ノート:キャロル (バンド)

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引用文の出典について[編集]

相倉久人氏の1977年の著書からの引用文がありますが、参考文献に相倉氏の著書が登録されていません。氏の記事を読むと1977年に出版されているのは

  • 『相倉久人の音楽雑学事典』 音楽之友社〈オンブックス〉、1977年12月。
  • 『ロック時代 : ゆれる標的』 文化放送開発センター、1977年12月。

の2冊があり、どちらかの可能性が高いと思いますので、確認できる方はよろしくお願いします。 あとジョニー大倉氏の引用文について、出典に『キャロル 夜明け前 第2章』14-17頁、『キャロル 夜明け前』192-193頁の二つが付いています。これも確認できる方、よろしくお願いします。--ねこざめ会話2021年11月2日 (火) 17:11 (UTC)[返信]

報告 上記の相倉氏の引用文は、2014年6月12日 (木) 16:39の編集で追加されましたが、そのときから著書の掲載はありません。また2つの出典が付いたジョニー大倉氏の引用文は2014年7月4日 (金) 08:03の編集で追加されています。--ねこざめ会話2021年11月3日 (水) 14:53 (UTC)[返信]
 追記 もしかすると引用の要件(この場合は「出所の明示」)を満たしていないということで2014年6月12日 (木) 16:39以降の編集はすべて著作権侵害ですべて削除扱いになるのかな? それとも「相倉久人の1977年の著書」というアバウトな記述でも出所の明示になるのかな? とりあえず安全をとっていったん相倉氏の著書からの引用部分は除去しておきます。--ねこざめ会話2021年11月3日 (水) 15:23 (UTC)[返信]
現時点での個人的な見解としては、相倉氏、大倉氏の引用とも版指定削除の対象にはあたらず、単に、引用部分を編集で削除する、という対応でよいと思います。
まず相倉氏の引用については、原書が特定できていないので、1977年に相倉氏が発表した文章に、この記事に引用の形で投稿された文章と一致するものがある、という前提で話を進めます。この引用では、著作者名と発行年のみが示されています。法文上、出所の明示にあたって示さなければ「ならない」のは著作者名です。書名については、権利者側が出しているガイドラインですら「望ましい」にとどまっています。法的問題が「ない」とは言いませんが、著作者名は示されており、ケースB1で対処しなければならないほどの問題ではないと思います。
そもそも、この記述は引用でなければならないものでしょうか。この記事の引用は、(A)百科事典的な記述+(B)同じことを引用で言う、の形が多くあります。相倉氏の件に関しては、Aは意味不明瞭、Bにあたる相倉氏の引用を読んでようやく状況がわかります。それなら相倉氏の記述を出典として地の文を書けばいいわけです。わざわざ引用してリスクを増やす意味がわかりません。
次に大倉氏の引用は2つ問題があります。1つは実際には出所ではない『キャロル 夜明け前 第2章』が示されていること、もう1つは原文通りに引用されていないことです。出所の誤記については正しい出所も示されており、他人を示しているわけではありませんので、こちらも大きな問題ではないでしょう。むしろ原文通りに引用されていないことの方が問題です。同程度の改変が、同一性を保持しなかったとして侵害が認められたことがあるからです。ただこの判例のときは他の侵害要因もありましたので、今回のような改変単独で法的問題を引き起こすか、前例は見つけられていません。あるかもしれない、と言える程度です。
この件も、改変してまで引用して何がしたいのかな、と思います。こちらもAとBは同じことを言っているのですが、同じことを大倉氏が当事者感覚でどう受け止めたか伝えたいのなら、Bで大倉氏を引用する必然性はあるでしょう。しかし「のだ」のような生々しい語尾を取ってしまうと、当事者感覚は伝わりません。改変するくらいならなぜ引用するのかと思います。
結論としては、無意味な引用をやめて、他文献による百科事典的記述で完結するよう本文を書き直し、過去の不正確な引用は放置しておく、というのが百科事典的にも法的にも妥当な線だと思います。--西村崇会話2021年11月7日 (日) 10:20 (UTC)[返信]
返信 コメントありがとうございます。教えていただいた日本文藝家協会のガイドラインを読み、出所明示のところで俳句や短歌を例に挙げているのを見てなるほどと思いました。今後この記事をどうするかですが、ご提案のように“無意味な引用をやめて、他文献による百科事典的記述で完結するよう本文を書き直し、過去の不正確な引用は放置しておく”のが妥当だと私も思います。記事をきちんと読み込む必要がありますので直ぐにとはいきませんが、折を見て少しずつ、そのように対処していきたいと思います。--ねこざめ会話2021年11月7日 (日) 15:15 (UTC)[返信]
相倉久人氏の1977年の著書からの引用文は『ロック時代=ゆれる標的』文化放送開発センター出版部、1977年からの引用です。原文通りでない箇所はいくつかあり、書籍の「めちゃくちゃに入り混っている」が記事では「めちゃくちゃ入り混じっている」になっていたり、「実感を始めてもった」が「実感を初めて持った」になっていたりします。はじめては「初めて」の方が正しいのですが、こういう場合も原文通りに引用すべきでしょう。211-212頁、というのも、この記述はQuotationで囲まれた部分が211ページ、その前の「キャロルに代表される」云々の部分が212ページにあるのでこう書いてあるのでしょうが、本来引用毎にページを示すべきだと思います。
この記事は、引用なのか、この意味のことを言っているというまとめなのかわからない箇所が多数あるのも問題だと思います。例えば矢沢のところに付いている注は『キャロル 夜明け前』170-174頁だと書かれていますが、本を見ると原文通りではなく、この意味のことを言っている、であるわけです。著書で「◯◯」と述べている、などと書かれれば、◯◯は引用であり、改変できないととらえる人も多いと思います。これは編集も再利用もしにくいですし、この種の「引用なのかそうでないのかはっきりしない部分」も改善が必要だと思います。--西村崇会話2021年11月15日 (月) 08:00 (UTC)[返信]

