ノート:ゲームミュージック

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すぎやまこういちとドラゴンクエストについては、ゲームミュージックを音色から切り離した初のモノ(組曲ドラゴンクエスト)という認識があるのですが、それ以前の例があるかもしれず。

要約にもちょっとだけ書きましたが、英語版ではVGMについてスーパーファミコン以前が全く書かれていません。あと、ちょっとFFに偏りすぎ。
音楽家一覧については充実しているので参考にしたほうがいいかもしれません。


YMOの1st手元にないので確認できないが、A面の1曲目と最後の曲、「コンピュータゲーム」って題名だと思われるが。あとゼビウスのところにも若干書いてったりする。0null0 02:58 2004年1月9日 (UTC)

WikipediaのYMOのところに1stアルバムの曲紹介があります。確かにお書きの通りですが、サーカスサーカスの旋律はオリジナルではなかったような。Shidho 05:02 2004年1月9日 (UTC)

Kentaro, Noda様の記述[編集]

例えば「チップチューンからはじまるゲーム音楽と、他産業出身の人に作らせた音楽は違う」と書けば多くが同意する所でしょう。しかし、この方の場合ここを見る限り、「そこにはクラシック音楽で仕事をするピアニストをサウンドトラックに起用するなど、他業界からの流用が目立つ。 」という文章を、FF10のピアノコレクションへの黒田亜樹さんの起用を以って書いてるのです。アレンジCDの編曲や演奏に外部の演奏家を起用するのはFC時代からある話ですし、そもそも大半のゲーム音楽家は演奏技術どころか編曲技能すらない事も多いので、プロの方を雇うのは当然と言えます。むしろ雇わないとアレンジルバムですら出せません。ゲーム音楽家の完全自作自演アレンジCDの方が少ないでしょう。もちろん、外部の演奏家に依頼した結果、オリジナル曲の良さを完全に無視されてしまったようなアレンジCDが氾濫してるなら問題ですが、果たしてどれほどあるのでしょうか。Kentaro,Noda様はもう少し「具体例」を出すべきだと思います。またこれがアレンジCDではなく、オリジナルサウンドトラックの話でも、同じく具体例が必要でしょう。「マイケル・ノイマンが参加したEOのサントラは評判が悪い(事実かはともかく)」とかの例を示してください。218.33.133.113 2006年6月11日 (日) 04:58 (UTC)[返信]

1年前の書き込み&本質でないところに返信するのも気が引けますが「大半のゲーム音楽家は演奏技術どころか編曲技能すらない」というのはちょっと賛同しかねます。「外部の演奏家を起用するのはFC時代からある」のですけど、ゲーム作曲家自身のアレンジもそれなりに以前から出ています。知ってるところでは90年代に聖剣伝説2(SFC)の「Secret of mana」というのがあります[1]。最近ではゲーム曲をゲーム作曲家がアレンジしたCDなんかもあったりします。外部の演奏家にアレンジの例では、GB聖剣のアレンジ(服部隆之氏編曲)を確認しているので、外部演奏家に依頼のほうが昔からあるのかもしれませんが…。「演奏能力」については、The black magesで植松さんはキーボードですし、イトケンがピアノ曲のアルバムを出していたりします。桜庭さんはライブで自らキーボードを弾いているようです。あと岩垂さんのトランペット(画像にカーソル載せてください)とか。音大出身の作曲家さんのもいるので、そういう場合何かしら弾けるのではないでしょうか。私は音楽素人なのですけれど、楽器が弾けない作曲者ってイメージが湧かないです(DTMとか?でもFCの頃にはそんなに栄えてないし…)。たぶん、主題歌タイアップなど、外部音楽家との連携が増えたため、有名な音楽家とも協力する機会が増えたのではないかなと思います。--「プロを雇うのは当然」に引っかかってしまったハノト 2007年9月8日 (土) 16:54 (UTC)[返信]

クラシックからの引用:ウェンディ・カーロス[編集]

クラシックを題材にするというアイディアは、電話の保留音や目覚まし時計で「エリーゼのために」を使用するようなもので、「スウィッチド・オン・バッハ」の影響なくとも登場し得たと思うのですがいかがでしょう。 もし、「多くの人が『スウィッチド・オン・バッハ』を参考にした」という資料が特に無ければ、ウェンディ・カーロスのくだりは削除しておいた方が良い気がします。

--Nekochan 2007年2月17日 (土) 13:28 (UTC)[返信]

