ノート:コア (ゲーム理論)

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コアの極限定理[編集]

交換経済におけるコア概念は定式化の仕方が2人の場合と3人以上の場合で異なっているはずなので、現行のままでは間違いではなくても正確性に欠けます。しかし該当する出典が今私の手元にはなく(確か奥野・鈴村の『ミクロ』には載っていたと思うのですが)すぐには加筆できないため、どなたか修正できる方がいらっしゃればよろしくお願いいたします。--HANSON 2010年2月19日 (金) 03:16 (UTC)[返信]

コアの定義の仕方が2人の場合と3人以上の場合で異なっているのではなく、初学者向けのテキストでは2人の場合にしか通用しない特殊な定義が書かれているということではないでしょうか?n人ケースにおける一般的な定義は特殊ケース(入門書に載っているような2人ケースなど)にしか通用しない定義をもimplyするはずなので、百科事典的には一般ケースにおける定義を中心に載せるのがベストではないでしょうか?ちなみに私の述べているコアの一般的な定義とはGillies(1953)によるオリジナルの定義のことです(「コア (ゲーム理論)#定義」に記載されている「提携による厚生改善の余地がない状態」と概ね同じ)。該当部分を加筆なさった方が奥野(2008)をどのように解釈なさったのか判断しかねますので、とりあえず{{独自研究}}を貼っておきます。--ミクロ経済学会話2016年9月1日 (木) 08:02 (UTC)[返信]
 追記 本記事導入部で出典として挙げられていたウィリアム・トムソンの『経済論文の書き方』26頁を確認したところ、25-26頁は「3.1 読み手が自分の用語や定義をわかっていると考えてはいけない」という節で、「一見明らかに標準的で通常使う用語と思われるものであっても、違った理解がされていることがあ」るから、論文を書く際にはそうした用語も定義しなければならない、という例としてコア公共財誘因整合性合理性の4つが挙げられていました。この記述を「この概念(コア)は用いられる分野によって異なる意味合いを持ち、同じ分野であってもモデルによって少しずつ違った定義の仕方がなされる。[1]」の根拠とするのは幾らなんでも無理があると思います。というのも、前掲のトムソン(2006)はコアを(公共財や合理性と同様に)「一見明らかに標準的で通常使う用語と思われるもの」の(譲歩としての)例として挙げているからであり、彼曰く「違った理解がされることがあ」るのは全ての用語に言えることだからです。したがって、先日指摘した奥野(2008)の引用部分と併せて、本記事導入部の記述はHANSONさんの誤解に基づくものと私は判断しました。HANSONさんはウィキブレイク中のように見受けられますので[2]、私の独断により当該部分の記述は削除しておきます。ご意見やご批判のある方はお申し付けください。本記事はトムソン(2006)の謂う所の「標準的で通常使う用語」としての「コア」の定義や用法を記述してゆくべきだと私は考えております。--ミクロ経済学会話2016年9月9日 (金) 09:16 (UTC)[返信]
報告 奥野(2008)の引用部分を活かしつつ問題箇所を「定義」の節の具体的な例として移動しました。出典が全くなかった収束定理などの部分については後日加筆してゆく予定です。--ミクロ経済学会話2016年9月9日 (金) 15:05 (UTC)[返信]
久しぶりにログインしてみたら、通知が来ていたので返信をば。ミクロ経済学さんの改稿に感謝申し上げます。非常に見通しの良い記事になっていると感じました。(今見ると自分の書き込みに「?」ですが、生産経済におけるコア概念の導入とか最小コアとか、何やら色々余計なものを入れようとして削った記憶があります。バカなりに奮闘した結果とご寛恕いただければと思います。) HANSON会話2017年9月29日 (金) 15:58 (UTC)[返信]