怪人二十面相プロ[編集]

引用とは別の話ですので別にセクションを作ります。新宿のライブハウス「怪人二十面相」のところに付いている注に、映画『キャロル』に「ATGとともに製作に携わる」という記述があるのですが、これは一体誰がどう携わったのでしょうか。

出典として示されている『キャロル 夜明け前』238-239ページを読むと、確かに「製作会社ATGとともに制作に携わってくれた」(239ページ、製作と制作の使い分けは原文のまま)と記述があります。ただ誰が携わったのか曖昧で、「店主」とも「店の人」とも「店員」とも取れる文です。allcinemaは製作のところに「怪人二十面相プロ」と書いており、ライブハウス「怪人二十面相」が何か関わったのだろう、とは思えます。

しかしこの「怪人二十面相プロダクション」というのは龍村仁小野耕世のことだと言っている文献があります。新藤謙『権力としてのNHK』三一書房、1981年、には「龍村、小野両氏が便宜上名付けたもので通常の会社組織ではない」とあります。こんな本に名前が出てくるのは当時2人がNHK職員だったからで、東京地方裁判所 昭和49年(ワ)10963号判決にも、2人がATGと契約するときに使った名義だと記述があります。2人はライブハウス「怪人二十面相」の人ではないし、ライブハウス「怪人二十面相」はどこで「制作に携わって」いるのでしょうか。

映画にはライブハウス「怪人二十面相」で撮った映像が出てくるようですし、映画と何の関係もないわけではなさそうです。ただ現版の注釈のように「製作に携わる」と言われても、そのくらいこの店と関係が深かったんだ、とわかる程度です。どう携わったのか確認できないのならこんな注釈は付けない方がよいと思います。もし映画に写っているのが文献で確認できるようなら、映画の撮影場所になった、とでも書いた方が、読者には助けになるのではないでしょうか。--西村崇会話2021年11月13日 (土) 01:02 (UTC)[返信]