とりあえず、現時点で「参考にした」という資料が出てこないので、いったん外しておきます。何か見つかったら復活させましょう。--Nekochan 2007年3月8日 (木) 15:31 (UTC)[返信]

「現在のゲーム音楽の問題点」について[編集]

ざっと見ての感想ですが、「音楽理論への配慮不足」というのがゲーム音楽に限ったことなのかどうなのか、根拠がほしいなと思いました。『和声や対位法の観点で「誤った」「ありえない」楽曲』というのはゲーム音楽だけでなくどこにも一定数いるかと思うので、(他のコンピュータ音楽よりも)特別ゲーム音楽で多い、としている理由が知りたいのですが…。あとは、その「誤った楽曲」を意図的に使ってる人もいるので、その辺りの区別をどうするかというのもあります。あるいはポジティブに「理論にとらわれない曲がしばしば登場する」とか。

「音色のリアリティ増加による表現幅の矮小化」に関しては一部同意できるところがあります。最近ハード、容量のゆとりができて、大作ゲーム生オーケストラやバンド演奏を取り入れるゲームは増えたと感じます。同時にオーケストラばかりでコンピュータらしい音が少なくなったとも思います。ただしそれが「矮小化」なのかといわれるとちょっと微妙です(音楽としてコンピュータサウンド<リアル音源とも取れる書き方ですし。)「ゲーム音楽固有の特徴が薄くなり、他の音楽と変わらなくなってきている」ぐらいでいいのではないでしょうか。また、これもゲーム音楽に限らずコンピュータ上で鳴る他の用途の音楽にも当てはまるような気がします(ゲーム以外で音楽の鳴るソフトというのも少ないですが)。--ハノト 2007年9月9日 (日) 02:17 (UTC)[返信]

その項目ごと独自研究で、感想文もしくはエッセイの域を出ていません。音楽の研究をしている著名な方の書籍などからの出典がない限り、削除でもいいのではないかと思います。現代のゲームにおける音楽に限らず、音楽の作り方は、より自由な形式に広がっていますし、リスナー側の価値基準も変わってきています。書いた人には申し訳ないですが、どうもその項目は「はじめに印象と結論ありき」で、書いた方の好む現状になっていないことを嘆いているレベルに過ぎないと思われます。乱暴な言い方をすれば、音楽には好きか嫌いか以上の評価は本来ないものなのですから。特に映画やゲーム何かのテーマになった楽曲はその作品の印象をより鮮烈にしていく相乗効果もありますので、そこには楽器で再現不可能だとか、理論だとかの入る余地はもともとないのです。もっと言ってしまうと再現不可能だとか理論だとかを持ち出した時点で音楽は自由ではなくなってしまい、アドリブにおけるミストーンすらも許容できなくなってしまいます。「いいライブだったね」「まあ、よかったけど、あの曲の最後の音、ギターが一音外したね」ってのは野暮なんです。--Rendezvous602 2007年9月9日 (日) 02:31 (UTC)[返信]
ご意見ありがとうございます。確かに理論がどうだ・演奏がどうだ~で音楽のよさは決まりませんよね。主観的な部分だけ削除しようかとも考えたのですが、後に影響が残るのもあれなので、思い切って全削除してみようかなと思います。とりあえず1週間ほど様子を見て、ほかの方から反対がなさそうなら作業します。--ハノト 2007年9月15日 (土) 12:23 (UTC)[返信]
遅くなりましたが、特にコメントがつかなかったため、該当節を全削除しました。有用な情報まで消えたかもしれませんが、有用ならまた別の形で記述されるだろうと思っています。--ハノト 2007年10月4日 (木) 13:15 (UTC)[返信]

ゲーソンの扱いについて[編集]

「ゲーソン」の当ページへのリダイレクトは外したほうが良いのでは?「ボーカルを伴うゲーム内音楽」については、発祥と主な楽曲名・歌い手についても追記し当ページ内に1項目作るか新たに「ゲーソン」のページを作ったほうが良いかと思います。(私は詳しくないので現時点での加筆を控えてます)いかがでしょう?--Yamato Reiv 2010年2月18日 (木) 02:05 (UTC)[返信]

歴史について[編集]

1980年代前半の記述でいきなりLD(しかも当時のビデオゲームにおいて主流ではない技法)に関する記載が年代冒頭に登場するのは文章として問題だと思います。(ゲームミュージックの初期はシンセシーケンス方式が主流で後にオーディオトラック方式が主流になる、という流れを含めつつ記述すべきと思われる為)--Yamato Reiv 2010年5月3日 (月) 23:32 (UTC)[返信]