ノート:ガロ (雑誌)

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「内部の軋轢、そして倒産へ」7月20日修正分について[編集]

  • ヤクザに乗っ取られた」との記述ですが、この騒動の顛末をおそらく最も詳しく報じていると思われるインターネット上の某サイトには確かにそのように書かれている部分もありますが、同じサイトの別の部分では「ヤクザまがいの得体の知れない男」と記述されております。おそらく前者はそのサイトの執筆者による要約で、後者が正確な表現ではないかと推察されますが、いずれにせよ、ここでことさら「ヤクザに」と断言することは、正確性に難があるばかりでなく、この言葉で指されている人にとってもあらぬ誤解を招きかねない迷惑な表現である可能性もあり、適当ではないと思います。
  • 悪質なデマ」との記述は、あくまでもこの騒動の一方の立場からの評価です。もう片方の立場の者がデマでは無いと主張することが明白である以上、これはウィキペディアにおける三つの方針の一つである「中立的な観点」を冒す、不適切な表現です。

以上の理由により、リバートしました。反論がありましたらお聞かせください。--Nazox 2007年7月26日 (木) 11:24 (UTC)[返信]

私は220.146.252.221氏ではありませんが、状況証拠的なものとしてこの騒動の直後「噂の真相」誌で「突如休刊の青林堂「ガロ」に乗り込んできた黒い人脈」という福井氏を中傷する悪質な記事が載った事が挙げられます。該当記事は手塚氏と親交のある女性記者によるものである事が判明しています。 --Dgrs 2007年9月10日 (月) 23:42 (UTC)[返信]

「噂の真相」のその記事は私も読みました。内容は確かに旧編集部側に好意的で、一方の福井氏を問題のある胡散臭い人物と評価しているように読めるものでした。しかし、一読者である私には記事がどこまで妥当であるかを検証することはできないため、全てを鵜呑みにしないよう注意する慎重さは残しているつもりです。一方で、例え記事の執筆者が争いの片方と親交があったとしても、それが直ちに記事が不公正であることの証明にはならず、またgoogleで調べても「おや?」と思わせられるような結果が見つかることもあって、この記事の内容を単純に事実無根と決め付けることも避けておきたいと思っています。
ウィキペディアの基本方針である「中立的な観点」に従うならば、裁判の判決やその他公的機関の判断のような、検証可能な第三者による評価の紹介以外の場所で、いずれかの立場に与するような価値判断を含む言葉を使用することは適切ではないと考えますが、いかがでしょうか。--Nazox 2007年9月11日 (火) 12:25 (UTC)[返信]

記事に関しては、「福井氏の実父が○○○」という「事実」に基づいた印象操作であるから「悪質」なのです。 それに「ガロに○○○が乗り込んできた」という悪質なデマ自体、当該記事以前に広く流布されていました。「もう片方の立場の者がデマでは無いと主張する」であろう事を「明白」と判断する根拠が今ひとつ解りません。この件に関して「もう片方の立場の者」は擁護する読者投稿を掲載する事はあっても、基本的にはダンマリを決め込んでいるように見えるからです。 --Dgrs 2007年9月14日 (金) 05:30 (UTC)[返信]

結局Dgrsさんは本項目の本文中に「悪質なデマ」と書き加えたいと主張されてらっしゃるのでしょうか。もしそうであるなら、私はウィキペディアの本文に執筆者自身の価値判断が含まれる記述が使用される事は不適切であると考えていますので、ウィキペディアの基本方針である中立的な観点に沿ってはっきりと反対を表明しておきます。この見解に異議がありましたら、コメント依頼にて他の皆さんも交えた議論を行ってくだされば、私はその議論により形成された合意に従います。なお、噂の真相の記事は、旧編集部側の言い分を検証する材料になることはあっても、それが悪質なデマであることの直接の証拠になるものではないと思います。
もうひとつ、「『明白』と判断する根拠が今ひとつ解りません」とのことですが、ほとんどの紛争当事者が自らの主張を悪質なデマと認めることはないのと同様に、本件もその例外となるような要因が見あたらないことから「明白」と申し上げました。そしてこれは、旧編集部側の雑誌に掲載される読者投稿の傾向とは関係しないと思うのですが、Dgrsさんがそれに触れられた意味をちょっと図りかねております。--Nazox 2007年9月14日 (金) 15:28 (UTC)[返信]

正直わたし自身は、本文に「悪質なデマ」と書き加えるべきかどうかの判断はまだついておりません。(ですからノートでの会話に留めています) 但し客観的に見て「青林堂は乗っ取られた、版元として終わった」という一方的な声明自体が悪質なデマであると言って差し支えないと思います。 そもそも、会社ころがしとは乗っ取る価値がある会社に対して行われるものです。 声明は、先手を打つ形で一方的に流布されました。当然、証明責任は声明を出した側にあります。 ところが肝心の手塚氏本人からは声明の明確な根拠は何ら示されていません。 某作家さんの日記に手塚氏からのオフレコ情報を仄めかすような記述がある程度で、これではお話になりません。 ですから、220.146.252.221氏の記述が執筆者自身の価値判断とは言い切れないと考えます。 Nazoxさんは「全てを鵜呑みにしない」までも、福井氏本人が「○○○まがい」であるという片方の主張にある程度の妥当性を見いだしてるよう見受けられるのですがいかがでしょうか。 それとも、肉親が「○○○」なら本人も「○○○まがい」と見なされて仕方がないものなんでしょうか。 --Dgrs 2007年9月15日 (土) 02:12 (UTC)[返信]

