術的著作でないことは確かでしょう(彼女の著作を参考文献にしているマキアヴェッリ(とか)についての学術論文があるのか知らないので確か「でしょう」という表現なのですが)。 「『マキアヴェッリ語録』 (1992年 新潮文庫)」の方は読んだことが無いので分かりません(おそらくマキアヴェッリからのクオート集だと思いますが)。管理人さんをはじめ、皆さんの(百科事典としてのWikipediaの性格を念頭においた)意見を聞きたいです。時間を見つけ次第、また現在進行中の翻訳を終了次第、マキャヴェリも英語版から翻訳したいですが(もちろん、今現在ある優れた記述をそのまま残すか、インテグレートして)。塩野氏の本は「日本にはマキアヴェッリについてこうゆう本がある」という文で入れた方が良いかもしれません。お願いします。--Hans castorp81 00:24 2004年4月15日 (UTC)

参考文献ではなくて、マキャヴェッリを取上げた作品として記述しますか。--忠太 2004年11月7日 (日) 16:09 (UTC)[返信]

メディチ家との関係について[編集]

「生涯、マキャヴェッリはメディチ家とは付かず離れずの関係であったようだ。」とありますが、メディチ派の政敵であったソデリーニの側についていたこともあります。心象としてはメディチに近くても、行動からみればそうは言い切れません。--210.130.48.107 2008年12月8日 (月) 00:39 (UTC)[返信]

「ヴィルトゥ」(virtù, 技量)」について[編集]

「ヴィルトゥ」(virtù, 技量)とありますが、塩野訳では「力量」でした。念のため。--124.209.219.5 2010年4月14日 (水) 11:46 (UTC)[返信]