ノート:ゲオルク・ビューヒナー賞

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移動依頼[編集]

Wikipedia:移動依頼で、ゲオルク・ビューヒナー賞への移動が依頼されています。依頼者はゲオルク・ビューヒナーの主執筆者であることから、確かな見識をお持ちとは推測いたしますが、一応「ほとんどの文献がビューヒナー表記である」という根拠を示し、Wikipedia:ページの改名に定められた手続きをとって頂けますでしょうか。私がざっと調べましたところ、岩波=ケンブリッジ世界人名辞典、平凡社大百科事典ではともにビュヒナーでした。なお、移動先には履歴が存在しますが、同一 IP ユーザによって同内容がこちらにも投稿されており、削除することには問題がないと考えられます。--白駒 2008年10月20日 (月) 09:31 (UTC)[返信]

改名提案を行ない、Wikipedia:改名提案に告知しました。事典などは調べなかったのですが、現在までに刊行されているビューヒナーを主題とする書物は大体「ビューヒナー」表記になっていると言っていいと思います。以下説明いたします。

まず国内ではこの人物のまとまった著作集は河出書房新社の『ゲオルク・ビューヒナー全集』と岩波文庫の『ダントンの死 ヴォイツェック レンツ』の2冊のみですが、いずれもビューヒナー表記です。また彼を主題とする国内の研究書は3冊出ていますが、うち1970年代に出版された『革命思想の源流』だけが「ビュヒナー」表記で、90年代に出版された『理念と肉体のはざまで』と『殺人者の言葉から始まった文学』はどちらも「ビューヒナー」となっています。2001年には『照らし出された戦後ドイツ』という、この賞の受賞講演集が出版されていますが、やはり「ビューヒナー」と表記されています。日本唯一の研究会も「日本ゲオルク・ビューヒナー協会」でやはり「ビューヒナー」となっています。

ついでにGoogle検索も行なってみましたが、私がやってみたところ「ビューヒナー」と「ビュヒナー」では前者が5700件、後者が7000件と「ビュヒナー」のほうが多くヒットするものの、「ゲオルク・ビュヒナー」と「ゲオルク・ビューヒナー」では前者が1800件、後者が2400件となりました。「ビュヒナー」が多いのはWikipediaの項目によるものかもしれません。いずれにしても現状「ビューヒナー」のほうで概ね統一されていると見ていいと思います。--Meridian 2008年10月20日 (月) 10:15 (UTC)[返信]

さっそく詳細なお返事を頂きましてありがとうございます。私自身は中立ですので、このまま意見を募り、反対がなければ移動してよいものと考えます。--白駒 2008年10月20日 (月) 12:02 (UTC)[返信]
(報告)移動しました。--白駒 2008年10月27日 (月) 10:23 (UTC)[返信]