ノート:ウジェニー (フランス皇后)/削除

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皇后ウージェニーの画像を付け、生い立ちを編集--Eroica 2005年10月2日 (日) 04:26 (UTC)[返信]

少女時代から結婚までを編集--Eroica 2005年10月6日 (木) 02:11 (UTC)[返信]

晩年の彼女は?[編集]

普仏戦争後の彼女の晩年は?Nakaoka7675 2006年3月16日 (木) 17:50 (UTC)[返信]


項目名に(フランス皇后)を付けませんか? ファーストネームで特定できるほど知れ渡った人物ではありませんし。あと、いちいち直されている通り、最初の音は伸ばさずウジェニーというのがより近いようです。Uraios 2006年8月16日 (水) 12:49 (UTC)[返信]

出典[編集]

窪田般彌著「皇妃ウージェーニー第ニ帝政の栄光と没落」(白水社Uブック、白水社、2005年 ISBN 4-560-72081-9 c0222、単行本は1991年刊行)に依拠しているところは大きいでしょう。プロスペロ・メリメの関係や、その他セリフの部分などは。参考文献に挙がっていますがどうなんでしょう。Nakaoka7675 2007年4月2日 (月) 12:14 (UTC)[返信]


≫フランツ・ヨーゼフは両国の友好は望んだものの、同盟にまで話を進めようとせず、この会見の目的は果たせなかった。のみならず、フランツ・ヨーゼフは10月に1人でパリ万国博覧会を訪れ、「妻はマクシミリアンを売り渡したフランス人達の所に行きたがりません」と苦々しく言い放ち、これで唯一フランスに残されていたオーストリアとの同盟のチャンスは完全に失われてしまった。 (本項目より)

オーストリア皇帝は両国の友好は望んだものの、それ以上話を進めようとはしなかった。それのみか、十月にパリ万博一人で訪れ、「妻はマクシミリアンを売り渡したフランス人たちのところに行きたがりません」と苦々しく言い放った。これで唯一残った両国同盟のチャンスも完全に失われてしまったからである。 (上掲書P167~168)

≫1866年にエミール・オージェの社会劇の「伝染病」を観劇した時、ボックス席からあいさつしたウジェニーに向って「お前の鼻面なんか見せるな!」と痛烈な野次が飛ばされた。 (本項目より)

一八六六年にエミール・オージェの社会劇『伝染病』を観劇したとき、ボックス席から挨拶したウージェニーに向って「お前の鼻面なんか見せるな!」と、痛烈な弥次が飛ばされた。 (上掲書、P169より)


情報ありがとうございます。参考文献は「参考」であって、フリーの百科事典である以上、本文からの引用は許されないと思います。本人のあげているページだけではありませんし。削除依頼を提出します。桜の国 2007年4月3日 (火) 11:42 (UTC)<訂正>2007年4月3日 (火) 11:45 (UTC)[返信]

とりあえず上記の部分が記述された、2006年3月19日 (日) 01:49の一つ前まで差し戻します。他に酷似している部分がありましたら、また情報をお願いいたします。桜の国 2007年4月3日 (火) 11:58 (UTC)[返信]

(*)ウジェニー (フランス皇后) - ノート[編集]