ノート:ウィリアム・カペル

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カペルの死に際しホロヴィッツが語ったとされる言葉を削除しました。再掲載する場合は、出典と、ウィリアム・カペルに関する他の事実を記述する以上にこの逸話が重要であると判断される理由をノートに記載してください。

  • 現状は Wikipedia の編集方針である「百科事典であり…トリビアコレクションではない」「検証可能で信頼できる出典を明記する」の精神に反するものと考えられます。他人の名誉を損なう記述については、匿名性の高いネット上の投稿とはいえ、慎重にも慎重を期すべきです。
  • なお、ホロヴィッツが1953年2月25日のコンサートを最後に引退しており、カペルが亡くなった同年10月にはコンサートピアニストとして聴衆の前に立つことは二度としないつもりでいたことを考え合わせると、そもそもこの逸話の信ぴょう性自体甚だ疑わしいと考えざるを得ません。自宅でほとんど隠遁同然の生活をしていたホロヴィッツの言葉を誰が聞いたのでしょう?しかも10月時点ではコンサート復帰はおろかレコーディングをすることさえ考えていませんでした。そのホロヴィッツがなぜ「自分が一番だ」などとつぶやいたのでしょう?

信頼性の低い著作の中でこの逸話が紹介されているとしても、その情報源が誰であったかが明記されていないなら、やはり信ぴょう性に疑問が残ります。カペルともホロヴィッツとも生前ほとんど親交のなかった人物が伝聞をもとに記述したようなものが典拠であるなら尚更です。加えて、真偽のほどが定かでさえないトリビア的逸話を掲載し、日本での知名度がカペルより高いホロヴィッツをだしに使ってカペルの評価を高めようとするのは、事典の編集方法としては稚拙かつ怠慢であると言わざるを得ません。むしろ、多少の労をとってでも、カペル本人の履歴、演奏の特色、演奏家としてなにが魅力であったかを客観的に記述すべきです。Wikipedia は誰でも投稿できる自由参加型の事典であるとはいえ、個人のサイトやブログではなく、ここに書き込まれた内容は多くの人が閲覧し、情報の真偽を確かめるすべを持ち合わせない人の中には、ここに書かれている情報を鵜呑みにする人も少なからずいることでしょう。今後このページに投稿される皆様には、そのような影響を熟慮しつつ Wikipedia の編集方針に則って、編集をすすめてくださるようお願いいたします。--Classicphilia 2009年11月3日 (火) 04:34 (UTC)[返信]