ノート:カイサリアのバシレイオス

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記事名の括弧内に「の」がついていますが必要不可欠なものなのでしょうか? [[バシレイオス (カエサレア)]]という記事名にした方が自然だと思います。 baffclan 12:33 2004年3月16日 (UTC)

とりあえず過去の関連議論をポイントしておきます。
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Lupinoid 12:43 2004年3月16日 (UTC)

バシレイアドス關連の質問[編集]

バシレイアドスについての加筆ですが、不正確さがあるのではとの疑問が拭えません。教皇ベネディクト十六世の101回目の一般謁見演説では(どうも訳文が分かり難いですが)「町のような病院」と読めます。他方、教父学講義 朱門岩夫では「町」となっています。いずれが正しいのでしょうか。一応、出典に従って「町・治療施設」としておきましたが、なお精査が必要かと思います。バシレイアドスにつき御存知の方がいらっしゃれば、加筆修正をお願いしたく思います。--Kinno Angel 2010年7月3日 (土) 15:56 (UTC)[返信]

バシレイアドスについて。「町」というのはバシレイオスの友人ナジアンゾスのグレゴリオスが、『バシレイオス頌』第63章においてバシレイアス(バシレイアドス)について語った比喩であり、全体の実態としては数棟の施設から成り立っていた救貧施設でした。件の教皇演説はそれを踏まえたものかと思われます。また次節の記事はバシレイアスを指し示すもののようでしたが、別のもののように書かれていました。以上にもとづき、旧来の記事を尊重しつつ加筆修正しました。--Jutory会話2018年9月10日 (月) 14:14 (UTC)[返信]

疑問点の記述[編集]

「第1回コンスタンティノポリス公会議(360年)に出席し、アタナシオスと接近する。」という記述は間違っていませんか? 第1回コンスタンティノポリス公会議は381年のはずですから、バシレイオスは亡くなっていて出席できなかったはずです。別の教会会議の間違いでしょうか?--村田ラジオ会話2018年2月18日 (日) 19:07 (UTC)[返信]

アタナシオスと接近する」、この部分も疑問です。この時期のアタナシオスはアリウス派の策謀によってエジプトで逃亡を余儀なくされていて、教会会議に出席する余裕はなかったからです。誰か他の人と間違っていませんか?--村田ラジオ会話2018年3月3日 (土) 19:45 (UTC)[返信]
360年のものに関しては、公会議とは認められていないコンスタンティノポリス教会会議のことでしょうから、シンプルな間違いと思われます。修正しておきました。アタナシオスについてはご指摘のとおりですし、この前後に書簡等を通して接触を試みたという事実関係も見つかりません。事実関係に基づいて書き直してくださる方がいらっしゃれば加筆をお願いいたします。--Jutory会話2018年9月10日 (月) 14:42 (UTC)[返信]
調べてみたところ、バシレイオスは晩年のアタナシオスと書簡のやり取りはしていたようですが、主教に就いた370年以後のことのようです。実際に会う機会はなかったはずです。それから、360年の教会会議ですが、これはアリウス派の中間派であったホモイオス派(類似派)を支持するウァレンティヌス2世が主導した会議でホモイオン信条と呼ばれる信条を採択して、ホモイオン派の勝利を決定づけた会議でした。この会議に正統派のバシレイオスが出席したとは考えにくいのです。ホモイオス派は「子はあらゆることにおいて父と類似」と主張する派で「子は父と非類似」を主張するアノモイオス派と「子は父と同質」を主張するホモウーシオス派に反対していました。これらは、『園部不二夫著作集 第三巻 初代教会史論考』で調べました。--村田ラジオ会話2018年10月5日 (金) 18:07 (UTC)[返信]