ノート:ゴルカ朝

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英語版から訳した「立憲王制期」が1990年からになっていたが、ネパール憲法は1959年に制定され、一時停止されたりしたが、憲法そのものは改正されながら継続した。内容は非民主的であるが、立憲王制であることには間違いないので、訂正した。--60.238.232.213 2008年6月22日 (日) 10:36 (UTC)[返信]

改名提案[編集]

シャー王朝をこの記事のリダイレクト・ゴルカ朝に移動しようと思います。

まず、シャー王朝という語はネパールの主な著書、佐伯和彦『ネパール全史』、明石書店、2003年、辛島昇『新版 世界各国史7 南アジア史』、山川出版社、2004年、小谷汪之編『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』山川出版社、2007年、高島清『チャイナ・クラブ』文芸社、2001年、論文、『アジア社会文化論』、『元グルカ兵探訪紀行』、『ネパール人のカースト序列認識の客観性と恣意性』を参考にしても記載されておりません。おそらくは英語版の記事をそのまま約したものと思われます。

また、アクバルが「シャー」の称号を授け(それが王朝の由来となった)、とありますが上記の著書・論文、ならびにムガル帝国関連の書籍も当たりましたものの、そのような事実は見受けられません。ですので記事名のシャー王朝は造語じみており、いかがなものかと思われます。

新記事名ですが、王朝に関しては、グルカ朝、ゴルカ朝、ゴルカ王朝などさまざまな表記が見られますが、グルカは英語読みですし、ウィキ内では「王朝」ではなく「朝」が基本的ですので、記事名は「ゴルカ朝」にしようと思います。また、改名後にCategory:シャー家カテゴリー:ゴルカ朝に移動し、即時削除のテンプレートを貼ろうと思います。--Rayaraya会話) 2015年2月8日 (日) 09:01‎

改名しました。--Rayaraya会話2015年2月15日 (日) 13:16 (UTC)[返信]