ノート:ドミティアヌス

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功績と汚点について[編集]

幾つか気になった点があったので質問します。
(1) コロッセオがドミティアヌス時代に完成したとありますが、先代のティトゥスの時代ではないでしょうか?
(2) ドミティアヌスが行った大事業にリメス・ゲルマニクスの建設がありますが、全く触れられていないのはなぜでしょうか?(リンク先にはアウグストゥスが始めたとありますが) 利用者:Ivory 2005年9月18日 (日) 16:23

  • 以前の執筆者のひとりです、ローマ史は詳しくないのですが、系図しか書いてないのはまずいなとおもったので英語版の抄訳をいれました。重要なことでおとしたこともあるかと思いますので、適時直接記事に補筆していただければと思います。
  1. 英語版のコロッセウムには" Construction was initiated by Emperor Vespasian and completed by his sons, Titus and Domitian, between AD 72 and AD 90. "とあります。ドミティアヌス治下に完成といいきることが適切かはわかりませんが、ティトゥスの時代に完成ともしていません。ティトゥスの時代に完成したということに史書の裏づけがあればご教示をお願いいたします。--Aphaia 2005年9月18日 (日) 07:53 (UTC)[返信]
  • 日本語のコロッセオではA.D80となっています。これを裏付ける根拠としてスエトニウスの「皇帝伝」ティトゥス7節には大円戯場(コロッセウム=コロッセオ)の奉献に関する記述があり、塩野七生著『危機と克服 ローマ人の物語VIII』にも同様の記述と年表が載っています。おそらく英語版は誤りではないでしょうか。利用者:Ivory 2005年9月18日 (日) 17:04
    • スエトニウスからの情報ありがとうございます。塩野さんの小説はおもしろく読みましたが、小説は史書ではありません。そうとられる発言でしたらお詫びします。また一次史料にも批判が必要です。研究書からご教示いただければ幸いです。--Aphaia 2005年9月18日 (日) 08:13 (UTC)[返信]
誤字がありました。失礼をば。--Aphaia 2005年9月19日 (月) 07:59 (UTC)[返信]
そうですね。批判も必要だと思います。スエトニウスも古代文献として興味深いのですが、かなりの程度誇張が含まれているので鵜呑みにすることができません。塩野さんのも「小説」ですしね。コロッセウムに関する文献を漁ってみたいと思います。ivory 2005年9月18日 (日) 08:26 (UTC)
横から失礼します。手持ちの本をざっと読んでみたところ、ティトゥスのときに一応の「完成」ということで例の奉献式が行なわれたようですが、ドミティアヌスの時代にも工事は続けられたようです。そして最終的な「完成」はドミティアヌスのときのようです。島田誠『コロッセウムからよむローマ帝国』のプロローグ部分ではティトゥスの奉献式について当時コロッセオが「一部未完成」であったとありますし、青柳正規『皇帝たちの都ローマ』ではドミティアヌスの行なった事業として「コロッセウムの最終的工事」が挙げられています。その『皇帝たちの都ローマ』によると最終的工事とは観客席の最上段部分を作ることだそうです。tanuki_Z(sysopは偉くない) 2005年9月18日 (日) 08:38 (UTC)[返信]
よく分かりました。ということはドミティアヌスで正解だということですね。調査不足で失礼しました。ivory 2005年9月18日 (日) 08:41 (UTC)
基本的にはティトゥスが完成させたで間違いではないが、ドミティアヌスが完成させたも間違いではないといったところなんでしょうかね。tanuki_Z(sysopは偉くない) 2005年9月19日 (月) 03:49 (UTC)[返信]
「フラウィウス闘技場」の名称の通りですね。しかし、どう表記するかは少し考えなければならないのではないでしょうか。「ティトゥスの時に奉献されたものの未完成だったフラウィウス闘技場を完成させた」等はいかがでしょうか。それよりも当のコロッセオのほうで補完したほうが良いのかもしれませんが。ivory 2005年9月19日 (月) 07:48 (UTC)

まず、昨日みた段階ではコロッセウムの項目ではティトゥスとしているので、それを上にあげられたような細部を補完して改めることが必要ですね。 この項目ではやや細かい情報になるのかなとも思いますが、通説でティトゥスとしている以上、なんらかの情報があるほうが読者には親切かもしれません。その場合、文面はいま示してくださったようなものでよいかと思います。--Aphaia 2005年9月19日 (月) 08:02 (UTC)[返信]

