ノート:アントワーヌ・ラヴォアジエ

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画像についての疑問[編集]

エルテール・イレネ・デュ・ポンフランス語版によって描かれたラヴォアジエとマリー=アンヌ」という画像キャプションはあっていますか?
当該画像の説明には「Eleuthère Irénée du Pont (1771—1834) and Antoine Laurent de Lavoisier (1743—1794) in laboratory work」(実験室のエルテール・イレネ・デュ・ポンとラヴォアジエ)とありますが。--Rinopo会話2013年4月10日 (水) 05:58 (UTC)[返信]

私の誤訳と過失のご指摘、ありがとうございます。英語版もフランス語版も確認した上で「研究室内のエルテール・イレネ・デュ・ポンとラヴォアジエ」のように変更させて頂きました。--じぶろ会話2013年4月10日 (水) 15:21 (UTC)[返信]
恐縮です。自身が記事を直接修正しなかったのは、この画像の来歴について確証が持てなかったためでした。この画像のwikimediaへの移入元は一介のブログ記事のようで、卒読しましたがこの画像についての情報を提供する内容ではなかったのです。草々 --Rinopo会話2013年4月11日 (木) 02:12 (UTC)[返信]

続報ですが、上記ブログの著者からの指示によれば、この画像はこのページ(“ラヴォアジエ友の会”的なサイト)からとられたもののようで、主題がラヴォアジエとデュポンであることは一応確からしく思えます。--Rinopo会話2013年4月12日 (金) 12:32 (UTC)[返信]

その後の追求、ありがとうございます。しかし日本では誰?とされるラヴォアジエですが海外にはラヴォアジエ同好会みたいなのがあるんですね…。--じぶろ会話2013年4月13日 (土) 02:33 (UTC)[返信]
もともと偶然見かけた画像キャプションに疑問を持ったことから深入りしてしまったのですが、お付き合いいただきありがとうございました。
できればエルステール・イレネ・デュポン(デュポンの創業者)とラヴォアジエの関係が本文中で説明されると良いなと思います。
後から気づいたのですが、この絵自体は、ダヴィッドによる有名な肖像をトレスしたものに過ぎないです(ラヴォアジエの肖像のバストアップ部分が“完全に一致”、ダヴィッドの絵では背景にある椅子の足とラヴォアジエの靴のデザインも流用されている)。 --Rinopo会話2013年4月13日 (土) 03:56 (UTC)[返信]
4つの百科事典(万有百科大事典、世界大百科事典1972年版、世界文化大百科事典、グランド現代百科事典)で「デュポン」を調べた所いずれも創業者のエルテール・イレネ・デュポンさんではなく会社名のデュポンの項目しかなく、エルテール・イレネ・デュポンの説明はただ単純に「創業者はエルテール・イレネ・デュポンで~…」とのことで、他言語版を翻訳して書くしかないと考えております。しかし、適当に「Dupont Lavoisier」と検索してみたところこちらのようなサイトと、Wikipediaでデュポンの項目を見てみたら「アントワーヌ・ラヴォアジエに師事し化学知識があり、黒色火薬工場としてデュポン社を設立した。」との記述が見られましたが、後者は出典がなく、現在の所は詳しく分かっておりません。--じぶろ会話2013年4月13日 (土) 10:08 (UTC)[返信]
こちらのE・I・デュ・ポンの年譜によると、「1787年11月6日」に「ラヴォアジエが長を務めていた火薬公社に学生として受け入れられ」、2年間そこに留まったとのことです(デュ・ポンが16歳 - 18歳の頃)。件のブログではこのときデュ・ポンはラヴォアジエの助手を務めていたとか、ラヴォアジエの妻とデュポンの父の間に恋愛関係があったとか書かれていますが、実際どうなのか検証して記述するのはちょっと大変そうですね。
*別件ですが、記事中「ロイド、2012」にあたる文献の詳細が示されていないような。--Rinopo会話2013年4月14日 (日) 03:37 (UTC)[返信]
ご指摘頂いた「ロイド、2012」の文献を始めとするその他の文献も追加しておきましたが、いずれもデュポンに関する記述が見られないため、デュポンとラヴォアジエの関係は記述しておりません。申し訳ありません…。--じぶろ会話2013年4月14日 (日) 12:31 (UTC)[返信]

「電気史偉人典」を削除しました[編集]

Webサイト「電気史偉人典」が2013年末以来、姿を消しており(現在のURLは別サイト)、検索しても該当するサイトは見付からず、別のURLに引越した様子も見られないため、サイト消滅と見なして参考文献から外しました。「電気史偉人典」は詳細ですが、いかんせん、サイト主催者がどこの誰で誰が執筆しているのか、といった情報がまったく示されていないため信頼できる出典とはなり得ません。したがってWeb Archeiveへのリンクはせず、もちろん出典としても無効とみなし、同サイトを出典としていた文は改めて要出典範囲としました。この部分の出典となり得る文献をお持ちの方はご提示いただきたいと思います。また、Yahoo!百科事典もサービス終了しておりますので、こちらを出典としている部分についてもできるだけ早く代替の出典を願いします。--Loasa会話2014年10月23日 (木) 12:14 (UTC)[返信]