私は、どちらの主張が合理的であるかを判断するのに十分な情報がないので、旧編集部側の主張に悪質なデマが含まれている可能性は否定しませんし、また、Dgrsさんの悪質なデマであるとの判断が正当である可能性も同じく否定しません。しかし、悪質なデマであることの検証可能性を満たしていない現段階では、それはまだ「執筆者自身の価値判断」に留まるものであるので、ウィキペディアに記事として書き加えることは適切ではないと考えているということです。どうすれば検証が可能となるかですが、裁判で判決が下されていたり、公的機関がいずれかに何らかの指導や勧告を出したなどの事実があれば良いのですが、そのようなことはないようですので、現状では難しかろうと考えています。
私の福井氏に対する認識についてですが、福井氏の肉親の行状や噂の真相誌の印象操作(これはご指摘のとおりアンフェアだと思いますが、それとて旧編集部の直接の責任であるとは断言できません)とは関係しないところで、福井氏本人の行状に関するいくらかの噂を見聞する機会があり、それによって氏に批判的な論調にもある程度の妥当性を感じてはいます。ただ、少なくとも私が執筆した部分においては厳に中立でいるつもりでおりますが、もし疑問点がございましたらご指摘いただければと思います。--Nazox 2007年9月15日 (土) 06:00 (UTC)[返信]
すみません、ひとつ言い忘れがありました。旧編集部側の主張について、「当然、証明責任は声明を出した側にあります。 ところが肝心の手塚氏本人からは声明の明確な根拠は何ら示されていません」との件ですが、このような主張を受けた青林堂側は、少なくとも表立っては反論していないようです。そればかりか、旧編集部側と何らかの話し合いが持たれ、その結果これ以上追求はしないという結果に落ち着いたという意味のことが、某サイトには書かれています。これが本当であれば、デマであるかどうかの判断はできないものの、双方の間では決着済みの問題と見ることもできそうです。--Nazox 2007年9月15日 (土) 06:10 (UTC)[返信]

悪質なデマであるかないかの検証はある意味簡単です、声明を出した側がその根拠を示せばいい[1]のです。 それが公に全くなされていない事こそが、デマである事の証明とも言えます。 実際の所、わたしも双方の行状に関するいくらかの噂を見聞する機会がありましたが、この場でそんな情報源も明かせないような事を判断材料としているかような記述をする事に意味があるとは思えません。 当然、手塚氏と蟹江氏との間で何らかの手打ちがあった事も聞き及んでおります。 もっとも、本件の当事者である福井氏・山中氏・白取氏やツァイト関係者との間に和解があったかについては寡聞にして存じませんが。 --Dgrs 2007年9月15日 (土) 08:11 (UTC)[返信]


「ゲゲゲの女房」での買収話について[編集]

ゲゲゲの女房」で、1967年頃(「悪魔くん」テレビ化と「ゲゲゲの鬼太郎」テレビ化の間)に、モデルにした「ゼタ」の成田出版(小学館がモデル?)による買収話が出てきますが(結果的には破談)、その当時、実際に大手出版社による「ガロ」の買収話はあったのでしょうか? --Starbacks 2010年8月11日 (水) 05:25 (UTC)[返信]

調べればすぐに出てくることだと思いますが、ボーイズライフの項や長井勝一の著書「「ガロ」編集長」などに記述があります。ちなみに「ゲゲゲの女房」はフィクションのドラマなので、ただ誌名や登場人物の名前だけを変えた「実際にあった流れ」などと鵜呑みにしてはいけません。--Furusato 2010年8月11日 (水) 14:23 (UTC)[返信]

ありがとうございます。確かに1967年に小学館による「ガロ」の買収話があったとのことで了解しました。ただ、もともと自伝を原案にした作品であり、フィクションといっても流れの根幹を変えるような大きな改変はされていないと見ております。(いずれ原作本を読んでみたいです)
ちなみに、私はドラマの中の「藍子」と近い世代なので、当時の「ガロ」「ボーイズライフ」どころか、「少年○○」といった漫画雑誌も記憶にありません(今は無き「小学○年生」くらい)。昭和40年代当時の有名な漫画の多くはむしろテレビアニメとして見ていましたので、「ゲゲゲの鬼太郎」は第一期・第二期ともはっきり記憶にあり、「ゲ、ゲ、ゲゲゲのゲー」のテーマソングを聞くと懐かしさがこみ上げてきます。フィクションといえば、昭和47年新学期?の教室の場面で出てきたクラスの係を決める場面で、クラスメイトの「生き物係!」というのは、確かに演出(テーマソングを歌うのが「いきものがかり」で、名称の由来が「生き物係」だったことから)を狙ったものと感じました。私が小学校の時期、金魚や動物のエサ係を「生き物係」と呼んではいませんでしたから。 --Starbacks 2010年8月14日 (土) 02:57 (UTC)[返信]

「内部の軋轢、そして倒産へ」[編集]

原田高夕己ブログ『漫画のヨタ話』山中潤氏の語る「ガロ」に載せられた山中潤氏のインタビューで、親会社ツァイトが潰れたのは青林堂編集部と福井新社長との紛争には関係が全く無いこと、むしろツァイト社の経営悪化が経営が悪くはなかった青林堂社を内紛に引き込んでしまったことを山中氏ご自身が語っています。

わかりやすく言えば青林堂とガロというブランドを目当てに潰れる寸前だったツァイト社を肩代わりしたものの、作家と編集部には逃げられ、どうしようもなく福井氏は撤退を余儀なくされ、ツァイト社は青林堂より先に解散整理、その後残った青林堂社をまだ社長であった山中氏が『大和堂』の社長、蟹江幹彦氏に売却したというのが事実のようです。

ですので「内部の軋轢、そして倒産へ」は事実と異なる偏った記述ではないかと考える次第。

旧青林堂(手塚編集長以下)は沈没する船からいち早く逃げ出した乗組員というのが事実のようです。--男鉄 2012年1月9日 (月) 10:17 (UTC)[返信]