史実通り「ティトゥスが奉献した」とし、ドミティアヌスが「完成させた」ということにしました。前述の文よりも簡潔にしたつもりですが、いかがでしょうか。ivory 2005年9月19日 (月) 18:38 (UTC)[返信]
拝見しました。実りのある議論になり、うれしいです。ご指摘の他の点も、おいおい加筆していただけるものと期待してはご負担でしょうか^^; --Aphaia 2005年9月19日 (月) 18:43 (UTC)[返信]

リメスとドミティアヌスの因果関係も「通説」と言えるのかもしれません。ある百科事典にはそれとなく触れられている部分があるようです。ダキア征伐を行った皇帝はドミティアヌスとトラヤヌスと言われており、リメス建造もそのあたりの年代になると考えられているようです。今ウィテリウスが寂しいので加筆しようと考えており、それと並行してか、あるいはその後に取りかかりたいと考えています。微力ですが、がんばります。ivory 2005年9月19日 (月) 18:59 (UTC)[返信]

リメスについて[編集]

いろいろと調べてみました。平凡社の世界百科事典の最新版にはドミティアヌスとの関連性も含めて載せられていますが、それを裏付ける原資料を見つけることができませんでした。英国かドイツの研究者の説で塩野作品を通して一部のローマ通に広まったものと考えることができるのかもしれません。ドイツ語のユネスコ世界遺産ページにリメスに関する言及がありますが、ハドリアヌス帝の時代に相当する2世紀の前半と書かれており、ここでもドミティアヌスとの関連性を見つけることができませんでした。リメス・ゲルマニクスは2005年に世界遺産に登録され、整備が進んでいるようなので今後、資料が増える可能性があると思います。あるいはドイツ語や英語なら資料が豊富なのでそこから調べることができるかもしれません。裏づけが取れない以上はドミティアヌスと関連付けないほうが良いと思いました。ivory 2005年9月22日 (木) 18:49 (UTC)[返信]

財務官?監察官?[編集]

ドミティアヌスが終身財務官になったとの記述がありますが、これは恐らくen:Domitianの訳だと思います。しかし英語のほうを見てみると、perpetual censorとなっており、このcensorというのは監察官のことです。(財務官はQuaestor)そもそも財務官はローマ帝国の公職の中でもエリートへの登竜門で最も低い役職だったはずです。それをあえて皇帝が終身でつくことはないと考えられます。むしろ執政官よりも選出されにくい強権の監察官ではないでしょうか。ivory 2005年11月19日 (土) 09:29 (UTC)[返信]

ケンソルを財務官と訳すのは"かの有名な"塩野七生の影響です。ややこしいので下手に日本語訳を使わずケンソルと書いてしまったほうが分かりやすいと思います。tanuki_Z(sysopは偉くない) 2005年11月19日 (土) 09:59 (UTC)[返信]
tanukiさん、ありがとうございます。またもや塩野作品の影響ですか、この手の用語の扱いは本当に難しいですね。むやみやたらに用語を書き並べるよりもドミティアヌスが行おうとしていたこと~ケンソルの権力で風紀を引き締め、元老院に圧力をかけた~を表記したほうが良さそうな気がしました。ivory 2005年11月19日 (土) 19:31 (UTC)[返信]

とりあえず,塩野本は史料となり得ないので,参考文献から外してはどうでしょうか?--221.34.67.19 2008年1月3日 (木) 13:48 (UTC)[返信]

キリスト教徒迫害について[編集]

ドミティアヌスはキリスト教徒を激しく迫害したと言われるのですが、幾つかの文献では「証拠がない」とされています。エウセビオスなどのキリスト教史家の著作の影響だということです。例としてスエトニウスではユダヤ人に厳しい処置を取ったことや親族を処刑したことについての記述はありましたが、直接キリスト教についての言及を見つけることができませんでした。はっきりと断定はできませんが、「一般論として言われている」というニュアンスにしたほうが無難なのでしょうか。ivory 2006年4月4日 (火) 08:06 (UTC)[返信]